「おい聞いたか?陽ちゃんここ辞めるらしいぞ」
「え!?」
「何でもちゃんとした住む場所見つかってそこで仕事するとかでよ…もう新しい人を探してるらしい」
「嘘だろ…俺たちの天使が……」
「癒しが……」


陽が真選組の女中として働いて一ヶ月が経った頃、屯所はそんな噂でもちきりになっていた。そして件の噂について話す部下の会話を、仕事終わりの帰宅中に聞いたのは沖田である。他でもない噂の彼女を奴隷に持つ主人であるが、実は沖田はこの時初めてこの噂を聞いていた。


「………」


涼しい顔をしているものの、内心では動揺していた。自分のことを(二番目に)大好きと言っていた彼女が、そんな大事なことを何故報告してこないのか。奴隷のくせに主人に何も言わないとは如何なものか。
そこらの平隊士でも知っている情報を、何故自分が知らなかったのか。そう考えると何だかムカついてくる。例の奴隷を一発殴りに行ってこようかと一瞬考えるも、もう夜遅くでとっくに彼女は帰宅している頃だ。まず彼女がいたところで何と理由をつけて殴れば良いのか。「何で自分に話してこないのか」と言うのか。まるで話してほしかったようではないか。

別に、あんな女一人いなくなったところで

からかった時の反応が面白くて意地悪はしていたけれど、軽い暇つぶしに過ぎない。それが無くなるだけだ。



『沖田さん!お登勢さんへフォローしてくれてありがとうございました!おかげさまでチャンス掴めました!』



そもそも彼女が本来の住みたい場所―― 一番に好きだというあの銀髪天パ男の許に行けるようにほんの少しだけ手を貸してやったのは自分だ。といっても「怪しい女にゃ変わりねーですが、馬鹿みてーに働くことしか出来ねーんでさァ」とフォローととれるのかも分からない、ただ事実を述べただけだ。何故そんなことを言ったのか?と聞かれるとただの気紛れである。

夜遅くまでの仕事を終えて早々に休もうと思っていたというのに、噂を聞いてしまった沖田は心穏やかではない。
自分に何も報告してこないことにムカムカし、明日出勤してくる彼女に何を言おうかと考えながら就寝した。


そして翌日。
結局奴隷なんぞ無視すればいいという考えに行き着いた沖田は、いつも通りに朝食を済ませようと食堂へ向かった。

食堂に着けば既に朝食を始めている者がいる。いつも通りにお盆を手にし、カウンターを移動していきおかずの器を手にしていく。


「お吸い物と豚汁、どちらが宜しいですか?」
「豚汁」


投げかけられた質問に反射的に答えたものの、視線を落としていた沖田は聞き覚えのない女の声に顔を上げる。「どうぞ」と差し出されたお椀には希望通りの豚汁が入っており、控えめな笑顔を浮かべた見知らぬ女が目の前に立っている。陽がつけていたようなフリルのエプロンを身につけた女が。


「……」
「あっ、私本日よりこちらでお食事のご用意をさせていただきます。宜しくお願いします」


無言の視線に慌てて挨拶をする目の前の女だが、沖田は何も言い返すことが出来なかった。
そういえば噂には新しい人を探しているとの話もあったような。…まさかこんなにも早く代わりを見つけていたなんて。代わりがいるということは、もう陽はお役御免ということ。もうここに来る必要は無いということだ。

まさか、あの女。
奴隷のくせに主人に何も言わず辞めていったのか。


その後食事中も仕事中も、本人は認めはしないけれどすこぶる機嫌が悪かったのは言うまでも無い。
こういった時に被害を被るのは土方と、同じ武州出身の年下であり僕として扱われている藤堂だ。藤堂は他の仕事で別行動だったことに心底安堵したことだろう。そのため土方一人がいつも以上に八つ当たりに遭い命を狙われていた。


「総悟ォォ!! テメー何に苛ついてやがる!! 俺にぶつけてくんじゃねーよ!!」
「別に苛ついてなんかいやせんよ」


昼過ぎに仕事を終え帰る車中の中で土方は沖田を怒鳴りつけたが、沖田もそんな怒声は聞き慣れているので眉ひとつ動かさず否定している。しかし平隊士でさえ今日の沖田にはいつも以上に恐れて我関せずにいる状態。長い付き合いの土方でなくとも分かる程あからさまに機嫌が悪いのだ。
今日機嫌が悪いとなると、土方含め皆思い当たる理由は一つ。


「朝常磐がいなかったからか?」
「……あんな女いなくなろうと俺には関係ねェです」
「……」


車窓から外を見つめたまま答える姿が、全くそうは見えないのだが。
沖田総悟という男は感情を隠すのが得意ではないようだ。


「そういやあいつから聞いたぞ、引き取りの願い聞き入れてもらったのはお前のおかげだと」
「…俺ァ何もしていやせんよ」
「そうか、まぁ真選組が拘留人の助力するなんざ聞いたことねーしな」


「ただ常磐は嘘吐くの下手だったからよ」と煙を吐き出しながら呟く土方。明らかに土方はどちらが真実を言っているのか分かっている口ぶりだった。
しかし土方も陽から聞いた当初は疑い半分であった。沖田が出会ったばかりの誰かにそんな助太刀をすることが珍しかったからだ。
沖田自身、その自覚はあった。普段の自分ならば他人がどうなろうと知ったことじゃないのに。

