陽にとって人生で指三本に入るほどの興奮で激しい動悸に襲われていた。ちなみに残り二つはこの世界にトリップして万事屋に出会えた時と、銀時に(成り行きで)抱きしめてもらい(成り行きで)膝に抱っこしてもらえた時である。

陽の手元にあるのは一枚の写真。そこに写るのは陽にとっては見覚えのある人物であった。脂肪がついたまんまるの顔と分厚い化粧を施した、元の世界では少し前に流行った所謂“ガングロギャル”――彼女はビジュアルとしてのインパクトもあるが、陽にとってはストーリーへの思い入れがありとても印象に残っているキャラクターだった。
つまり、万事屋がこの写真に写る女の捜索依頼を受けた時、陽は珍しく瞬時に原作でいうどの話なのか、今後どう展開していくのかを思い出したのだ。


(生で、見れる)


そんな陽の興奮など露知らずの銀時、新八、神楽。

――捜索依頼を受けて依頼主である写真の女の父から聞いた店に訪れた万事屋一行は、テーブルを囲むように設置されたソファに座り込んでいた。一番の年上で唯一の成人である銀時が昨晩飲んだ酒の所為で二日酔いになり、仕事にやる気を見せていないのだ。


「ジッと見て楽しいアルか?私は豚肉料理食べたくなるネ」
「じゃあ晩ご飯は報酬も入るだろうしとんかつにしようか」


誰も行動を起こせずにいたなか、写真を見つめていた陽の横から同じようにそれを覗き込む神楽。シルエットが豚に似ているうえに浅黒い肌はこんがりと香ばしい匂いさえ放ってくるように見えるのだろう。
お腹を空かせてしまいそうな神楽に陽が晩ご飯の献立を脳内で組み立てると、そのワードにパッと神楽の表情が明るくなる。「早く仕事終わらせてとんかつ食べるネ!」と陽の手から写真を取り上げてカウンターにいるバーテンダーの許へ向かった。そんな純真無垢な姿に陽の頬はたちまち緩んでしまう。


「可愛い、神楽ちゃん。今日はご飯はりきろう」
「にやけてないで仕事しません?陽さん」
「天使の様子を見守ってくるね」
「いやだから仕事!!」


にやけた顔のまま席を立ち神楽を追う陽は、新八の話が聞こえていないのだろうか。いつにもましてうきうきした様子の陽に少し不思議には思いながらもその背中を見送る。


「あー?知らねーよこんな女」
「この店によく来てたゆーてたヨ」


鳥頭の天人のバーテンダーは、神楽から渡された写真を見てくれたものの芳しくない反応だ。


「んなこと言われてもよォ、嬢ちゃん。地球人の顔なんて見分けつかねーんだよ…名前とかは?」
「えーと、ハ…ハム子…」


この時、一人のモブキャラに名前がついた。
陽はそんな気分で名付け親となった神楽を見守る。一応陽は彼女の本名を覚えているが「ハム子はハム子」「逆に本名じゃピンとこないだろう」と考えて訂正することはない。何より陽は今回余計なことをするつもりは毛頭なかった。今までの原作への影響を危惧するのと似ているようであって、少し違う。陽は思い入れのある今回の話を「原作のまま」生で見たいのである。

因みにハム子の本名は「公子」である。


「嘘吐くんじゃねェ明らかに今つけたろ!! そんな投げやりな名前つける親がいるか!!」
「忘れたけどなんかそんなん」
「オイぃぃぃ!! ホント捜す気あんのかァ!?」


バーテンダーと神楽のやり取りを満足げに見つめる陽。この調子では仕事の進捗的な意味で話は進まないだろう。原作の展開的には着実に進んでいるが。

そんな、バーテンダーから情報を得ようとしているのかいないのか分からないぐだぐだとしたやり取りを、遠巻きに見守るは新八だ。


「……あの働き者の陽さんがまるで働く気を見せてないんですけど。どうしたんでしょ」
「馬鹿の考えることなんて知るかよ」
「またそういうこと言って。陽さんはやれば出来る人なのに」


