「ん……?」


陽が目を覚ましたのは日が昇ろうとしている時のことだった。現代人が初めて外で睡眠をとるということに、どれだけ休めるのだろうと不安視していた陽だったが、思った以上にぐっすり眠れたようだ。
同じ体勢のままだったため凝り固まった体を解すよう大きく伸びをする。すると肩から何かが落ちたことに気付いて、視線を落とした陽は一瞬呼吸を忘れた。
自分の肩から落ちたものは見慣れた銀時の白い着物だったからだ。
震える手でそれを拾い上げて陽は思案する。家には入れてもらえなかったが、気を遣ってこれを肩にかけてくれたのだろうと思うと、頬がニヤけてしまってしょうがない。


(銀さんの匂いするかな)


着物に顔を寄せてくんくんと鼻を鳴らすが洗剤の匂いがするだけだ。どうやら着ていたものではないらしいが、これが万事屋の匂いなのだろうと思えばそれはそれで有りだ。
幸せな気持ちで思わず着物を抱きしめる。今日一日これがあれば乗り越えられる気がする。昨日の昼から何も食べておらずお腹の虫は空腹を訴えているが、まだ我慢出来る。

このまま今日も頑張ろう、と意気込んだ矢先、横から引き戸が開けられる音が聞こえて視線を向ける。そこには眠気眼で甚平姿のままの銀時がいた。まだ朝早い時間だったので起きていると思っていなかった陽は不意打ちをくらう。


「おっ、おはようございます…!」
「お前マジでずっとここいたのか」
「はい!着物ありがとうございました!」


胸に抱き込んだままの着物についてお礼を言うと、銀時からは表情一つ変えずに手を差し出される。意図が分からず首を傾げる。


「着物返して。そんで今日こそどこかへ消えろ」
「ええ!!」


冷たい言葉に思わず声を荒げるが、有無を言わせないように着物を取り返そうとする銀時。それに気付いた陽が咄嗟に身を引いた。無駄に動きの良い彼女に銀時はこめかみに青筋を浮かべる。


「いい加減にしねーと通報するぞテメー」
「だ、だって…っ お金も入れるって言ってるのにそこまで拒否される理由が分かりません!納得できません!」
「だからお前が怪しいからだっつってんだろコノヤロー!」
「銀さんへの愛は本物です!!」
「そのわりに俺の言う事は聞かねーだろ。俺のためなら何でも出来るっつったのどこのどいつだっけ?」


朝早くから言い合いをする二人。早朝だったので人通りが少ないことがまだ救いだったと言えよう。こんな場面知り合いに見られたら銀時としてはたまったものではない。着物も返そうとせず引き下がろうともしない陽に焦れを切らし、銀時は再び強硬手段に出た。彼女の首根っこを掴んで引きずって階段を下りていく。抵抗出来ないまま階段の下まで下ろされた陽が見上げると、銀時は人差し指を立てて告げる。


「もう次はねーからな!もう銀さん何の慈悲もくれてやんねーからな!!」
「そ、そんなぁ…」


銀時は言うことだけ言って頭をがしがしと掻きながら階段を上がっていく。陽は追いかける気力も起きず、その場で腰を落とした。そこまで冷たくしなくてもいいではないか…自分の知っている銀時は文句を言いつつも人情ある男であったはずなのに。陽は大好きな人に拒絶されてばかりで流石に傷付いていた。持ち主から死守した着物を抱き込んで顔を埋めた。目頭が熱くなるが、必死で零れ落ちそうなものを堪える。直接銀時と関わりを持てただけ幸せなことなのに、こんなことで泣くのは違うと思ったのだ。

かぶき町の地理など分からないのでどこかへ向かう気にもなれず、結局はその場で佇んでいるしかなかった。階段に座り込んでボーっと通りを見つめる。時間が経って人が活動を始める時間帯になると、家の前を通る町人たちからちらちらと視線を寄越された。怪しまれているのかもしれないが最早そんなもので傷付いたりはしない。


「……あれ?場所移動したんですか?」
「!」


降りかかる声に顔を上げると、新八が呆れ半分に笑みを浮かべて立っていた。


「朝一番に銀さんにここまで強制送還された」
「へえ、いつも僕が来るまで寝てるのに、今日は早起きしたんだあの人」
「…え?」


確かに、新八が銀時と神楽を起こしている光景は何度か見た覚えがある。特別早起きの自分と同じ頃合いに銀時が起きて布団から出るのは、思い返せば珍しいことだろう。


「何だかんだ気になるんですよ、女の子外に追い出してるわけですからね」
「……それなら中に入れてほしい…」
「あはは……」


新八は苦笑いを浮かべた後、荷物から一つの包みを渡す。竹皮に包まれたそれを不思議に思いながら中身を見ると、小ぶりのおにぎりが二つ入っていた。陽は驚きと輝きに満ちた表情で新八を見上げる。


「陽さん昨日のお昼から何も食べてないんじゃないかと思って」
「そ…その通りです…!!」
「うちも裕福じゃないし、大したものじゃないんですが…よければどうぞ」
「…!! し、新八…!! 天使かよ!!」


冷めきってしまった心には新八の優しさが身にしみる。涙ぐむ陽はおにぎりを一度置いて新八の手を両手で握り、ぶんぶんと手を振った。


「あ、ありがとう新八…!ホント良い人…!絶対、絶対この恩は忘れないから……!!」
「あまり無理しないでくださいね」
「それは約束出来ないけど、今の私新八のためなら何でも出来る気はするよ!」


