「………?」


花見の翌日。
朝の鳥たちのさえずりにより銀時は目を覚ました。視界が真っ暗で一瞬どこにいるのか分からなかったが、自分が何かに頭を突っ込んでいるのだと気付いて引っこ抜く。…どうやら自販機の取出口に頭を突っ込んでいたらしい。恐らく酔った勢いで何かしていたのだろうが、全くもって思い出せない。
二日酔いの所為もあって頭が痛いが、何故だかそれ以外に体中も痛む。まるで誰かに殴られたような……いったい花見中に何をしたのか。全くもって思い出せない。

文字通り体中が痛むなか何とかして万事屋へと帰る。時間帯からして陽が朝ご飯を作っているはずだ。


「おぉーい…陽〜…水持ってきて〜…」


玄関で力尽きて床にぐったりと倒れこむ。玄関から近い台所ならば聞こえるだろう声量だったが、返事は全く返って来ない。…寧ろ料理をしている物音さえ聞こえない。
習慣になっているらしく寝坊などすることはないのに。まだ寝ているのだろうか。


「ちょっとー…銀さんお帰りだよー…神楽でもいいから水持ってきてェ……」


しかし早朝。神楽が目を覚ます時間帯ではない。陽が起きなければもうこの時間誰も活動することはない。銀時は諦めて痛む体を動かして立ち上がると、台所でコップに水を注いで飲み干した。もうひと眠りしようかと事務所へ向かったところで、銀時は漸く異変に気付いた。

――陽が、ソファにいないのだ。

まさか勝手に寝室で人の布団を使って寝ているのかと思って襖を開けたが、そこには布団さえ敷かれていない、自分が昨朝片付けた状態のままだった。

はて。どういうことなのか。

一瞬だけ思案するも二日酔いで痛む頭に考える気力を失くす。神楽が起きた時にでも聞いてみようと思い至り、ソファに寝転がって目を瞑った。


暫くして神楽が起きてきたので、銀時も物音で再び目を覚ます。視線を向かい側のソファに向ければ、神楽は寝癖を残した髪のまま山盛りのご飯に醤油を混ぜた生卵をかけて食べていた。
卵かけご飯なんて久しぶりに見た気がする。……ああ、そうか、陽が来てからは彼女がちゃんとした朝食を用意してくれていたからだ。


「神楽、陽どーした?朝から見ねーんだけど」


ソファから上体を起こして神楽へ声をかけると、彼女は蔑むような瞳をこちらへと向けてきた。


「自分に聞いてみたらどうネ」


声音も酷く冷めきっており、彼女が怒っているか自分を軽蔑しているということを否が応でも気付かされる。普段とは違う雰囲気に銀時はそれ以上彼女へ問いかけることが出来なかった。


「おはようございます」


気まずい沈黙を打ち破ったのは新八の声だった。沈黙に耐えがたかった銀時は彼の声がいつもより少し暗かったことに気付くことが出来なかった。事務所へと入ってきた新八へ神楽がいる手前言葉を選ぶようにして尋ねる。


「よー、新八。…俺…昨日、酔っててよォ…何も覚えてねーんだけど……な、なんかした?」
「……」


軽い荷物を下ろした新八の動きが一瞬止まった。しかしすぐに動いたかと思うと、彼もまた蔑んだ瞳でこちらに振り返る。


「本当アンタ最低だな。陽さんのこと泣かせたくせに忘れるなんて」
「――…」


その言葉に銀時の表情も変わる。

彼女は涙脆いところがあるけれど、新八と神楽のあまりにも普段と違う態度に、それ程に酷い泣かせ方をしたのだと予想がつく。…そうか、つまり彼女は自分を避けているのか。だから朝この場にいなかったのか。
外に追い出したってここに住もうと家の前に居座っていた女だ。…その女が、ここに居たくないほどに。
普段からきつい言葉をかけているのでそう簡単に傷付くとは考えづらい。どこまでのことをしたらそこまで避けられるようなことになるのか。



『銀』

『戦争が終わって、平和な世の中になったら――』



(………まさか)


一つだけ、思い当たる節がある。
考えるだけで嫌な予感がしてきたが、結局どれだけ記憶を振り絞っても思い出すことが出来ず真実は闇の中だ。ただただ予想が外れてほしいと願うばかりだった。