二日酔いの所為で辛いのだろう、顔を顰めたままぐったりとソファの背もたれに寄り掛かって天井を仰いでいる銀時の投げやりな返しに、新八は呆れた表情を見せる。


「はァー?お前どこ見て言ってんだよ、あんなの家事しか出来ねー馬鹿でアホの煩ェ女だろ。よっぽどそこらへんのガキの方が賢いわ」
「……銀さんが褒めてあげれば伸びると思いますけど?」
「誰が褒めるかよ。あんなの消えればいいのに。もう…頭痛いのにあんな疲れる奴見たかねーよ俺は」
「アンタ…いくらなんでも陽さんへの暴言が過ぎませんか。読者は逃げるしアンタの株も落ちるだけですよ」
「俺の積み上げたものはこのぐらいで崩れたりしないから。自分に嘘はつかず生きてくって決めたから」
「自分に都合の良い事しか言わねーな!? 積み上げたものって何!? ジェンガ!? そんな地道で崇高なことアンタしてた!?」


頭痛に苛まれる銀時は新八の言葉などまともに取り合ったりはしない。二日酔いでなくとも取り合わないが。捜索対象の女はどうせ男の家にでも転がり込んでいるのだろう、と銀時は新八に適当にやるよう伝えて席を立つ。新八の止めも聞かずに僅かにふらつきながらも歩いて行く銀時は本当に仕事をする気が無いようだ。
銀時を止めるために立ちあがった新八は二の句を継げる間もなく、背後から来た誰かとぶつかったことに気付く。


「あ、スンマセン」


自分が突然立ち上がった所為だろうと振り返って素直に謝った新八の視界に飛び込んできたのは、眼鏡をかけた天人の男である。新八とぶつかった部分であろう外套を己の手でポンポンと叩くその男は冷たい目でこちらを見下ろしてきた。


「…小僧、どこに目ェつけて歩いてんだ」


ぶつかったことを責められるのかと手を伸ばしてきた男にビクつく新八であったが、そんな不安を余所に男は新八の左肩辺りで何かをつまみあげた。


「肩にゴミなんぞ乗せてよく恥ずかしげもなく歩けるな。少しは身だしなみに気を配りやがれ」


その手に息を吹きかけ、おそらく簡単に目には見えないようなゴミを飛ばす男。思ったような暴力があるわけでもなく拍子抜けしたものの、新八は去っていく男の背中を見つめただの潔癖症だとは思えずにいた。自分を見下ろす目が、まともな人間ではないようなほど冷酷だったから。


「新八〜!」


そこへ状況にはそぐわない明るい声が飛び込んでくる。視線を向ければ相変わらず笑顔の陽と、体型だけは操作対象と似ている見知らぬ男を連れてきた神楽がいた。


「もうめんどくさいからこれで誤魔化すことにしたヨ」
「どいつもこいつも仕事をなんだと思ってんだチクショー!」


銀時といい神楽といい、今回はやる気も見せない陽といい
真面目に人探しをしない面々に新八は先が見えずにいた。
せっかくの仕事なのに、まともな報酬が入りそうなのに、そういう時に限って銀時も陽も真面目に仕事をしてくれない。神楽は通常運転だが。


「あれ?新八、銀さんは?」
「どっか行っちゃいましたよ」
「まじか、やばい」


何が「やばい」のか。新八がそう尋ねようと思ったが、陽はその場にいない銀時のことで真剣な表情に変わり辺りを見渡していた。先程まで上機嫌だった陽は好きな人がその場にいないだけでこの変わり様である。普段はそこまであからさまではなかったはずだが。


「私ちょっと行ってくる!」
「ちょっ、探すんなら銀さんじゃなくて写真の人探しましょうよ!!」


その場を速足で立ち去ろうとした陽に慌てて声をかけると、陽は意外にも立ち止まってくれた。しかしそれは新八の言葉で止まったわけではなくて、彼女はこの後の展開を思い出していたからだ。この後、この場で残された二人は――…
それは原作の展開として必要なことだ。だが、新八と神楽のことも大好きな陽にとって黙って見過ごすことが出来ないのだ。二人の安全を考えて教えてやりたい、でも展開が変わってしまうのも怖い。陽のなかでファンとして、万事屋の一人としての心理が葛藤していた。


「陽さん?」
「……っ」


立ち止まったまま動かない陽を不思議に思い声をかけると、彼女が辛そうな表情でこちらを振り返る。その表情の意図が読めずにいる新八と神楽に、悩んだ末に陽はこう口にした。


「ごめん、ごめんね…でも、絶対大丈夫だからね。息は深く吸いこんじゃ駄目だよ…」



「……何言ってんだ?陽さん」
「陽はいつも何言ってるか分からないヨ」


残された新八と神楽は、やけにシリアスな面持ちで意味不明なことを言い残していった陽にろくなリアクションをとれずにいた。



─ 続 ─


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