「いやあ、良い反物が手に入って何よりだ」

一面銀世界の景色を見ながら一人笑みを浮かべる。しかしさすがはシンオウ、他の地方を凌ぐ寒さだ。はあ、と自分の手に息を吹き掛ける。

「ふふ、ありがとう。ウインディ」

私を暖めようとそっとすり寄ったウインディに礼を言い、頭を撫でれば嬉しそうにぱたりと尻尾を振る。

「私達が以前にもこの地に足を踏み入れていたことを覚えているかい?」

そう問い掛ければウインディは当然と言わんばかりに小さく吠える。あの時は旅をしながらバッジ集めをしていたなあと懐古し、さくりと雪を踏み締める。

シンオウで旅を終えてジョウトに移住し、そこで出逢ったかけがえのない友人達。幼い頃から自身の出生故に友人などいなかった私にとって、彼らは本当に大切な存在だ。

「ふふ、早く彼らの顔を見たいものだ」

土産は喜んでくれるだろうかと思いながら更に歩いていると、数匹のユキカブリ達が警戒するように私達を窺っている。

「ああ…しまったな」

そうぼやいたと同時、現れたのは群れの頭目であるユキノオー。咆哮をあげ私達の行く手を阻む。

知らずのうちに彼らの縄張りに足を踏み入れていたのだろう。悪いのは私だが、野生のユキノオーは興奮状態にあり話を聞いてくれそうにない。

傍らの相棒は私を守るように前に出る。申し訳ないが気絶させようと、ウインディに指示を出そうとしたその時。

「アブソル」

低い、静かな声が響く。瞬間、吹き荒ぶ一陣の風。ユキノオーがどさりと倒れた向こう側に人の姿が見える。

黒いコート、深い闇を映したような漆黒の髪。更には切れ長のつり上がった昏い紫紺色の目。

───その人物は、あまりにも友人と類似しすぎている色彩と容姿を有していた。

二人の関係などわざわざ問い掛けなくても分かってしまうほどだ。目の前の男性と友人はそれぐらい血の繋がりを感じさせる。

「…何をそんなに驚いている?」
「!ああ、いや…失礼」

直感的に彼のことを話さない方がいいと思い、なんとか言葉を紡ぐ。

たった一撃で群れの頭目であるユキノオーを倒すその実力は桁違いだ。敵わないと、理解ではなく本能に訴える程の強さ。

男性は、彼の父親は今しがた倒したユキノオーをつまらなさそうに一瞥している。傍らにいるアブソルを撫でるどころか労る言葉を掛けようともしない。それは旅の途中に出会った、自身の手持ち達を道具扱いする連中と同じ酷く冷えきった目をしている。

『…俺の父親は、ろくでもない男だった』

彼が口を開き、苦々しげにそう語ったのを思い出す。闇色の髪の隙間から翳りを帯びた桔梗色の目と言葉から、父親に対する複雑な感情を抱いているのは明確だった。

男性は、彼とは違う昏い紫紺色の目に私を映し、「お前は」とゆっくり口を開く。

「俺を通して一体誰をみている?まさかとは思うが───、俺と似た顔の男を知っているのか?」
「っ!」

思いがけない問い掛けに言葉を失い目を見開いてしまう。これでは肯定しているのと同様だ。他人からはよく表情を読みにくいと言われるが、この男性の前では無意味なようだ。

「ははっ、こんな辺境でアイツを知っている奴に会うとはな」

くつくつと可笑しそうに笑った後、男性はこちらに向き直る。昏い紫紺色はどこまでも底がない奈落のようで背筋が凍る感覚さえ覚える。

「かつてカントー、ジョウトで最大勢力を誇った裏社会の組織が存在していたことは知っているだろう」

無言を貫く私を肯定と取ったのか、男性は更に話を続ける。知っているも何も、旅の途中で対峙した記憶があるのだ。そして何より、かつてあの色鮮やかな桔梗色の色彩を持つ彼が居たことも。

「この世に生を受け、たった一人の子供に解散させられるまでの長い年月をアイツはその場所で生きていた。一度暗翳が差すこちら側の世界で過ごした人間は、光が差すあちら側の世界は相応しくない。そうは思わないか?」
「…子は親を選べない。彼が裏社会の組織に身を置いていた過去は、元を辿れば貴方の所為だ。彼は好き好んで自ら足を踏み入れたわけではない。光が差す世界が相応しくないというのなら、それは他でもない貴方だろう」
「生憎俺はあちら側で生きようとは微塵も思っていない。些末な世界に興味はないからな」

あの場所で手を汚し生きていたアイツが、あちら側の世界で生きる権利があると?