今日は大工の手伝いの依頼が入っていて一人仕事に出るものの、陽のことで集中出来ずに指にトンカチを打ち込んでしまった。おかげでギャグのように腫れあがる親指に嘲笑する。
依頼主に文句を言われながらも何とか仕事を終わらせて帰宅する。彼女が帰ってくるまであと数時間……。いつもならば夜更かししない限り寝てしまう時間帯に彼女は帰ってくる。出迎えないことの方が多い。
何事もなく出迎えるか、寝てしまって明日に持ち越すか。……大好きだと引っ付いてくる彼女が避ける程に深刻な問題なのに、そんな曖昧なままにしていいのか。いつもなら開き直ってしまうが、流石に大人としてそれはいかがなものか。…否、下手したら男としても最低になりかねない。


いつも馬鹿にしてあしらっているような十代の少女に対して、今更何を言うというのか。


「……泣かせたことに歳も何もねーか」


思い出せないままでも、まずは謝ろう。自分が彼女を傷付けたことには違いないのだから。

夕食のあとの食器を洗いながら銀時は密かに決意を固めた。


新八が帰宅して神楽が就寝した頃に、銀時は玄関で正座した。すぐに陽が帰ってくるわけではなかったが、姿勢を正して足の上に手を置き、最後の最後まで何をしでかしたか思い出せないものかと脳を働かせた。

そうしている間に一時間経ったか二時間経ったかそれ以上経ったか時計を見ていないので分からないが、同じ状態のまま過ごした。
満を持して帰宅した陽は自分が待ち構えていたことに驚いていたが、すぐさま気まずそうに視線を逸らされる。今まで好意を隠すことなく接してきていた相手からそのような態度をされると流石に少し効いてしまった。――散々、嫌われるように冷たく相手してきたくせに。

その後彼女から聞いた自分のしでかしたことに、銀時は頭部を鈍器で殴られたような衝撃で言葉が出なかった。自分が予感していた最悪の結果だった。
しかも幾つも歳の離れた少女の大事なファーストキスをそんな形で奪ってしまうなんて。

土下座すればいいのか。それ以外にどうすればいいか思い浮かばなかった。取り返しのつかないことをしてしまったのに、他に自分が出来ることなんて…。


「これで胸張って言えます、ファーストキスは銀さんだって!」


だから、彼女から口付けられることは考えもしなくて、予想外の出来事に年甲斐も無く驚いたのと同時に、救われたのだ。

気持ちがあるわけでもないのに、自分から彼女に口付けることなど出来ない。結局それは上辺だけのものでしかないから。けれど彼女が“奪った”のであれば、それはこの一方通行の関係でも説明がつく。そうすることで彼女にとってのファーストキスは、銀時が陽のことを“陽”と認識してしたものだと上書きが出来る。もし未だに嫌われていないのだとすれば、彼女にとってはちゃんと好きな男と出来たことになる。銀時の気持ちも汲んでなのか、彼に強要してこず勝手に奪ってくれたことで、陽も銀時の意思を無視して行なった行為ということになる。
表面上は“お相子”であり、陽にとっては結果オーライになるのだ。…表面上は。

実際はどう考えても銀時が悪い。なのに、彼女は笑ってくれるのだ。


(――…ガキのくせに)


敗北感にも似た気持ちを抱きながらも、彼女の笑顔にどこかホッとしてしまって、
そこにまた密かに悔しくなったりした。



▼△▼



「あ、銀さん、おはようございます」
「遅いネ銀ちゃん!もうご飯出来てるヨ!!」


翌朝、襖を開けるといつも通りの新八と神楽がいた。…どうやらもう怒っていないらしい。頭を掻きながら既に朝食を食べ始めている神楽の向かい側に腰掛けると、事務所と廊下を繋ぐ戸が開かれた。欠伸を零しながら視線を向けると、お盆に幾つかのお椀を乗せた陽が立っていた。すぐに視線が交わる。


「……っあー、銀さんも起きたんですね、今ご飯とお味噌汁よそいますから待っててください」
「……おー」


視線を逸らされた。まるで昨晩のように。まさかまだ根に持っているのかと再び憂鬱な気分に陥りそうになった銀時だったが、テーブルに神楽の残りの分と自分の分の朝食を置く彼女を視線で追って気付く。視線を合わさないように俯いたままの彼女の耳が赤く染まっていることに。


「………」


朝食の時だけではない。掃除をしている時にジッと見ていると一瞬視線が交わるが、やはり逸らされ、無理矢理視線を合わせようと覗き込むと顔ごと背けるのだ。そして全て、耳だけではなく、顔が真っ赤になっているのだ。


「……ガキだな、やっぱ」


あんな形であっても、彼女にとっては特別なものなのか。
自分のしたことを後から恥ずかしく感じているのか、全く目を合わせようとしないで逃げる姿に、少しだけ笑みが浮かんでしまった。



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