沖田の計らいで一番風呂に入れてもらえることになった。申し訳ないと断ったが、男が使い古した湯船など使わせられないと半ば無理矢理脱衣場まで引っ張られた。
普段掃除するために入ることはあっても、入浴のために入るとなると何だか不思議な気分であった。
沖田が貸してくれた部屋着であろう着物を手に脱衣場を歩き、浴場に近い棚に幾つか置いてある籠の一つを拝借する。身に纏っていた袴から取り去り、次いで着物を脱ぐ。丁寧に折り畳んでから、ふとその手を止めた。
「……」
『――…買って…くれるんですか…?』
『…一昨日服駄目にしただろうが、一着ぐらいその変なのやめて着物着てろ』
銀時が買ってくれた着物だ。宝物だ。
ゆっくりと生地を撫でるように手を動かしてから、陽は物憂げな表情で籠に着物を置いた。
浴場に入って髪と体を洗ってから湯船に入る。少し熱めのお湯が体に沁み渡り自然と息を吐きだした。
広い浴場で一人、貸切状態。贅沢な気分にもなりそうだが、今の心境では寂しさの方が上回る。
(神楽、大丈夫かな。定春もいるし寂しくはないよね…)
(新八にも心配かけさせちゃったな。……早く二人に安心して笑ってほしいな)
そこまで考えてしまえば、自然と銀時の顔が浮かんでしまうもので。
『もう…離れんなよ馬鹿――ちゃんと俺の傍にいろ』
(なんて切なくて色っぽい声を出すんだろう……)
そこまでの声を出させるような、力強い抱擁をさせるような…“誰”を見ていたのか。
たとえばあれが彼の意識がしっかりしているうちの事故であれば
きっと銀時は「最悪だ」と言わんばかりの表情でえずくような仕草を見せるだろう。そんな銀時に対して「ひどい!」と怒りながらも、内心でドキドキして喜んでいたに違いない。
――よっぽど、嫌がってくれた方が良かった。
(でも、私は、そんな反応をされる程度の存在なんだよな)
“悠月”との差を思い知って、また切なくなる。
次元が違う存在で、視線が交わることも名前を呼んでくれることも抱きしめられることも…口付けられることも
本来ならば絶対に叶うはずはなかったことだと 分かっているのに。
ファンとして喜ばしいことのはずなのに。なのに、こんなにも胸が切なくて、涙は溢れる。
「……っ」
天井を仰いでいた姿勢を変え、湯船の淵に両腕を置く。濡れたタオルを腕の上に置いて目元を押しつけ、響いてしまう声を押し殺すようにして唇を噛み締めた。
「“悠月”って誰だよぉ……」
▼△▼
「おい、今は使用中だ。入れねーぞ」
一度部屋に戻った沖田が浴場へと戻れば、脱衣場への出入口の前でそわそわしている隊士数人を見かけて声をかける。過剰な程に肩を震わせた隊士たちは「あ、そうでしたか」「すいません、またあとで気ます」などと言いながらへらへらと笑ってその場を去っていく。
「……チッ」
その後ろ姿を見て沖田は舌打ちを一つ。あいつら、覗こうとしやがったな。
沖田は脱衣場への扉の側で壁に寄り掛かるように廊下に座りこむと、持ってきたアイマスクをセットする。居眠りをしていようとも他の隊士たちは自分が側にいるだけで脱衣場を覗こうとする勇気が無い事を分かりきっていたからだ。
しかしアイマスクの下で目を閉じると、瞼の裏に陽と銀時の口付ける姿を思い出す。更に苛々して沖田は再び舌打ち。
とても居眠り出来る心境ではないので、気を紛らわせるためにイヤホンを耳につけて落語を聞くことにした。
「………」
「………」
「………?」
落語を聞いているからこそ、時間の経過に気付いた。じっくりゆっくり噺を楽しんでしまった。
携帯を取り出して一度時間を確認する。女の風呂は長いと聞いたこともあるが、あの人を気遣ってばかりの女が他の隊士たちを差し置いて長風呂をするとは思えない。
「おい、陽」
ノックをしながら扉越しでも脱衣場に聞こえるように少し張った声を出すも、返事は返ってこない。脱衣場にはいないのだろうと踏んでそっと扉を開ける。やはり脱衣場には誰もおらず、沖田は中へと進む。ちらりと衣服が置いたままの籠を確認してから、浴場への扉に近づいた。……音は何も聞こえない。
「おい、まだ入ってんのか」
「………陽?」
返事がない。
「……入るぞ?俺ァ何度も声かけたからな?てめーが怒ろうと知ったこっちゃねェからな」
