少女の勇気
「ルナ——ン!!」
響き渡ったのは、ソプラノの声だった。
クルミが、走っていた。金の髪を風になびかせ、こちらに向かって、まっすぐに。
少女の瞳に必死の色が浮かんでいるのを、ルナンは初めて見た。
「だめニャ、まつニャ! 危ないニャ!」
アールズが小さな四つ足で、急いで追いかけている。珍しく、笑みのないディオルが走り出す様子も奥に見えた。
「馬鹿者が! 来るな!!」
ルナンが怒号を飛ばすが、止まらない。
苛ついたようにシュラが前に出た。
「バカばっかだね。本当にっ!」
その手に握られた光線銃が下向きに発射され、クルミたちの足下を襲う。光線弾が次々に乱射され、桃色のワンピースが揺れる。
「ウニャ!?」
一発の光線弾がアールズの後ろ足を掠っていた。冷たい声が落ちる。
「君たちってさ、死にたいの?」
当たりどころが悪かったのか、化け猫は遺跡の球体側に伏せて、ぷるぷる震えていた。
「シュラひどい!」
クルミが振り返りながらも、馬鹿正直に走ってくる。
「はぁ。僕は下がれって言ってるんだよ」
「痛ってェ! テメ何してンだ……うお!?」
シュラの弾丸はロネにも当たっていたらしい。奴の刃は空中で静止している。
そばに駆けつけた少女が、大男に体当たりをした。
「ん!!」
ルナンは思わず己の目を疑う。
俺を助けようと言うのか?
あんな小さな体で。
「やだ! やめてよ!」
少女が、左右の腕や足を使って一生けんめい大男の脚を叩いてはいるが、相手の体幹はびくともしていない。
「……」
ロネは見下げたまま、沈黙していた。
クルミの細っこい両手が男のズボンを掴む。大きなしわができるほどには。
「わるいひと!」
まだ幼い顔を上げて、男を睨みつける。
「ルナンを傷つけないでっ!」
今は歪んだ丸い瞳に大粒の涙を溜めて、少女は必死に訴えかけていた。
視線の先。ロネの気配を探れば、奴の闘志は、途端に小さくなっていった。
「……チッ」
舌打ちが落ちる。
逸らされた顔と同時に、銃剣が静かに地に下りた。戦う気が失せた、というように。
少女の暴走が想像以上に効いたようだ。
「救急隊! いいから早くきて……マーキナだよ、場所はわかるだろ!? 急いで!」
シュラはというと、例の妙ちきりんな腕輪で救助要請を掛けているようだ。
誰のために? と思い、体を見下ろせば、確かに切り傷まみれにはなっている。そう重傷ではないので、気にしていないのだが、律儀な研究者だと思った。
直後、ルナンは身構えた。
確かに感じ取ったはずの気配は、しかし俺の方を向いていなかった。
「きゃ!」
クルミがよたよたと向こう側に下がった。
ロネが剣を向けた先——見慣れたスーツの男がナイフを振りかぶって襲い来ている。
「失礼!」
男がナイフを左で突きつければ、大男の鉄腕がそれを難なく弾き返す。
ロネは剣先を手向けて短気な顔をしかめた。
「外野はスッこんでろッつったろ!」
「いいえ。万が一、こちらの女の子に手を出されては困りますので!」
笑って追撃するディオルだが、果物ナイフなどというリーチ最悪の得物で殴りかかっても無意味だ。ロネの長柄に一瞬で弾き返されている。
覚えたのは微量の苛立ち。
こいつら、まるで本気を出していない。その剣戟はお遊びにすら見えた。
「アァ?」
「……主に、ルナンさんが困りますので!」
「イミが分からねえ。テメェは何が目的だ」
大男が剣側を相手の額に押しつけようとするも、ディオルは体ごと首を下げて避けている。
「さあ〜……」
「おトボケかよ!」
「あなたもです」
長身を曲げた勢いで、語りながらディオルが蹴りのモーションに入った。
「どうせ彼を殺める気、なかったんでしょう? ええ、見れば分かりますよ! 殺気のカケラも無いんですからッ」
その靴底で長柄を捕らえながら押し返した。
「えぇ! そうなのかい!?」
殺める気がなかったと聞いて、シュラの奇声が飛び出る。
ピタリと剣戟が止まった。ロネは横目でシュラを見て、
「オウ」
即答した。
「はぁ!?」
「コイツは明確な敵じゃねェ。殺ッてもイミねェだろ」
つまみ出せりゃ満足なんだよ、と続けたロネに、ディオルはやれやれという風に頭を抱えている。
「なんだいそれ!?」
シュラは驚いているが、ルナンもそれには最初から気が付いていた。
奴の放つあからさまな殺気は偽物。俺を殺す気などは、恐らく毛頭ないということを。よく言えば善性、わるく言えば舐められているのだ。そんな相手にも、弱い自分にも心底腹が立つ。
俺は、王都で力を使い過ぎた。これもまたみにくい言い訳に過ぎないが。
「君さ、もう少しわかりやすく演技してよ!」
小さめの青年が何故か怒っている。
「だから、充分わかりやすかったろが!」
「無理無理、危なっかしいな! この僕が親切にも止めてあげようとしたのに、ただ無駄銃を撃っただけになったじゃんか!?」
「知るかァ!」
シュラの毒舌にはかなうまい。
ロネの反論もむなしく、説得力のない感じになってしまっている。