新八の言葉に対する返答にしては少しずれているが、今の陽にはそんなこと気付くことも出来ない。新八は苦笑いを浮かべた後、陽の横を通り過ぎて階段を上っていき万事屋へと入っていった。その背中を見送りながら陽は何度も心の中で感謝の言葉を繰り返す。陽の中での好きなキャラクターランキングで確実に新八が上位に繰り上がっていた。


(ただのツッコミ眼鏡とか思ってて超ごめん)


こっそりと謝ってから陽は新八お手製のおにぎりを一つ手に取る。彼が握ったものだと思うとただのおにぎりとは思えなかった。新八が触った米だと思うと特別に見える。気持ち悪いかもしれないがファンの心情として致し方ないことだ。


「よし!今日も頑張って居座るぞ!」


銀時には諦めろと言われているが、やはり諦めるわけにはいかない。また冷たくされるかもしれないが、新八のような人もいると思えると頑張れる。それに、新八の言葉が本当であれば――銀時も鬱陶しいと思っているだけではないかもしれない。確かに嫌いな相手であれば着物を貸してくれたり、わざわざ早起きして見に来ることもないはずだ。そうポジティブに捉えることにした。


しかし気を取り直すことが出来た陽に、災いが起きる。



「まさかこの女か?」
「まだ子どもじゃねェか…」


陽の目の前には全身黒ずくめの厳つい顔をした男が数人、陽の行く手を塞ぐように立っていた。目の前の男たちが何者かは分かった。彼らが身に纏っているのは真選組の隊服だ。


「まぁこのぐらいでも隊長やってる人もいるぐらいだしな」
「何だお前俺のことバカにしてんの?」
「褒めてんですよ!」


残念ながらお馴染みのキャラクターたちではない、名前も無いようなモブたちなのだが、そこらの怪しい輩ではないと分かるのは少しだけ安心した。しかも厳つい顔つきの男たちの一歩後ろに立っているのは、小柄な少年ではあるが隊長だけが支給されている隊服を身に着けていた。彼は陽と同年代だろう、座った状態の彼女からは分かりかねるがもしや身長は陽よりも無いのではないか。そんな隊長らしき赤髪の少年と話す隊士たちは自然体の姿で怖さも半減である。


「隊長が出るまでも無いほど小物じゃねーか?どうします?」
「とりあえず捕えろ。話はそれからだ」
「女の子ですけど」
「男女差別してんじゃねーよ」
「隊長にだけは言われたくねーわ…」


他愛なく話してはいるものの、陽は聞き逃さなかった。無愛想な表情の隊長からあっさりと告げられた“捕えろ”の発言を。そして隊士の一人が懐から取り出した手錠を見て陽は顔が青ざめるのを感じる。


「え!? え!? 何で!? どういうこと!?」


逃げ出したいところであったが行く手は隊士数人が全て塞いでいる。階段を上って万事屋に行ってもどうせ鍵をかけられていて中には入れてもらえないだろう。逃げ場がどこにもない。否そもそも捕えられる覚えがない。
動揺を隠しきれない陽に隊士たちの表情も真面目なものに変わり、視線が途端に敵意を感じるようなものになる。素人でもそれを察知してしまった陽は、いくら真選組というよく知っている団体の面々といえども恐怖を抱かずにはいられなかった。無力の女子高生が男に囲まれ敵意むき出しの視線を一斉に浴びているのだ、当然だろう。なんせ相手は刀を持っているのだ。いざとなれば斬られるかもしれない。


「通報が入ったんだよ。ここで家の前にずっと居座る変わった服を着たストーカーがいるってな」
「…!!!」


間違いではない。確かに間違いではない。家主の断りなしに家の前に居座っているし、愛故の行動と思えばストーカー同様。それに着ている制服だってこの世界では異質なものだ。何も反論が出来ない。


「わ、私別に危害を加えるわけではないんです…!! ただここに住まわせてほしくて…!」
「ストーカーは皆そう言う。とりあえず付いて来い」
「そ、そんな…!そもそも真選組って攘夷活動する人の取り締まりが仕事ですよね!? W○Ki先生に教わりましたよ!! ストーカー取り締まるのは仕事じゃないですよね!?」
「お前が攘夷志士じゃねーかと話が出てんだよ」
「こんな小娘一人に何を怯えてるんだか…」
「攘夷!? 私が!? お言葉の通り私ただの小娘なんですが!!」
「潔白の証明とお前の反省・改めを確認出来たら解放しt…」
「私この年で牢屋入るのは嫌ですうううう!!」
「うるせェェ!!」
「ひっ」


大声をあげた途端、向けられたのは刀の切っ先であった。目の前で動きを止めたそれに陽も動きを止める。刀を向けてきたのは様子を見ていた隊長の少年だった。隊士たちの一歩後ろからでも容易に届くような身の丈には合わない少し長めの白刃は、陽を取り囲む隊士たちの顔の間を縫って真っ直ぐと陽へと向けられている。…幼い見た目にそぐわず一番容赦が無いのは彼であろう。周りのいかつい顔をした隊士たちさえ隊長の行動や己の真横にある刃に僅かに頬を引きつらせるくらいなのだから。


「痛くされたくなかったら大人しくしな」
「……は…はい…」


一般の女子高生がモブとはいえ訓練を積んでいる真選組隊士に敵うわけがなかった。隊長だなんて尚更。名前も分からないけれど。
見るからに大人しくなった陽の腕を掴み隊士の一人が手錠をつけると、漸く隊長も刀を鞘に収めて歩き出した。
犯罪を犯したつもりもないのに、若くして手錠をつける羽目になるなんて。万事屋に会えたことは嬉しかったけれど正直この世界に来てから災難の方が多く感じていた。



─ 続 ─


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