取調室に再度入ることになった二日後、無事に無罪であることを信用してもらえた陽は解放された足で大江戸警察署へ向かっていた。

何故大江戸警察署へ向かう必要があるのか。それは銀時・新八・神楽の三人がここで取り調べを受けており、迎えに行くためである。陽は近藤から「こっちから奉行所に話を通して三人も解放されることになったから、引受人として迎えに行ってくれるかな」という言葉を聞くまで、同じく屯所に居るものかと思っていた。土方が「別室で」と言っていたのですっかりそうかと思っていたが、実際は“別室”どころではなかった。
どうして自分だけ屯所なのかと近藤に訊いてみれば「そりゃ、陽ちゃんだからさ……」とよく分からない返答をされた。意味が分からずに問い質すも近藤からそれ以上の返答は貰えなかったことが心残りで、陽は道案内のために隣りで歩いている沖田を見やる。きっと沖田なら何かしら話を聞いているだろうと駄目で元元訊いてみると、案外あっさりと答えをくれた。


「万が一おめーが攘夷志士だった場合、うちが下働きとしておめーを雇った事実を末梢するためだろィ」
「………というと?」
「同心や与力におめーが馬鹿正直にうちで働いてると喋ってバレるのはまずいから、真選組内で終わらせようとしてたらしい」


周りから馬鹿認定を受けている陽は最初どういうことなのか理解に及ばなかったが、聞き返したあとに続いた沖田の言葉に嫌な想像が過ぎる。


「………え……それって……私の疑いが晴れなかったら…」
「おめー自身が末梢されてたな」
「……………」


平然とした顔で怖いこと言わないでほしい。
真選組とはそれなりに仲良くやれていると思っていただけに想像を絶する冷酷な対応に泣きたくなった。何だかんだ優しいと思っていた土方もやはり敵には厳しい真選組鬼の副長に過ぎなかった。きっと近藤は止めてくれたかもしれないが、沖田は…どちらかというと土方寄りではないか。
もしかしたら斬られていたのかもしれない男へ向ける陽の視線は、好意をもつ男へ向けるもののそれではなかった。


「──ってェのは建前だろうな」


しかし、その後更に続いた言葉にきょとんとする。


「一度は認めた女のことでィ、けじめつけて自身で問い質し、てめーの目で本質見極めてーだけさ」
「……でも斬られてたんですよね?最悪の結果」
「流石に侍でもねーただの女斬るほど腐っちゃいめー。まぁ監禁がいいとこだろィ」
「……え?それはそれで怖いんですけど」


一応、命は奪わずにいてくれたらしいが、監禁って。物騒な言葉しか発することが出来ないのだろうか、彼は。
陽は今自分が無事に外を歩いていることに心の底から安堵していた。



「着いたぜ」


まだまだ完璧な信頼を得ていないのかと少し残念な気持ちを抱きつつ小さな溜息を零した頃に沖田が足を止めた。陽がハッとして足を止めて横を見やれば、どこか見覚えのある門と「大江戸警察署」と掲げられた看板。


「俺はここまででィ。あとはてめーで何とかしな」
「はい。ありがとうございました沖田さん」


沖田に礼を言っていざ門を潜ろうと一歩踏み出すと、背後で名前を呼ばれる。先日初めて名前を呼んでもらえて悶絶したばかりだが、まだ二度目の名前呼びの段階では心臓に悪い。一瞬呼吸を忘れたあと萌えに悶絶してしまいそうなところを何とか堪え、沖田へと振り向く。
陽の心境を知ってか知らずか沖田は少し柔らかい表情で片手を挙げていた。



「また明日」



――また、明日。
明日も屯所に出勤していいのだ。今まで通りの関係に戻れるのだ。そう思うと嬉しさに満開の笑みが咲く。


「はい!また明日!」


まぁ、沖田の心境の変化がある時点で今まで通りの関係から少し変わってくるのだが、陽がそれに気付けるのは大分先のことのようだ。



▼△▼



近藤は話を通していると言っていたのだが、意外にも手続きから万事屋三人の解放まで時間がかかってしまった。自分の時もこれほどお登勢は待ってくれていたのだろうか…と待ちぼうけをくらいながら陽は約一ヶ月前のことを思い出していた。
昼頃には警察署に着いた筈だが、そこから数時間は経過していた。