横で話を聞いていたクルミが歩み出て、一言告げた。
「……ルナンのこと、もう、いじめないでね?」
大男が頭をポリポリ掻く。
「しゃあねェな。今日のところはお嬢ちゃんに免じて、このまま逃がして……」
逃がす、という言葉に少女の頬が膨らんだ。餅が焼けたようにぷっくりと。
「やだっ!」
「?」
クルミは大男に背を向けて、小走りし出すた。
向かった先は、翡翠色の球体クロムディア。
そうだ。少女がどうしてもあれを近くで見たいと言って聞かなかったのを、青年は今更思い出した。
「オイ!」「よせ、危ないぞ!」
大男の怒声と、ルナンが叫び声を上げたのが同時だった。
すぐそば、たどり着いた少女の手のひらが、それに触れる。
瞬間。
突如、球体が黄金色に輝きだした。色こそ違っているが、それはレイル古代遺跡で青白く光った石碑と同じ類の、独特な光り方をしていた。
なんと硬質な球体が動き、バラケて、別の形を成してゆく。
それらと同期したように、少女の小さな体が中心から美しく発光し出したではないか。
「クルミ!」
呼んだが、彼女は応えない。
遺跡の破片が共に浮いていた。少女のシルエットが光に包まれ、広間全体が目映い光に支配される。
「う……」
小柄な青年が、腕で片側の視界の光を遮る。
全員の動きが停止し、異様な景色に注目していた。
暫くして、徐々にクルミに光の帯が収束して、ぱたり、と止んだ。
まるでリンクしたように、クルミが地に落ちる。
中央にあった球体のクロムディアは、今ではこの遺跡の雰囲気にはやや似つかわしくない——古ぼけた石碑へと、変貌を遂げていた。
「おい! 大丈夫か!?」
ルナンがよろつきながらも、急いで少女の元へ駆け寄る。石碑など、今はどうでもいい。クルミが倒れてしまったのだから。
「ん……」
肩を優しく揺すってやると、ゆっくりとクルミが瞼を開いた。
大事はないようだ。青年の顔に、笑みが浮かんだ。
「よかった……! おい、怪我はないか? 痛いところは?」
「だいじょうぶ」
ニコ、と微笑むクルミは、これまでになく大人びて見えた。
「ルナンこそ、ひどい傷……」
少女は、青年の肩口の傷を痛々しそうに見る。
「俺も大した傷ではない」
少々見栄を張ってやると、クルミはしょうがないなあ、と言うかのように、口元で笑んだ。
少女は、石碑を視界に入れて、呟いた。
「ルナン。わたし、思い出したの」
たったそれだけの言葉。
しかし、ルナンは確信を得た。
「何? 記憶をか!?」
思わずまた肩を揺さぶる。
ルナンの腕に上体を任せたまま、少女はとつとつと、語り始めた。
「うん。あのクロムディアに触れたとき、やっと、思い出せた。あれは……五年前のこと。わたし、だれかを助けること、してた気がする」
「そうなのか」
真剣に耳を傾ける。
周囲の人間は、呆気にとられたように、彼女の言葉の先を今かと待っていた。
「誰かと来て。ここまで、仕掛けを解き明かして貰って。それで、このクロムディアに石碑を直して。これで、あの子に喜んで貰えるねって、笑って——誰かに——誰に……?」
「……今、思い出したんですね」
そうだ。記憶喪失であることを、ディオルたちにまだ言葉に出来ていなかったが——もう、必要ないようだ。
「教会の学級か何かだろうか?」
俯いて、思案する。
この幼さだ。子どもの集団に属していたと考えるのが自然だが、断片的な話では、少女の同行者はマーキナ遺跡の仕掛けをゼロから解くことができる人材のようだ。どうにも、学の深い大人が進んで同行しているかのように思えてくる。
「わからない……」
少女がまた、その表情を曇らせてしまった。
わからない、と零す横顔は、先ほどまでしっかりと喋っていたクルミの面影はなく、出逢ったばかりの頃の不安げな少女の姿と重なっていた。
「少し思い出せただけでも、上等だ」
「ルナン……」
褒めてやっても、少女の表情は晴れない。
彼女の唇が、問うた。
「この記憶の果てに——そこには、一体なにが、待ってるんだろう?」
「大丈夫」
青年は殊更優しい言葉を掛けて、少女が安心できるよう、右手で背中を叩いた。
その際うっかり、負傷した手にダメージが伝わってきてしまい、僅かに顔をしかめる。
利き手を負傷すると、想像よりも不便なものなのだ。ルナンはそう学んだ。
「ああ……確かね。わたし、こうしてたの」
ふと何かを思いついたのだろう。
クルミは、石版のそばで眠る猫のアールズを拾い上げて、ぎゅっ、と抱きしめる。
すると、少女の胸元が再び金色に光り輝く。その光は、すぐ側のルナンをも包み込んだ。
「うお……」
見る間に傷が癒えていく。
光と共に、すっかり傷口は塞がり、擦り傷なども一緒に徐々に消えてしまった。猫も綺麗になている。
光が少女に収束した。
「なんだいそれ? 見たことのない技術だ……!」
驚くシュラの前で、少女は激しくせき込んでしまう。
「げほ、げほげほ……」 _34/35
▽希望ページ数入力
▽章選択