「グレイシア、カグヤさんの新作の和菓子とても美味しかったね」 「シア!」 隣を歩くグレイシアに同意を求めれば、元気良く肯定の返事をする。もちろん、美味しかったのは新作の和菓子だけではなく全部だけれど。 カタリとボールが震えたが、きっとヘルガーだろう。たぶん、あまり食べすぎるなと釘を刺している気がする。 「美味しい物を前にして食べないなんて、食べ物に対して失礼じゃない?」 「シア?」 「ヘルガーは真面目だなーって話」 「シア!」 グレイシアは再度同意の鳴き声をあげる。俺達の会話をボールの中で聞いているヘルガーは、きっと今頃ため息をついていることだろう。 「と、ここか…」 鮮やかな和服が並べられているお店の前で立ち止まり、ガラリと戸を開ければこちらに気付いたらしい深緑を思わせる鮮やかな若緑色の瞳と視線が交わった。 「おや、ツバキ君」 「シラヌイさん、こんにちは。カグヤさんからの頼まれ物を持ってきましたよ」 「ああ、ありがとう。手が離せないから助かったよ」 紙袋に入った和菓子をそのままシラヌイさんに渡す。 俺の隣にいたグレイシアはシラヌイさんのリーフィアと仲良くじゃれているけど、氷タイプが弱点のリーフィアは大丈夫だろうか。まあ、弱点といっても一緒にいるだけならよっぽど大丈夫だと思うけど。 「今お茶を出すから少し待っていてくれないかな」 「あ、そんなお構い無く」 「ふふ、私がツバキ君をもてなしたいのだから気にしないでおくれ」 「ありがとうございます」 さすがに商品である和服がある店内でお茶を飲むわけにはいかないので、裏にあるシラヌイさんが住んでいる家へと移動する。 縁側に座り色鮮やかな紅葉と小池がある目の前の庭園の景色に感嘆していると、シラヌイさんがお茶とお茶菓子を乗せたお盆を静かに置く。 「ここ、すごく景色が素敵ですね。紅葉があって小池があって…。まさに風光明媚ですね」 「ふふ、ありがとう。この場所は私の一番のお気に入りなんだよ。さあ、冷めない内にお茶を飲むといい」 「ありがとうございます、いただきます」 ふう、と息で冷ましてから一口。普段は甘いものばかり飲んでいるけど、たまにはお茶もいいなと思う。 「ところで、ミカゲ君は一緒じゃないのかい?」 「もー、せっかくいい眺めでお茶もお茶菓子も美味しいのにあいつの名前なんか出さないでくださいよ」 「ふふ、すまない。君達はいつも一緒にいるような気がしてね。ええと、確かそんな歌があった気が…」 「別に俺達は二人で一つで地元じゃ負け知らずじゃないです」 ああ、そうだったねとくすくすと秋風のような心地好さを孕んだシラヌイさんの笑い声に、この人は相変わらず掴み所がないなあと思う。 恐らくシラヌイさんの名前は秋の季語である不知火からきているのだろう。 不知火とは、旧暦8月1日前後にホウエン地方でみられる蜃気楼の一種だ。 時に幻想的、神出鬼没、掴み所がないという意味合いで物事などに不知火の名が使われることもあるという。 そう考えると、シラヌイさんは"不知火"という名を冠するのはある意味ぴったりだと思う。 「でも、私はツバキ君とミカゲ君が羨ましいよ。恥ずかしい話だが私には友人と呼べる人がいないに等しいからね」 「まさか。ミカゲならわかりますけどシラヌイさんに限ってそんなことないですよ」 「ふふ、ツバキ君は相変わらずミカゲ君に手厳しいね」 というか、俺とあいつが友達? シラヌイさんの言葉に思わず首を傾げる。仮に友達の間柄であっても、世間一般からは悪友といわれる関係だろう。 友人といえる人がいないに等しいと言い切ったシラヌイさんの横顔は、秋の夕暮れのような切なさと寂しさを湛えている。元々感情をあまり表に出さない人だから俺の勘違いといったらそれまでだけど、何故かそうではないと確信している自分がいる。 「シラヌイさん」 「うん?何だい、ツバキ君」 「俺とシラヌイさんの関係って何ですか?」 「え?…知り合い、かい?」 「…知り合い…」 俺の唐突な問い掛けに珍しく怪訝そうな顔をしたシラヌイさんは、"知り合い"と答える。 (…、知り合い、かあ) 今こうしてお茶を飲みながら談笑している心地好い時間は、シラヌイさんにとっては"ただの知り合いと過ごしている"時間なのだろうか。 「ツバキ君?すまない、私が何か不躾なことを言ってしまったなら謝るよ」 シラヌイさんの困惑した声色に俺は今不機嫌そうな顔をしているんだろうなと、どこか他人事のように冷静に分析する。 元から優しげに下がっている眉を更に下げ、若葉色の瞳に不安の色を宿したシラヌイさんの問い掛けには答えず、俺は逆に訊ねる。 「シラヌイさんは俺と一緒にいて楽しくないですか?」 「そんなことは決してないよ。私はツバキ君と話をするのが好きで、今だってこうやって楽しい一時を過ごしているよ」 「それなのに俺達の関係って"知り合い"なんですか?」 「いや、それは……」 珍しく口ごもるシラヌイさんに俺はここぞとばかりに畳み掛ける。 「知り合いなんて、そんな他人みたいな距離俺は嫌です。俺はシラヌイさんと一緒にいて楽しい。シラヌイさんも俺と一緒にいて楽しいって言ってくれた。それだけで充分じゃないですか、"友達"っていうのは」 「!ふふ、そうか…。そうだね。ありがとう、ツバキ君」 「どういたしまして」 にっと笑った俺とは対照的に、シラヌイさんは控えめに微笑する。 「それにしても」 「うん?」 「出会ってから三年も経つんですけど、それなのにシラヌイさんは俺のことただの知り合いだと思っていたんですか?」 「それは、ええと……」 シラヌイさんにじとりと視線を向ければ、珍しく口ごもりながら逃げるように若緑の瞳をあらぬ方向に向けている。 「…私の中で憚られていてね。互いのことをあまり知らないのに、それは友人と呼べる関係なのか、と」 秋風が俺達の間を吹き抜け、覗いた若緑の瞳は哀愁の色を帯びている。 「確かに俺はシラヌイさんのこと殆ど知らないですけど、でもそんなのはさほど重要じゃないと思うんです」 その人の出生や、人生を形成してきた事柄。全て知らなくても、友達というのはそれでいいと思います。 シラヌイさんは何も言わずにただ黙って俺の言葉に耳を傾けている。 誰にだって言いたくないことはある。長い付き合いのミカゲでさえも、きっと知らないことはあるだろう。 「ふふ、ツバキ君の言う通りだ。秋だからかな、少し感傷的になってしまったよ」 シラヌイさんは先ほどの翳りある表情を浮かべてはいない。若緑色の瞳は穏やかに笑んでいる。 「今度はミカゲ君も交えて談笑しようか」 「え、ミカゲは別にいいです」 「手厳しいなあ」 くすくすとシラヌイさんの笑い声が風に乗る。夕暮れはもうすぐそこだ。けれど、秋特有の物悲しさを感じることはなかった。 |