「命張って爆弾処理してやったってのによォ、二日間みっちり取り調べなんざしやがって腐れポリ公」
「もういいじゃないですか、テロリストの嫌疑も晴れたことだし」


数日ぶりに見た万事屋の顔は、疲れや怒り・不満でいっぱいの様子だった。漸く三人と共に警察署から出ることが出来たものの、銀時の怒りは収まらず警察署の看板を蹴りつけている。傘を広げる神楽の横で新八は疲れを吹っ切るように伸びをしたあと、陽へと視線を寄越す。


「まさか陽さんが迎えに来るとは思いませんでしたけど……」
「うん、私も思わなかった」
「陽!! お前私たちが辛い想いしてる間何してたネ!!」


神楽がキッと睨みつけくると、銀時も怒りの矛先を陽へと向けてきた。


「そーだてめー、人が取り調べ受けてるってのに何でおめーだけ…」
「ちょっと待って誤解だから!! 私だって相手は違うけど取り調べ受けてたんですよ!! 鬼の副長とドSの王子相手に無実を訴える羽目になった挙句、危うく働き先も失いかけ冷や冷やした想いだったんですから!」


そもそも陽のおかげで万事屋の三人は、本来原作では三日かかるはずだった取り調べを二日で済ますことが出来たのだが、そんなこと知る由もない。唯一原作を読んでいた陽もそこまで細かいことを覚えているわけもなく。
銀時と神楽からは未だに疑いの眼差しを向けられる。何故取り調べが終わったのに仲間にまで疑われなければいけないのか。


「解放されたってことは大丈夫だったんですよね?」
「勿論!これからも無事出勤させてもらえるよ」


唯一新八だけが陽を責めることはない。恐らく銀時と神楽ほど怒り心頭ではないのだろう。実際疑いが晴れたし陽の仕事が無くなって収入が減る危機も逃れたし、何より新八にとって大事な日に間に合うことが出来たのだ。結果オーライというものだ。


「ケッ、どーせ顔見知り同士のやり取りだろ、そんな生温いもん取り調べなんて言わねーよ。まさか密室でしっぽり楽しんでたなんてこたァねーだろうな」
「ないですよ!! あるわけないでしょ!」
「あぁ、だよなー。お前みてーな色気のねーアホ女誰も興奮しねーわ」


意味の分かってない神楽と「警察署の前で何言ってんのこの人」と呆れた視線を送る新八を置き去りに、一人陽を馬鹿にするように嘲笑している銀時。相変わらず大人げない男だが、陽もそんなこと分かりきっているのでムッとするもすぐに感情が収まる。
銀時の言葉で自然と思い浮かんだのはこの二日間のこと。沖田から名前を呼んでもらえたことや何度か拝むことが出来た柔らかい表情を思い出すと、思わず口元がにやついてしまう。


「……何でにやついてんのコイツ、気持ちわりーよ」
「陽〜戻ってこいヨ〜」
「えへへ…ご主人さまと少し近付けた気がしてね」
「え?その関係まだ続いてんですか……」


しまりのない笑顔を浮かべている陽の言葉に新八は頬を引きつらせる。こんな身近に“ご主人さま”と“奴隷”という関係が成り立っている人間がいるだなんて俄かにも信じがたいのである。彼にとって陽は出会った当初は怪しいという印象しか無かったが、紆余曲折あって真面目で働き者という印象に塗り替わっていた。…が、やはり変人ではあるようだ。


「とにかくもう帰りましょうよ、ここで立ち往生してるのも何ですし」
「あー…まぁそうだな」


話を切り替えて帰ることを促すと、銀時も徐に頷く。…が、


「おし、帰る前にションベンかけていこう。どーもスッキリしねェしな」
「よっしゃ私ゲロ吐いちゃるよ」
「器の小さいテロすんじゃねェェ!!」


取り調べへの恨みがまだあったのか、素直に帰ろうとせずに門に向ってベルトを外そうと手をかける銀時。その横で神楽は口の中に指を突っ込んでいる。一方の陽は目の前で大好きな男が催す様子を目の当たりに出来るのかとうっすらと頬を染めている。もう過ぎたことなど忘れて素直に帰宅出来ないのかと二人に怒鳴ってから陽の様子にも気付いた新八は、「やっぱこの人も駄目だ」と判断し、もう三人に構っていられるかと一人歩きだした。


