第09話〈不安定な光〉



『かみさま は いる。
ぼくたち の とうさんと かあさん を
ころした つみびとたち を
かみさま は さばいて くれる。
そうだよな。なぁ、クロロ』少年

____ああ、いるよ。もしいなかったら、オレが神の代わりになろう。青年

PM4:27。A-06号室。
・・・・・・・・
ん・・・
・・・
・・・・・・・・
「起きたか?」
確かに声が聞こえた。
微睡みから覚めてゆく。
視界が戻ってくると、ベッドの中央で横たわっていた。
寝る前の記憶はやや曖昧だが、横たわったというより倒れこんだのは確かだ。
レイコは上半身を起こし、ベッドに腰掛けた。
目の先で青いガラス玉が静寂としていた。
「下の階に食堂がある。食事でもしてきたらどうだ」
「その前に・・・シャワー浴びたい」
レイコは部屋の奥を見て言った。
「どうぞ」
立ち上がるとふらりふらりと、シャワー室のドアが開く。
衣服が失われるや ぶるっと身震いをして、モスホワイトの防水カーテンを引いた。
白いまだら模様の床はひんやりとしている。
慣れない仕様のシャワーを調節して、頭からかぶる。
ザーーー・・・・・。
せわしい。
無数にぶつかる雫は、当たっているのか分からない。
体を伝って流れ落ちた水の行方を想像する。排水溝の管を途方もなく歩き、やがて海に行き着く・・・。
だが、本当のところこの水たちがどこを流れるているのかなんて、誰も知らない。
何れにしろ時間も、事も全てが不可逆に流れていく。
・・・・キュッ。蛇口を絞める。

・・・・それでいいのかもしれない。
逆らえないのなら、そういった全てから逃げればいい。
もちろん、逃げるというのは『全てを失う』、『断つ』、という意味でしかない。
もとより退屈に過ごしてきた日々は死んでいるみたいだった。
太ももの傷跡すら今やチクリともしない。
もう痛くも、怖くもなく。
肉体ですら虚しさを覚えているというのか。

レイコはタオルを頭部に当てて、無造作にかき立てた。
バスローブに身を包み、洗面所に立って下着を手洗いし、それをタオル掛けに干す。
塩気を伴う水滴がポタリ、ポタリと床に染み込んでいった。

1等室はどこも眺めが良い。
窓は広いし、視界を邪魔する翼やらもない。
しかし美しい環境は、今のA-06号室には必要無かったかもしれない。
部屋に入ってから一度たりとも目をくれない
その部屋に滞在しているものに、瑣末なシロモノだったから。
部屋の隅に置かれたその手の愛好家に向けた書物さえあれば、立派な時間潰しになる。
手に取ったダンテもまた、愛好家であったろう。
部屋に戻ったレイコは、先程と変化のない
どこまでも無機質な空気を感じていた。
いるのかいないのか、さっぱり分からない。
存在感のないその男は、さなぎのように静かに黙読しながら、時折本をめくる為に動く。音を発するのは男ではなく本。

昨日から何も喉を通していないレイコは、当然空腹に苛まれていた。
かといって、この状態で食堂に行くのは躊躇われた。
ダンテはそこでさなぎになっていたから、レイコはベッドに腰を下ろして足を触覚のようにゆらつかせていることに気付いてはいなかった。
いや、そういうふうには見えるが、視界の端では分かっているのかもしれない。
うとり・・・・。
こうしているうちに、眠気が舞い戻ってきていけなかった。
レイコは生乾きのまま下着を取って、服も着替えた。
「食堂行ってくる」
ダンテは1万ジェニーを渡すと、持ってろ。と言った。
いちいち渡すのが億劫だったのだろう。
レイコは静かに部屋を出た。
踊り場をそぞろに歩く。
様々な人がいる。
笑顔を交わそうとするキャビン・アテンダント。
すれ違う客。
客が見下ろした世界。
世界で働いている人。
飛行船を指差して散歩している人。
家でソファーに横になってる人。
遊園地でクレープを食べる人や、映画を見て泣いている人。
襟のしゃがんだジャケット、その中に白いハイネックを着ている男。
ショートカットにレトロなスニーカーを履いている女。
手を繋いで、会話をしている。
一見、恋人のように見える二人が
実は『運び屋と非行少女』だった。と。
誰か一人、空を見上げて想像したかもしれない。
雲の向こうを。
レイコは綺麗な装飾に囲まれながら、中央階段を降りていった。
ぶら下がるシャンデリアが、こよこよと揺れている。
無数の光は騒ぎ立てながら、一本の細い鎖にその不安定な体でしがみついているように見えた。

- 9 -

*前次#


ページ: