沖田が浴場に乗り込んで陽を救い出して暫く。
水タオルで自分自身も色々と落ち着かせた沖田は、陽が漸く意識を取り戻したことに気付いた。横たわる彼女の頭上辺りで床に腰掛けていた沖田は、覗き込むようにして視線を合わせる。


「よォ。目覚めはどうでィ」
「……」


逆さまの沖田を見上げていたが、状況がよく分からないのかボーっとした表情でゆっくりと体を起こす。すると大腿にはらりと落ちたバスタオル。


「………」


バスタオルの下で何も身に纏っていない全裸の自分。


「……!!?」


陽は漸く今の状況に気付いたらしい。といっても、自分が全裸であることと側に沖田がいるということだけだが。
背中や臀部まで沖田に丸見えということにハッとして落ちたタオルで胸元を隠して振り返る。


「落ち込むならもっと違う落ち込み方しろ、主人に迷惑かけるとは良いご身分だな」
「…え、え!? 私風呂に…!え!? 沖田さんがここへ!?」
「感謝しろィ」
「……っ!!!」


そこで陽は沖田に裸を見られてしまったことを把握したのだろう。瞬時に顔を真っ赤に染め上げて言葉を失う姿に、沖田まで再び息子が反応してしまいそうなので、持っていた水タオルを陽の顔面目掛けて投げつけた。


「その顔やめろ」
「ぶっ!!」


遠慮のない勢いに一瞬ふらついてしまい床に手を置いて姿勢を保った。顔面に乗っかった水タオルを手に取って視界が開けると、沖田は立ち上がっているところだった。


「体拭いて早く着替えろ。他の野郎どもにその格好見られたくなかったらな」


「ちゃんと水飲めよ」と最後に声をかけながら、一度も視線を合わせずに脱衣場を出ていく後ろ姿を見つめる。この状況がまだ夢の中にでもいるのではないかというほど非現実的であったが、このまま惚けているわけにもいかない。
陽は静かに視線を落とす。タオルで隠してはいるが、決して自慢出来る程ではない胸を見下ろして、溜息を吐きだした。


「せめて……もっと色気のある体型を見られたかった……」



▼△▼



すっかり藍色に染まった空に欠けた月が雲間から顔を出す。皆が寝静まる時間帯、沖田と陽も布団を二組敷いてそれぞれ就寝体勢に入っていた。二組の布団の間は一メートル程間が空いているが、お互い家族以外の異性と同じ部屋で寝ることが無かったため部屋の中は少しぎこちない空気が流れていた。
沖田はそれを感づかれないようさっさとアイマスクをつけて布団に潜り込んでしまった。背中を向けるようにして横になる沖田を、陽も静かに布団に入りながら視線を寄越す。
すぐ側で沖田が寝ているなんて、本当に夢のようである。以前の居眠りを目撃した時とはまた違う。――この部屋には二人しかいないのだから。

銀時に夜這いを仕掛けたことが何度もあるが、あの時とはまた違った緊張感があった。…と、自然にそこまで考えてしまい陽は昼間のことを思い出して少しだけ胸を痛める。完璧な自爆行為である。


「……沖田さん。寝ちゃいました…?」


恐る恐る、もし寝ていたのであれば起こさない程度の声量でその背中に声をかける。
暫しの沈黙があり寝ているのかと判断しようとした瞬間、返事が返ってきた。


「……何でィ」


未だに背中を向けたままではあるけれど、陽は気にせずに再度口を開く。


「あの…今日、ご迷惑かけてばかりですいませんでした…」
「本当にな」
「…花見の時も、お風呂でも…助けてくれて……ありがとうございました」
「………」


今度は本当に返事が返ってこなかった。
沖田にとってどちらも感謝されるほどのことをしていないからだ。特に口付けのことに関しては何も解決させてやれていない。風呂だって助けたかもしれないが体を見てしまったし不本意ながら興奮までしてしまった。


「私、きっと今日あの家にあの人といたら…耐えられずに家出てたと思います……」


返事が返ってこずとも陽は構わずに話を続ける。


「お風呂も、どうして私を助けられたんですか?」
「…異様に長かったからだろ」
「時間、気にしてくれたんですね」
「別に、廊下じゃやることなくて暇だっただけでィ」
「……隊士の人が間違えて入ってこないよう、見張っててくれたんですよね」


