カグヤ君にお土産として頂いた和菓子を手に持ちエンジュの街を歩くなか、視界に映る人々の中にどうしても鮮やかな美しい桔梗色を探してしまう。当然あの稀有な色彩は見つかるはずもなく、自然とため息がもれる。あの子とはコガネの街から外れた道で逢ったから、エンジュには住んでいないかもしれないけど。

そう都合よく再会できる可能性なんて無いに等しいことは頭では理解しているはずなのに、子供を想う気持ちは理屈ではないと改めて痛いほど感じる。様々な理論を並べ立てる研究者である自分が“理屈ではない”と一蹴するのは可笑しな話だけれど。

紙袋に入った和菓子が気になるのかプラスルとマイナンが手を伸ばしているのに気付き、慌てて届かないよう上にあげる。

「せっかくの頂き物なんだから悪戯しては駄目よ?」

むう、と頬を膨らませる二匹はとても愛らしいけどそれとこれとは話が別だ。

組織にいた頃、私が甘いものをあの人に差し出せば整った顔立ちに眉を寄せ嫌悪の表情を浮かべていたことを思い出す。

あの子はどうかしらと、切れ長の鮮やかな桔梗色を脳裏に浮かべる。

父親の面影を色濃く持つあの子だからやはり甘いものは嫌いだろうか。

(私、あの子のこと何も知らないのね…)

好きな食べ物とか、嫌いな食べ物とか。どこに住んでいるとか、交遊関係とか。

親なら知っていて当然のことを、私は何も知らない。

本当に母親失格だ。失格以前に、まだ年端もいかない自分の子供を捨てた時点で母親を名乗る資格すらない。

(…でも、)

『…ずっと、自分の子供を捨てたことに罪悪感を感じながら生きてるんだろ?…俺なら赦す理由なんてそれで充分だ。それに、自分の母親がそんな生き方をしているのなら……もういいんだと、俺はそう伝えたい』

低く優しい声が、言葉が私に前を向かせてくれる。背負った罪過は決して降ろすつもりはないけれど、いつまでも後ろを向いていたら私を赦してくれたあの子に失礼だ。

やはりあの子のことを考えれば考えるほど、逢いたい気持ちは雪のように降り積もってゆく。

それは、あの子を身勝手な理由で手放した日からの不変の想い。成長した姿を一目でいいからこの目に映せたらと願っていた。

幾度となくあの子を迎えにいけたらと思っていたけれど、組織から、あの人からあの子の手を取って逃げ出すには私の実力では到底出来ることではなかった。

(…そんなのは、ただの言い訳だわ)

結局私は、自分の身が一番大事だったのだ。母親ならどんな危険を犯したって我が子を守りたいと思うのはそれこそ本能だというのに、自分の実力が及ばないからと諦めていたのは身にかかる火の粉が恐かったから。

「…今度は、何も恐れずに自分から踏み出さなきゃ」

見据えるのは過去ではなく未来。あの子のことを何も知らなければ、これから知り得ていけばいい。

一人意気込んでいると、ガラスケースの中に色とりどりの美しい和装が飾られているのが目に入る。

すれ違う人達は和装を着ている人もいる。先ほどの女の子も長い綺麗な黒髪に桜の柄の袴姿がとてもよく似合っていたなあと思い出す。

「おや、興味がおありで?」
「ひえっ!?」

突然後ろから掛けられた声に情けない声を出してしまう。振り向けば、白菫色の髪に新緑を思わせる若緑色の瞳の和装姿の男性。足元には彼の手持ちなのかリーフィアがいる。

男の人を褒めるにはあまり相応しくない形容詞だけど、綺麗な人だ。

「驚かせてし申し訳ない。熱心に着物を見られていたので、つい」
「あ、いえ…。こちらこそごめんなさい、通行の邪魔よね」
「いやいや、貴女のような美しい女性に少しでも気に入っていただけたなら店主として嬉しい限りです」

シラヌイと申します。そう礼儀正しく自己紹介してくれた彼に習い、私も名乗る。

美しい、と言われてもその言葉は目の前にいる男性のほうがよっぽど相応しいと思うのだけれど。

つい、と彼の若緑色の瞳が私から手に持っている紙袋へと視線を移される。あちらの和菓子屋さんへ行かれましたかな?と彼が目を向けた方向には、正しく私がお邪魔したカグヤ君の和菓子屋。

「和菓子がとっても美味しいのは勿論、カグヤ君…店主さんの人柄も良くて素敵なお店だったわ」
「おや、カグヤさんをご存知でしたか」
「ええ。道の途中で出会ったのよ。意気投合してカグヤ君のお店ですっかり話し込んでしまったわ」

美味しい和菓子に舌鼓を打ちながらカグヤ君と楽しい一時を過ごしたことを思い出し、つい笑みを溢す。

「あちらのお店には私もよくお世話になっているのですよ。贔屓目なしでもカグヤさんの作る和菓子は絶品です」
「ええ、本当に」

二人でふふ、と微笑してから、先ほどと同じように飾られている着物に視線を向ける。着るとなると気後れしてしまうけど、普段目にする機会がない華やかな着物は見ているだけで心が弾む。

「どのお着物もとっても素敵ね。エンジュでは、今も旧きよき文化が息づいているのね」
「ええ、伝統を重んじる街ですから」

私の隣に立ち、彼もその若緑色の瞳に着物を映す。

「はて、貴女のような美しい女性に相応しい着物は…。瞳の色と同じ深海のような深い青や淡い色合いの着物も良いが…ああ、白い肌に映える漆黒も捨てがたい」
「あ、あの…」
「ああ、押し売りなんて無粋な真似はしませんからご心配なく。ただ貴女が着物に身を包んだ姿はさぞかし艶やかだろうと思いましてね」
「(ひええええ)」

私を褒め称えてくださる言葉(きっとお世辞に違いない)に、綺麗な微笑み。これで顔を赤くしない女の子はいないだろうと思わせるほどだ。さすがに息子と同年代の男性に頬を染めるなんてことはしないけれど、それでも気恥ずかしさは覚える。

「そんな、若くて可愛い子なら見映えするけど私もう40過ぎのおばさんよ?きっと着物に着られてしまって見るに耐えないわ」
「!おや、そうでしたか。私より年下かと…。しかし年齢など取るに足らないことですよ」

店内にいるので何かご用があれば声をかけてくださいと、彼は軽く会釈をしてリーフィアと共に店へと歩いていく。店主である自分がいては私が落ち着いて見られないと配慮してくれたのだろう。気配りができる素敵な店主さんだ。

飾られている着物に改めて目を向ければ、どれも華やかで素敵だけど。

「……桔梗色」

ぽつりと呟いた私の言葉に彼が振り向いたのが気配で分かる。

「…桔梗色の着物があれば、見せていただいてもよろしいかしら?」
「ええ、勿論」

突然の申し出にも嫌な顔一つせず、彼は変わらず綺麗に笑んで私を店内へと促し着物を見せてくれる。

「…とても、綺麗な色ね」

星が美しく輝いていた夜に邂逅し、私を赦してくれた優しいあの子が持つ色彩。

親子として再会した暁にはあの美しい桔梗色を今度は確りと目に映したいと、誰よりも愛しい大切なあの子を想いながらそっと目を伏せた。



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