釘をさすように声をかけつつ返事が返ってくることを願ったが、相変わらず浴場からは物音一つ聞こえてこない。シャワーを使って聞こえていないというのも違うようだ。
沖田は意を決して浴場への扉を開けた。
湯けむりで白んだ浴場の中、彼女の姿を探すように視線を巡らす。そして湯船の淵に身を預けるようにしてぐったりとしている彼女を見つけた。
「落ち込むのも下手かよ馬鹿が…!」
意識が朦朧としているのか返事はない。沖田は表情を歪めながら側に歩み寄り、着物が濡れるのも構わず湯船に足を突っ込んで彼女の体を抱き起こす。脇の下と膝に手を差し入れ、横抱きにして脱衣場へ戻ろうとした。
「………」
そこで無意識に…無意識にだ。彼女の体へ視線を落としてしまっていた。一糸纏わぬ彼女の体へと。
「……」
無言で視線を正面に戻して浴場を出る。脱衣場の隅に置かれている扇風機へ近づいて足で器用にスイッチを入れる。涼しい風に当たらせようとしたが、彼女の体を横たえさせようと思って一瞬思い止まる。
風呂上がり、濡れたままの裸体を床にそのまま置くのも……。
面倒だとは思いつつそこで考えを放棄しないのは、沖田にとって彼女の存在が変わりつつあるからだ。
片手を自由にさせるため一度彼女の足だけをおろし、右腕で体を支える。同じシャンプーとボディソープの筈なのに、彼女から匂いが漂ってくるだけで変な気分になってしまいそうになるが必死に無心を心がけた。
バスタオルを片手と足を使いながら床に広げて再び陽の足を持ち上げると、漸くタオルの上に横たえさせることができた。そっと体をおろすためと思うとなるべく体を見ないように…なんて土台無理な話である。
「のぼせたテメーが悪ィ」
誰に責められたわけでもないが、言わずにはいられなかった。
もう一枚タオルを取り出して体にかけてやろうとした時、沖田の視界であるはずのないものを捉えてしまった。そしてその異変に沖田は深く考えずに視線を向けていた――彼女の、胸骨部にある傷を見るために。
思い出すのは先日、マスクをつけて出勤してきた陽だ。頬にある誰かから殴られた痕を隠すためだった。きっとこの傷も同じ時に付けられたのではないか。こんなところを傷つけられたということは、何をされそうになったのか…もしくはされたのか、ある程度想像がついてしまう。
今日は今日で、好きな男に嬉しくもないような口付けをされて……これでは男に対して嫌な思い出ばかり増えるだけではないか。
傷付いた彼女へ、どう声をかければいいか分からなかった。
慰め方が分からなかった。
でも、彼女に元気になってほしい、笑ってほしいと心から思っているのに。
そう考えると自然と行動に移していた。胸骨部の傷を撫でて、悲痛な表情でそこに唇を落として。
唇に感触を感じたところで、漸く沖田も正気に戻った。
「……何やってんだ、俺ァ」
正気に戻ったことで、今自分の顔がどこにあるのか、状況を把握する。胸骨へ顔を寄せたということは、己の顔のすぐ両脇には陽の立派ではない乳房があるということで、
(やべ)
すぐに顔を離したが、もう遅い。熱が集まってきている下半身に思わず頭を抱えてしまった。…こんな奴に反応してしまうなんて。
幸い人は意識が朦朧としている陽しかいないが、流石にのぼせた彼女をおいておっぱじめる気にはならない。理性をフル稼働させながら小さなタオルを手に浴場へ行き、水で濡らして軽く絞る。冷たいタオルを彼女の首や頬にあててやって彼女の様子を窺った。早くしないと野郎どもが陽目当てにまたここにやって来てしまいそうだ。その前に移動しなくてはならないが、今ぐったりしている状態の彼女を着替えさせるのも苦労する。
「おい…早く起きろ馬鹿女。でないと勝手にオメーの手で手○キさせんぞ」
未だに熱が治まらない息子に思わずそう口走ってから、気付く。ああ、でも彼女は奴隷なのだから、命令すればやってくれそうだと。出会って間もない頃に大切なファーストキスさえ捨てようとしていたのだから。
いやそもそもこの状況どう説明するのだ。どう見たって、いくら鈍感な陽でも自分の体でおっ勃てたと気付くだろう。いったいどうしたらいいのだこの状況。
この真選組一番隊隊長をここまで振り回すとは…。
「いつか覚えてろよお前……」
─ 続 ─