昏い紫紺色が私に問い掛ける。彼をそうせざるを得ない状況に陥らせたのは、紛れもない貴方だろうと返せばまたも可笑しそうに笑うその様に眉が寄る。

彼はきっと───いや、絶対にやりたくなかったであろう。自身の手持ちに対し柔らかい眼差しを向ける彼を知っていれば火を見るより明らかだ。彼をそうさせたのは、他の誰でもない血の繋がった実の父親であることは容易に察しがつく。

「組織に幹部として在籍していたアイツは天才的なハッキング技術にバトルセンス、研究員としても優秀な才能を有していた」

組織に多大に貢献していた、と男性は続ける。その声色に少なからず“何か”を感じる違和感。親が子に対する賛辞の言葉ではなく、それはまるで物に対するような───

「組織にとっても、俺にとっても。アイツはひどく使い道があった。それらの怜悧な才能は今一度親のために駆使すべきだろう」
「…使い道、か。血の繋がった息子を物同然の扱いをする碌でもない男が"親"など口にするのは滑稽だな。全くもって耳障りでしかない」

やはり私が先ほど抱いた違和感は正解だったらしい。身体は冷えきっているはずなのに頭は熱さを感じるのは目の前にいる男性への憤りだろうかと、どこか冷静な頭で考える。

自分の息子を平然と道具扱いし、更には男性の言う“こちら側”に再び足を踏み入れさせるかのような言葉。

(親は、子を案ずる存在ではないのか?)

親に疎まれながら幼少期を過ごした私には、親から与えられる愛情というのは想像を巡らせるしかない。が、おおよそ大半の親は自身の子供が愛しい筈だ。

それがこの男性はどうだ。案ずるどころか、彼に彼に暗雲を漂わさせている根源の存在。

「いずれアイツはこちら側に足を踏み入れる事となるだろう」
「…馬鹿な。彼が自ら貴方の元へゆくとは考えられない」

男性の言葉に眉をひそめる。何を根拠にそう言い切れるのだろうか。視界に入るただひたすらに白銀の世界の中に、正反対の色彩を有する男性の闇のような漆黒が嫌に目立つ。

「アイツは自分の手持ちの奴らを守るために幾度なく手を汚してきた。何を犠牲にしてでも、アイツにとっては自身の手を汚すほど価値がある存在だったのだろう」

裏社会の組織に身を置いておきながら守るなど馬鹿馬鹿しいにもほどがあるがな、と嘲笑する。

昏い紫紺色が私を捉え、その目がどこか愉しそうに細められる。

「───そいつらがいる限り、アイツは如何なる手段を用いても守ろうとするさ。それこそ、こちら側に足を踏み入れる事さえ厭わないだろう」
「………は、」

それは、つまり。

男性の言葉に二の句が告げなくなり、掠れたような声がもれる。

彼らを脅かそうとしている存在は、紛れもない血の繋がった実の父親。

傍らにいるウインディが珍しく敵意を剥き出しに低く唸る。

私の実力では勝算は皆無。だが、このまま野放しにして良い人間ではない。

いつにもまして相棒の強い熱気が肌に伝わり、その身体をそっと撫でる。

「…貴方が親の心を持つ方であれば、どれほど良かったか」
「命が惜しいならやめておけ。死に急ぎたいなら別だがな」
「私の友人に危害を加えようとする男を黙って大人しく見送れと?面白い冗談を仰る。───ウインディ!」

声を上げて相棒の名を呼び、指示を出す。口から吐き出された灼熱は一直線にアブソルへ向かっていく。

片眉を上げるだけでアブソルに指示を出さない。代わりにボールの開閉スイッチが押されると同時に、突如巻き起こる砂嵐。

岩タイプであるくすんだ緑色の巨体を持つポケモン───バンギラスに炎技はさほど効いていない。尖った無数の岩がウインディを襲う。

「っ、ウインディ!」
「俺の相手はお前ではない。…だが、いずれお前の前に立ち塞がる相手は一体誰だろうな?」

瞬間、脳裏に鮮やかな桔梗色が浮かぶ。

ウインディを案じている間に男性は姿を消したようで、思わず拳を握りしめる。

「くそ……!」

私の悪態をつく言葉だけが辺りに響く。頭が沸騰しそうなくらいに熱い。

彼が、一線を越えたその先にいるわけがないと、そう一蹴したいのに。

『───お前の前に立ち塞がる相手は、一体誰だろうな?』

どこまでも深い闇のような色彩を有するあの男の言葉が頭から離れられず、私は雪が自身に積もるのも構わずに白銀の世界に立ち尽くしていた。



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