沖田の優しさに気付いていた陽は嬉しそうに頬を緩めながら話しかける。その声音だけで陽がどんな表情をしているのか沖田は気付いて、鈍感な彼女らしい言葉に小さく呆れたような息を吐きだす。


「……“間違って”じゃねーよ。お前みてェなガキでも鼻の下伸ばす程女に飢えてんだよウチは。お前の貧相な体でも見てェとかパンツ見てェとか着物の匂い嗅ぎてぇとか思うんでェ」
「…そ…それは…考え過ぎでは……」
「いいからもっと警戒しろっつってんでィ。現に意識ぶっ飛ばしさえしなきゃァ俺に裸見られずに済んだんだぜ」


沖田からの開けっ広げに語られる男の欲望に陽は思わず頬を引きつらせるものの、自分をそのような対象として見てくるとは考え難かった。しかしその後に続いた沖田からの言葉に、陽は表情を変える。一瞬思案したように視線を彷徨わせたあと、


「……でも…沖田さんなら、まだ良かったかなぁと……」

「恥ずかしいけど、見られて嫌だって思う人じゃない、から」


そこには慕っており信頼を寄せている近藤や土方のことも入っていた。沖田も冷静に考えればそんなこと分かっていた。分かっていたのだが、言い方がまるで…期待させるようで


「お前…だから警戒しろっつってんだろうが……」
「え…?沖田さんに警戒するんですか…?」
「、」


沖田に対しても無条件の信頼を寄せている。そんな言葉を言われてしまうと、先程興奮してしまった沖田はもう何も言うことが出来ない。この女、男というものを分かっていないのだ。


「沖田さんてドSだし怒ると怖いけど…でも、最初に会った時よりも、一緒にいられる時間が嬉しいなって思うんです」


そんな男の心情など露知らずの陽は再び微笑みを浮かべる。

最初、お登勢に万事屋へ暮らすための交渉をする時も
禽夜に関する騒動で護るから目も耳も塞いでいいと言ってくれた時も
銀時からの口付けで頭が真っ白になってしまった時も


「いつも、助けてくれる。本当は優しい人なんですよね」


――違う。優しいから助けたわけではない。彼女だから助けたのだ。
あまりに笑顔が眩しくて、その笑顔を失くすことを黙って見ていることが出来なくて、それだけなのだ。


「…花畑みてぇな頭だな。何でも自分の都合のいいように捉えやがる」


沖田からの無愛想な返し方は何とも彼らしくて、陽は小さく笑い声を漏らす。


「沖田さん、大好きです」
「……」


アイマスクの下で開いていた瞼を閉じ、もう陽へ声をかけることもしない。静かになった室内で沖田は心の中で呟くのだった。


(二番目に、だろ)



▼△▼




翌日。久しぶりに隊士たちと朝食を共にした。神楽と新八のことが気にかかったが、明るく声掛けしてくれる隊士たちに陽は少し心持を軽くすることが出来て、笑顔も見られるようになってきた。
そうしていつも通りの仕事をこなし、普段なら万事屋で食事の片づけまでしていた分屯所での仕事が早く済み、晩ご飯の下ごしらえの手伝いをしていった。隊士たちは口を揃えて「少しはゆっくり休めばいいのに」と言うけれど、陽は忙しなく働いている方が余計なことを考えなくて済んで有り難かった。

お登勢の下で働く時も食事の用意をしたり客の話相手をしたりといつにも増して働いていた。花見の一件を知らないお登勢であったが、普段とは少し様子が違う陽に不思議そうにしていた。

そうして、時間はあっという間に夜更けになる。


(ここに帰ることが憂鬱になるなんてなぁ……)


階下で仕事を終えた陽は、階段の踊り場で立ち止まり「万事屋銀ちゃん」を見上げ溜息を零す。嫌なこと程早くやって来てしまうものだ。結局仕事の忙しさにかまけて何も考えないようにしていた。だからこそ、銀時に会う心の準備も未だ出来ておらず。


(いつもならだいたい皆寝てるし、大丈夫だよね…)


いつも通り自分のことなど構わずに寝ていてくれればいい。最初の頃は少しだけ寂しく感じたりもしたけれど、今ばかりはそれが有り難い。
階段を上り終える頃には覚悟を決めて、陽は音をたてないようそっと引き戸を開けた。