「アンタらに構ってたら何回捕まってもキリないよ!僕先に帰ります!ちゃんと真っ直ぐ家帰れよバカトリオ!!」


帰ってしまった新八の背中を見ながら銀時はズボンのチャックを開ける手を止めて呟く。


「オイオイ、ツッコミいなかったらこの小説成立しねーぞ。…しゃーねぇな、今回は俺がツッコミでいくか」
「何で私まで加えられてたんだ……?」
「早速俺にツッコミやらせんじゃねーよ変態女」


“トリオ”と言われたことで心底不思議そうな陽に銀時は今日一発目のツッコミとして彼女の頭を叩いた。
一方新八曰く“器の小さいテロ”をやめた銀時と違い、神楽はそれを続行していた。「オエ!」という声と共に何かびちゃびちゃという嫌な音。そして瞬時に鼻腔を襲う異臭にハッとした。


「おまっ…どこにゲロ吐いて…くさっ!!」


しゃがみこんだ神楽は銀時の足元で嘔吐していた。服は無事だったものの、銀時も陽も思わず神楽から少し距離をとる。この臭いはやはり慣れるものではないし、まともに吐瀉物を見ると貰いゲロを催してしまいそうだった。鼻をつまんだ陽が視線を吐瀉物から逸らしたとほぼ同時、笛の音がけたたましく聞こえてきた。
顔をあげて銀時が視界に捉えたのは、警察署を囲むようにあった数メートルある塀から飛びおりてくる男であった。中年から初老あたりの年に見える男だが、塀から高さがあるにも関わらず地面にしっかりと着地する…も、着地した場所が不幸にも神楽の吐瀉物があった場所のため、足を滑らせて盛大に後方へ転んだ。


「いだだだだだだ!! それに くさっ!!」


後頭部を強打して大声を出す男に、状況がよく分からず黙って見守る銀時と神楽。そして見覚えのある光景に陽は記憶を手繰り寄せていた。
そんななか再び聞こえてくる笛の音に視線を寄越すと、今度は先程自分たちが通った門から出てくる役人が数人。笛を吹いていたのは役人だったようだ。


「オイそいつ止めてくれ!! 脱獄犯だ くさっ!!」
「はィ?」


現れた役人たちに舌打ちした男は、側で棒立ちしていた陽の首元に腕を回し抵抗出来ないように左手を掴む。そこで陽は漸く思い出した。この原作にあったエピソードについても、この自分を人質にする男のことも。
そもそも人質は神楽だったはずだが…そんなことを暢気に考える余裕があるのは、この男が自分に危害を加える気が無いと分かるからだ。


「来るんじゃねェ!! この女がどーなってもいいのか!!」
「貴様!!」
「いや…別にそいつなら寧ろどっか世界の果てにまで連れてってほしいぐらいなんだけど」
「ちょっ、銀さん酷くない!? 普通に酷くない!? 見損なったわー、ホント見損なったわー!」
「うん、いい機会だ、もっと別の男探せよ」
「やだーー!!!」


得物も持っていない男相手であれば銀時も神楽も陽に危機が迫っているとは考え難かったのだろう。人質をとられ歯噛みする役人とは対照的に、相変わらずのマイペースっぷりを披露している。陽自身も危機感を感じていないのだからこうなってしまっても仕方ない。
しかし男は役人が手を出せないのを良い事に銀時へ視線を向ける。


「オイそこの白髪、免許もってるか?」
「普通免許はもってっけど」


そう素直に答えてしまったのがいけなかったのだろうか。



「なんでこ〜なるの?」


銀時は役人から逃げる男に仕方なく付き合い、警察署で拝借したパトカーを運転する羽目になっていた。面倒とは思いつつこんなことでは慌てない銀時と、助手席では鼻提灯をつくり寝息をたてる神楽。後部座席の中央を陣取る男に未だに拘束されたままの陽も平然としており、緊張感の欠片も無い。


「…おじさーん。こんな事してホント逃げ切れると思ってんの」
「いいから右曲がれ」


渋々ウインカーを出してからハンドルを回して指示通りに角を曲がる。ハンドルの向きを戻してからミラー越しに男を見やり銀時は再び口を開く。


「今時脱獄完遂するなんざ宝くじの一等当てるより難しいって」
「逃げ切るつもりなんてねェ…今日一日だ。今日一日自由になれればそれでいい」


その言葉に陽は男をちらりと見やる。男は何かを思い出すような神妙な表情で窓の外へ視線を向けていた。



「特別な日なんだ、今日は…」



─ 続 ─


X i c a