陽は自分の行動に後悔を覚えていた。というより、計画性の無さに後悔を覚えていた。
神楽に癒されていた陽は銀時が単独行動を起こすところを逃してしまった。行く場所は覚えていたのでトイレに行く感覚で探して男性用トイレを見つけた――のだが。


(一歩遅かったかァ…)


トイレの出入口の前にいる厳つい天人の集団がそこの行く手を封じている。奴らが件の悪である宇宙海賊“春雨”の下っ端たちだということはすぐに分かった。それだけに、戦闘スキルを持ち合わせていない一般人の陽には銀時の許へ行くことに難関を極めた。

数メートル離れたところからどうしようかと立ち往生していると、やがて陽の存在に気付いた天人たちがこちらを見てくる。

「…あー…」何か言わなくては。必死に頭を働かせる。


「あの、連れが男子トイレに行ってるんですけど…ちょっとその連れに会いたいなって……」
「はぁ?お取り込み中だから後にしろよ」
「いや…今じゃないと駄目なんです…」


きっと今トイレでは“春雨”の一組織の頭目である陀絡が銀時と接触している頃だ。今回の話の大事なシーンの一つだ。それを見られないなんてファンとして許し難い。振り切るようにして新八と神楽を置いてきたというのに、結果が得られないのではまるで意味がない。


「あの、私見てるだけなんで…本当に何もしないんで…っていうか何も出来ないんで……ちょっとそこ通してほしいかなーなんて」
「……まさかお前」


肝心なことは口にしないようにしつつも、正直にトイレに行かせてほしいと頼む陽。少女が男性用トイレに入ることさえおかしなことなのに、この諦めの悪さが天人たちには引っ掛かった。


「最近コソコソと俺たちのこと嗅ぎ回ってる連中か」
「……え!?」


一人の天人の言葉に、奴らの仲間たちは目の色を変える。先程まではただ男性用トイレに入りたいだけの変態少女で済んでいただろうが、更に厄介な疑いをかけられていた。
確か新八と神楽もこの疑いをかけられて――だが彼らの言っている連中は桂の手下たちであると、後々の話で分かることになる。
また桂さんの所為で…!! 陽は内心で桂に対して舌打ちしていた。

一歩一歩と近づいてくる天人たちに陽は顔が青ざめていくのを感じる。


「違います!私たち人探してるだけで別に“春雨”のこと嗅ぎ回ったりとかは――」
「てめぇ……何故その名を」
「…!!」


墓穴を掘った。


(どうしよう、銀さん助けて…!いやでもここで私が声をあげたらまた話が変わっちゃう…!!)


今回は空気のように存在感を消そうと考えていた陽は、こんな時でも展開への影響を危惧していた。ここは自分で何とかするしかない。陽はトイレに入ることを諦め、踵を返して走り出した。


「!! 待てコラ!!」


当然の如く追いかけてくる天人たち。陽は元の世界で男子にも負けず劣らずのタイムを叩き出し陸上部にも勧誘されるほど、足の速さはそれなりに自信があった。天人もただの女だと思っていたので予想以上の速さに焦ったのだろう。腕で捕えられないと判断し、持っていた剣を逃げる彼女へと投げつけたのだ。


「ッ!!」


それは運が良いのか悪いのか、彼女の着ているワイシャツを裂いて右上腕を掠める。大きな怪我ではなかったが、陽は突然の痛みに足を崩しその場に倒れこんだ。痛む腕を咄嗟に片手で押さえたが、すぐに追いついた天人たちにその手を掴みあげられる。


「どうする?この小娘」
「お、結構可愛い顔してやがるな」
「とりあえず陀絡さんとこに連れていくか」
「!! 陀絡さんとこ行きたいです」
「何でノリ気なんだお前」


陀絡のところに行くということはそこに銀時もいるからである。一瞬で嬉しさを隠しきれない表情に変わる陽に天人たちは首を傾げた。


両腕を後ろに回され天人に捕えられたまま陽は男性用トイレの前へと戻ってくることが出来た。右腕からじわじわと血が滲みでていて痛みがあるものの、何とか銀時と合流出来そうである。


(あれ?でもこれ銀さんの足手まといなだけじゃない…?)


物語の展開に影響を出さないようにと考えていたはずなのに、これでは無理ではないか。自分の無力さを思い知り溜息を零す陽。
陽の心境など知りもしない天人の一人がトイレの中にいる陀絡へ声をかけようとドアへ手を伸ばす。しかし天人がドアに触れるより先に、そのドアは内側から開いたのだ――銀時の手によって。
己の肩にぐったりしている捜索対象であった女…公子を担ぐ銀時は、トイレの前に集まる天人たちを見てすぐさま状況を把握した。


「オイオイ皆で仲良く連れションですか…便器足んねーよ…」


頬を引きつらせていた銀時は、天人の中で捕えられている陽の存在に気付き目を丸めた。そして彼女が怪我を負っていることにも気付き、僅かに眉を潜める。陽は「自分はいい」とでもいうように首を横に振るが、その状況で陽を無視できるわけがない銀時。それは陽自身よく分かっていたが、助けを求めることなど出来るわけがなかった。


「オラッちゃちゃっと歩かんかイ!!」
「!?」


こちらを睨みつける天人たちの後ろから更に男の声が聞こえて銀時と陽は視線を向ける。そこには抵抗もせずに虚ろな目で天人たちに連れられる新八と神楽が。
陽は二人の様子を見て、呼吸を忘れるほどのショックを受けていた。予想はしていたが、否、予想していただけに…二人が怪しい薬を嗅がされると分かっていただけに、その危険から二人を助け出せなかったことで、罪悪感が胸を占めていた。きっとこの後二人は助かるだろうけど、ファンとしての心理を優先させて危険な目に遭わせてしまった事実が陽を苦しめた。それほどに、二人のことは大切に想っていたから。
それなのに、


(私…最低だ…!)


