時刻はすっかり夜の帳が降りた頃。いつの間にかさっきまで雲に隠れていた月が顔を出している。 「うん、採寸はばっちりだね。よく似合っているよ」 「…帰っていいか?」 「そう言わずにもう少し付き合っておくれ。 …と、羽織の縫い目が粗いところがあるな」 仕立てた着流しと羽織を客観的に見るためにミカゲ君に着てもらっている。 うんざりした表情を浮かべながらもなんだかんだ付き合ってくれる辺り根はいい子なのだなあと思う。 夜空を映したような闇色の髪からのぞくのは切れ長の鮮やかな桔梗色の目。端正な顔立ちに高い身長も相まってやはり和装がとても様になっている。 「ブラッキー、これは借り物だから傷つけたら駄目だぞ」 普段と違う装いの主人が気になるのか、ブラッキーはミカゲ君の周りをうろうろしながら彼を見上げ、その頭を撫でながら釘を刺す。 「ふふ、和服が気になるかい?」 屈んで目線を合わせ話しかけるも、尻尾を立てて威嚇され思わず苦笑いが零れる。 「悪い、コイツ他人にはあんま懐かねえんだ」 「いや、気にしていないよ。当面はまず威嚇されないことを目標にしよう」 「…どれくらいかかるんだろうな」 「ふふ、気長にいくさ。ところで今ミカゲ君が着ている着流しと羽織、よかったらあげようか」 「いや、もらってもどうせ着ねえから遠慮しとく」 「そうか……」 「つうかこれ、買ったら結構な値段するだろ?ますますもらえねえよ」 「まあそう言わずに。遠慮しなくてもいいんだよ」 「(何なんだコイツは)」 なんだかミカゲ君に訝しげな視線を送られてる気がするが、はて、何か可笑しなことを言っただろうか。 縁側の向こうで私のリーフィアとミカゲ君のブラッキーがじゃれている。といっても、昼行性であるリーフィアはすでに眠そうでブラッキーが遊んでほしいのか一方的にちょっかいをかけているだけなのだが。リーフィアに半ば邪険にされているもブラッキーは対して気にしてなさそうだ。 少し離れたところではミカゲ君のグラエナと私のウインディがそんな二匹を静かに見守っている。 「ブラッキーもグラエナも、よく育てられているね」 「まあ、あいつらは特に付き合いが長いからな」 彼のトレーナーとしての手腕もさることながら、愛情を持って育てられているのも要因だろう。それは彼の手持ちにトレーナーになついているのが進化条件のブラッキーがいることから一目瞭然だが。 そして、彼は恐らく元チャンピオンである私やカグヤさんよりも強いだろうと直感的に感じる。 バトルをしていなかった空白の期間を差し引いても、きっと敵わないだろう。 「さて、そろそろ月見酒といこうか。和装に身を包んでの月見酒は情緒があり中々洒落ていると思わないかい?」 「そうだな」 「ミカゲ君、棒読みにもほどがあるよ」 せっかく素敵な文化がある地方なのだからそれを大事にしてほしいのだけれどなあと、ううんと唸りながらお酒を注いだ酒器を渡す。 「どうだい?爽やかな香りですっきりとした飲み口だろう」 「ああ。これは美味いな」 「だろう?ふふ、カグヤさんやツバキ君はあまりお酒を嗜まないから呑める人がいて嬉しいよ。一人ではどんな美酒も味気ないからね」 「まずツバキは酒なんて飲めねえしな。アイツ、飲めるのは度数の低いカクテルぐらいだろ」 子供舌なんだよな、とお酒を傾けるミカゲ君に今この場にツバキ君がいたら手か足、どちらかが彼に向かうことが容易に想像できてつい小さく笑ってしまう。 「しかし今宵は月が美しいね。先ほどは雲に隠れていたが顔を出してくれてよかったよ。せっかくの月見酒なのに主役がいなくてははじまらないからね」 厚い雲から美しい三日月が覗いている。また機嫌を損なって隠れなければいいが、と夜空を見上げた。 「──…『名月や 池をめぐりて 夜もすがら』」 「ま、俺達の場合は酒を飲んでいるうちに夜が明ける、だろうけどな」 「ふふ、確かに」 二人して静かに笑い合う。酒で火照った体に夜風が気持ち良い。 「……『月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど』」 「何か言ったか?」 「いや、何でもないよ」 昔の自分なら、月を見ながらきっとこの和歌を思い出していただろう。 だが、私はもう独りではない。 実父は自身の体裁を守るために妾の子である私を存在していないように扱い、周りからも疎まれ鬱屈とした日々を過ごしていたが、ウインディをはじめ大切な仲間達と出会い友人と呼べる間柄も出来た。 「…良い夜だ」 私達の間に交わされる言葉は少ないが流れる空気は心地好さを感じる。彼もそうだったらいいと思いながら、再び酒を傾けた。 |