「!!」


すると、玄関で正座して待ち構えていた銀時がいたものだから、言葉も出ない程に驚いた。
赤い瞳がゆっくりと向けられ、心臓がバクバクと煩く鳴りだす。


「……おかえり」
「……ただいま…帰りました…」


その瞳を見ていられず思わず視線を逸らした。


「何、してるんですか」
「あー…いや、お前に謝ろうと思ってだな」
「!」


ハッとして銀時を見れば、気まずそうに頭を掻いて視線を右往左往させている。


「今日一日思い出そうとしたんだがよ…何したのか思い出せなくて。それも含めて……す、すいませんでした」


…彼は大人としてだらしなくて駄目な男で、格好がつかない程情けない時もある。けれど幾つも年下の女である自分に対しては、上からの立場で接していた。好意をぶつけて引っ付こうとする自分を冷たくあしらう、それがテンプレートとなっていた。
それが今、面影が見られない程に小さく縮こまり頭を下げている。


「……っ」


陽は込み上げる笑いを抑え込むように口元に手をあてた。

本当に、情けなくて、駄目な大人。だけど彼らしい。――あんなに顔を見るのが怖いと思っていたはずの気持ちが、消え去っていた。
自分に対してきっと多大なプライドがあったはずなのに、そんなもの金繰り捨てて素直に謝罪してくるところは、威厳も何も無いけれど、とても素直で好感が持てる。


(ああ、もう)


今日一日、ずっと自分のことで悩んでくれていたなんて。


(好きだなあ)

(めちゃくちゃ好きだ)


嬉しさや情けない姿への笑みが零れ、気持ちを押し隠すように掌で顔を覆う。

一方、彼女の気持ちを察することも出来ない男は、返事が返ってこないことに恐る恐る顔を上げた。すると彼女が掌で顔を覆っているものだから、泣いているのかと焦り慌てて身を乗り出す。そこで片足をついた時に、銀時はその場に体勢を崩した。


「やべぇっ、足すげー痺れてる!! う、動けね…!」


どれ程、正座した状態でいてくれたのか。
悶絶している姿がまた格好悪くて仕方ないのに、そこには銀時なりの誠実さが垣間見えてしまう。


「わ…悪かったって!俺に出来ることなら何でもするから!!」
「……」


何とか足を我慢して姿勢を起こし、顔を隠したままの陽に銀時は気まずそうな表情で下から窺う。彼女から何か言ってもらえなければこれ以上どうしたらいいのか分からない。普段馬鹿みたいに笑ってばかりいるから、自分の所為で笑顔でないことがこんなに精神に来てしまうとは思わなかった。


「…銀さんは、私のファーストキス、奪ったんです」

「しかも、私を私として見ずに」
「――っ」


漸く口を開いたかと思えば、銀時にとって予想していたような最悪な結果であった。息を呑み何も言えない銀時に、陽は徐にしゃがみこんで静かな声で続ける。


「本当……最低です…」
「…こればかりは…何も言い返せねーわ……」


普段なら自分が悪くないと言い訳でも何でもするのだが、十代の少女に酒の勢いで口付けるなんて、しかも初めてを奪うだなんて、それを別の女と重ねてだなんて……これ以上罪を重ねたくなくて銀時は言い返す気力も湧いて来なかった。


「ちゃんと責任、とってくださいね」
「は――」


「どうしよう」と考え顔が青ざめていった銀時は、その後彼女から続けられた言葉にすぐ反応することが出来なかった。否、反応する暇も与えない程に、すぐさま彼女が行動に起こしたのだ。

何年ぶりだろうか、唇に感じる柔い感触。

一瞬で消えた温もり、素早く離れる陽。呆然と阿呆面を晒しているだろう銀時に対して、陽は照れくさそうに頬を染めながらも、いつものような笑顔を見せていた。



「これで胸張って言えます、ファーストキスは銀さんだって!」



――その笑顔に安堵感を覚えてしまうなんて。彼女の行動で救われてしまうだなんて。銀時は悔しいながらにも敗北感を覚えざるをえない。驚きに一度見開いた目を細め、「んなこと言いふらすなアホ」と憎まれ口を叩きながら。



酒は飲んでも飲まれるな




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