一方、二人がどんな目に遭ったのか分かっていない銀時は必死に二人の名前を呼び駆けつけようとしているが、天人に妨害されてそれは叶わなかった。


「お前目障りだよ…」
「!」


陽が自分を責める間に、銀時が新八と神楽に気を取られている間に、陀絡が攻撃を仕掛ける。銀時は咄嗟に公子を庇うため左腕を引いて巨体を刃から守るも、自分の身を守ることまでは出来なかった。左肩に突きつけられた剣はそのまま銀時の体を窓へと叩きつける。


「銀さん!!」


大きな音をたててガラスが割られ、銀時と公子が建物の外へと放り出される。重力に従って落ちていく二人を、両手を天人に捕えられたままの陽は駆けつけて助けに行くことも共に外へと行くことも出来ない。
しかし陽の声だけは届いたのか、銀時と一瞬だけ視線が交わる。


(――…陽)


銀時の脳裏に笑顔の陽が浮かぶ。そんな彼女は今焦った表情で、たった一人大勢の敵に囲まれ捕らわれていて


「逃げろォォ!!」


落下する体の所為で視界から消えた陽に向かって、聞こえるよう声を張り上げる。
その声は確かに陽にも届いた。味方のキャラクターが誰もいないこの状況では助けなんて期待できない。だからって、最後まで自分を気にかけてくれた銀時に対して、諦めて自分がこのまま捕らわれていていいものか。


「また血ィついちまった。駄目だこりゃ、新しいの買おう」


人を殺すことに何の躊躇いも後悔もなく、平然と己の外套を手拭で拭きとりながら文句を呟く背中を、陽は恨めしげに睨む。アニメを見ていた時は「バイ○ンマンが潔癖症の役やってる(中の人)」と妙な面白さを感じていたものの、今はそんな暢気なことを考えられる程の頭はなかった。奴は、大好きな人を傷つけた男だ。

陽は普段使わない頭を必死に使ってこの状況を脱する手を考えた。そこで彼女にできることなんて、背後に立つ自分を捕らえた天人の股間を蹴るぐらいだったけれど。


「ぐふぉっ!」


それでも男には抜群の効果があった。腕を捕らえる力が緩んだのを見計らい、窓に向かって駆け出す。側には陀絡が立っており、持っていた剣をこちらにも振ってくることは予想がついた。それを覚悟のうえで、唯一逃げられる可能性のある窓に向かったのだ。建物の高さも気に留めず。
陽にとっては陀絡からの攻撃も高所からの転落も、そこに命の危険があろうとたいした問題ではなかった。銀時に「逃げろ」と言われたから、銀時に無事に脱しろと言われたから、彼のために命を懸けるのだ。いくら普段冷たくされようと彼は根が優しいから、自分がその場にいなかった所為で怪我でも負えば、己を責めると予想がつく。それが嫌だった。だからこのままジッとしていられないのだ。

背後にいた天人たちが驚きですぐ行動に起こせないなか、窓への脱出を試みる。しかし銀時に怪我を負わせたほどの相手に、そうそう逃がしてもらえるわけもない。窓の付近にいた陀絡がこちらに向けて剣を振る。その太刀筋は素人目の陽に捉えることは出来ず、ただ山を張って身を低くしただけ。しかし幸運にもそれは見事剣を空振りさせた。陽本人でさえ驚きながら、チャンスは逃すまいとそのまま窓へ向かって再び床を蹴ろうとするが、


「っ痛…!!」


背中になにか重力がのし掛かり、勢いよく床に叩きつけられる。予想はつくものの強く押さえつけられ身動きがとれない陽は首だけ動かして頭上を見上げる。剣を空振りした陀絡が、まるで床を這う虫を殺すかの如く陽を踏みつけていた。それでも状況に負けじと敵意をむき出しに睨みつけてやる。


「おい、ゴキブリが紛れ込んでるじゃねーか」
「すっ、すみません!! そいつ俺達の正体を知ってやがって…!さっきのガキ二人と侍の仲間のようですし、陀絡さんから許可貰えたらこいつも拠点聞き出すために連れていこうと…!」


自分たちが陀絡に手間をかけさせた手前恐々としながら事情を話す下っ端の一人。陀絡は冷たい目で陽を見下ろす。非力なくせに下っ端よりも怯まない少女の強い眼差しが妙に苛つき、背中を踏む足に体重をかける。僅かに痛みで声をあげる陽。
肺が苦しい。肋が悲鳴をあげている。剣で切られる前に肺を潰されて死んでしまう気がした。


「だったら俺の視界に入らねーように処理しろ」
「は、はい!!」


漸く陀絡の足から解放された陽は苦しさから咳き込み、逃げる隙を無駄にしてしまう。すぐに天人の一人に髪を鷲掴みされ無理矢理に立たされる。そのまま両腕を拘束され振り出しに戻ってしまった。


(私にはこれが限界か…)


でも、戦闘スキルのない一般人なりには頑張ったでしょ。

この場にいない銀時を脳内に浮かべ、心の中で語りかけ何度も謝罪を繰り返す。周りには天人たちが下卑た笑みを浮かべて逃げ場を失くすように囲んでいた。
自分に戦闘スキルがあれば下っ端ぐらい倒せるかもしれないが、生憎元の世界ではクラブ活動でさえ行ったことはなかった。剣道、空手、柔道…周りでは様々な武道を学ぶ部やクラブがあったのに、全く興味を示さなかった。
「剣、習おうかな」陽は四面楚歌なこの状況で過去の自分を呪った。


─ 続 ─


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