ただ、あんなに無垢に笑顔を向けてくる者が周りにいなかったので、物珍しさを覚えてしまっただけなのだ。
むさ苦しい男しかいないこの真選組屯所で、周りを巻き込んでしまうような温かさや明るさに皆絆されて癒されて
周り程ではなくとも、沖田も同じような感覚に陥っていたのだ。



『迷惑なんですかね…何かあそこまで拒絶されるとしつこくいくのも悪い気がしてきました……』



自分でからかって怒らせたり泣かせたりするのは楽しいけれど、好きな人に拒絶された時のあの悲しむ姿を見てしまったら
団子一つ食べただけで嬉しそうに綻ばせていたあの時の表情を見てしまったら

彼女に笑ってほしいと思うのは、至極当然のように思えた。


「――…チッ」


一ヶ月もいたくせに何で何も言わず辞めていったんだ、と再び思い至って舌を打つ沖田。その心情を知ってか知らずか、彼の横顔を見ながら土方は密かに笑う。

姿を消して何も感じずにいるには、彼女と過ごす時間は長過ぎた。


あまり見られる沖田ではないと土方も面白がったものの、既に“時間”は過ぎていた。加えて車も屯所に到着し、車から降りて歩く苛つきを全面に出した後ろ姿は真っ直ぐに建物へと向かっている。それらを加味してバレるのも時間の問題だと判断した土方は、勿体ぶらずに打ち明けてしまおうかと口を開いた。


「つーか、常磐だがな――…」
「あ、二人ともお帰りなさーい!!」


土方の声を遮る程の馬鹿でかい声が屯所へ響き渡る。まだ屯所の建物へと入っていなかった土方と沖田はその声が聞こえてきた方向――建物の出入口へと視線を向ける。


「――!」


僅かに目を開く沖田の視線の先には、箒を手にした陽が笑顔で手をぶんぶん振っていた。


「あいつ、これから食事以外の手伝いのために決まった曜日だけ出勤することになったから」
「…………は?」


自分たちが町での仕事中に屯所へ出勤していたのであろう陽を見て、表情を変えることなく話す土方。彼の言葉に沖田は思わず聞き返してしまった。その間にも陽が二人の会話の内容など知りもせず爛々とした様子で歩み寄る。


「土方さん、新しい配膳係さんどうでしたか?」
「別に普通。…ああ、ただお前と違って汁物と副菜選べるようになってたな」
「ゔ……一人じゃ何種類も用意出来ませんよ…」


何も反応出来ずにいる沖田を置いて勝手に会話を始める土方と陽。そんな二人に対して、僅かに呆気にとられた顔をしていた沖田は引っ掛かる単語を復唱していた。


「……配膳係?」
「あれ?今日から勤めてる私の代わりの人たちですよ。沖田さん今日食堂でご飯食べてないんですか?」


首を傾げる陽を見てすぐに思い出したのは今朝の控えめな笑顔を浮かべていた女だ。陽よりも幾つか年上だろう女と、直接話してはいないもののもう一人台所では配膳している女がいた。
“配膳”――そうか。思えば今朝の女は“食事の用意”としか言っていなかった。陽が今までにしていた洗濯と掃除については触れていなかった。つまり陽は毎日の食事だけ代わりに頼むことで出勤日を減らし、朝食を用意しない分今までより遅い時間に出勤して洗濯と掃除だけ手伝うことになったのだ。


「……おめー、辞めたんじゃなかったのか」
「え!? 辞めてないですよ!? 辞めたくないですもん!!」
「誰がンなこと言ったんだ。そもそも配膳係と今後の常磐の仕事については、隊内じゃ俺と近藤さんしか知らねーはずだ」


「誰か盗み聞きしやがったな。しかも間違えた情報を…」と土方は溜息を零す。そんなこと今の沖田には関係無いので、一番苛ついた原因について問い質すため、陽の頭を鷲掴みにする。
突然の行動に陽は言葉が引っ込み顔を引きつらせた。目の前にいる沖田が目を据わらせていることに気付き、背筋を冷や汗が伝う。


「奴隷のくせに主人に何の報告も無したァどういう了見で?」
「ま、まだ何も決まってない状態で下手に口外するなって言われてたんです…!」
「金が関わる件だから方々に確認とらにゃいけねーし、そもそも以前の当番制に戻すか配膳係雇えるかも決まってなかったんだよ。んで、やっと配膳係決まったのも昨日だったんだ。お前昨日夜まで仕事だったろ」
「……へェ〜成程ね」


間違ったことではないので土方も事実を述べる。しかし沖田から発せられるのはいつもより少しトーンの低い声で、陽はだらだらと流れる冷や汗を止められずにいた。
まさかこのまま斬られてしまうのか、やっと万事屋で暮らせるようになったのに!と心内で嘆いていると、不意に陽の頭を鷲掴みにしていた手が動く。


「…ッ!」


乱暴に土方へと放られて、体勢を崩した陽はその胸元へと背中から倒れ込んだ。咄嗟に片手を陽の肩に置いて彼女を支え、土方は沖田へと視線を向ける。それは陽もほぼ同時であった。


「とりあえず一発、二人とも俺に吹っ飛ばされてくだせェ」


いつの間にかどこからか取り出したバズーカを肩に置いて、砲口をこちらへと向ける沖田に
同時に顔を真っ青にした土方と陽の悲鳴が屯所内に響き渡ったそうな。



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