「………んん?」
陽は首を傾げる。
道端に座り込んだまま辺りを見渡してみても、何度目を擦ってみても視界に飛び込んでくる景色は変わらないし、地面に置いている手も土の感触を感じ取っている。
おかしい。自分はバイト先へ向かう途中、車の通りが多い大きな交差点にいたはずだ。
それなのに視界に捉えることが出来るのは、木造建築…というよりただの平屋が立ち並び、コンクリート舗装もされていない道という質素な景色。車も無い。人通りも少なく、通る人は皆着物を着ている。
混乱している陽はそのまま頭に手をやる。最後の記憶は目の前に迫る大型トラック――しかし怪我どころか体には僅かな痛みもない。もしや頭をうって記憶が飛んでいるのだろうか。
ブレザーのポケットに手を突っ込んで携帯を取り出し日付を確認するが、先程バイトに行く時に時間を確認した日と同じ日付。時間も十数分経ったぐらいだ。自分の知らない間に時間が進んでいるという考えはまず無いらしい。
しかしそこで不思議なのが今頭上には夜空が広がっているという事実だ。先程はまだ夕方だったはずだ。十数分でここまで暗くなるはずがないのに。
「…どこ、ここ…映画村…?」
どこか見たことのあるような平屋はまるでドラマで見たようなそれと同じだ。着物姿で歩く人を見るとそんな考えが過ぎるが、自分は東京にいたはずだ。
瞬間移動でもしたのだろうか。エスパーか何かか私は。
混乱したままの陽はそんなことを考えつつ、その場から動くことが出来ずにいた。
「!そうだ、GPSという代物があった……!!」
ハッとして持ったままの携帯を再度開く。しかしそこで陽はあることに気付いた。
電波が立っていない。
そんな、まさか…と思いながら、陽はインターネットの検索画面を開こうとした。しかしいつもの見慣れた画面が表示されない。ブックマークを適当に開いてみても同じように読み込まれないエラー画面が表示されるだけ。
アドレス帳を開いて友人に電話をかけようとしても、繋がらない。従兄弟にも、バイト先にも。
人の住んでいる場所で、このご時世電話が通じないほど電波の立っていない場所などあるのだろうか。
「……なにそれ…」
更なる混乱で耳に携帯を押し当てていた手を下ろす。状況が読み込めず混乱した中でも、嫌な予感だけは胸を占めてきていた。
そんな不安に更なる追い討ちをかけるように、ぽつりぽつりと降り出してくる雨。
雨粒が量を増して降りしきるなかでも、雨を凌ごうと動き出すことが出来ず、ただ星も見えず灯りも無い空を見上げる。東京にいたはずなのに、街灯もなく月明かりもないここは真っ暗だ。
人が訳も分からない状況について行けてない時に雨だなんて…どんな仕打ちだろうか。命懸けで人助けをしたというのにこの有様。世の中理不尽である。
雨の所為で人も誰も通らなくなってしまった。助けを乞うことも場所を聞くことも出来ない。何より灯りもない真っ暗な場所で雨に打ちつけられるこの状況は、孤独感を強く抱かせるだけだった。
制服が濡れていくことにも気に留まらず俯くと、視界がぼやけていく。もうこれは泣くしかないだろう。誰も居ないのだ、この際東京ではまず体験することはない“道端で雨に打たれながら大泣きする”というドラマのような所業をしてやろうと思い至った。自棄糞である。
「心細いよぉ……」
「男にフられたか?」
とうとう泣きだした陽に降りかかってきたのは、彼女にとって聞き覚えのある――寧ろ大好きな声に酷似する低い男の声だった。
と同時に、体に打ちつけられていた雨も感じなくなる。辺りは酷い雨であるというのに、自分と自分の背後に立つ“誰か”にだけ雨が降り注がれることはなかったのだ。
聞こえてきた声に陽は頬を伝う涙を拭うのも忘れて振り返る。自分の背後に立っていたその男は、手に持つ決して良い物とはいえないような傘に陽を入れてくれていた。
「――…」
「――!」
目を丸めて言葉も出ずに固まる陽と、陽の顔を見て僅かに驚いた表情を見せた男。二人して何かに驚いており言葉を発することも忘れていた。
特に陽は相手が驚いていることに気付けない程に驚いており、更なる混乱で完璧に脳がキャパオーバーしていた。
暫くの沈黙に包まれるなか、漸く沈黙を打ち破ったのは未だに状況に追い付けていない陽であった。
「あの…え…っと……ふーあーゆー…?」
キャパオーバーした脳では、何故か普段苦手で嫌いなはずの英語で質問するような謎の行動に出るようだ。発音も滅茶苦茶なその問いかけに、男は
「……あいむ銀サン」
問いに対する流れに合わせてか、これまた発音が滅茶苦茶な返答をしてきた。
けれどそんな返答の仕方などどうでもよかった。聞き慣れた声、馴染みのある呼び方、見慣れた銀色の天然パーマと死んだ魚のような目。陽にとってそれらは忘れた日などないほどのもの。
大好きで、愛してやまない。しかし――ずっと、一生手が届かないだろうと思っていた存在。
坂田銀時が、そこにいるのだ。
「――…ってんな馬鹿な!!」
陽は思わず妙な錯覚を覚えてしまった自分にツッコミを入れる。オタクで変態で夢見女子でついでに腐女子の自覚はあるが、流石に現実と妄想を混同してしまう程頭は悪くないつもりであった。きっとハイクオリティのコスプレイヤーに違いない。
突如声を荒げた陽に“銀サン”と名乗った男は、雨のなか涙を流していた儚げな第一印象とは違う滅茶苦茶な英語と自分へのツッコミを入れる彼女に思わずたじろいだ。
「…やべーよ俺変なのと関わっちまったよ。声かけたの無かったことにしていい?傘あげるから」
「え!? ちょっ、待ってくださ…!私今困ってるんです!!」
傘を置いてさっさと立ち去ろうとした男に対し、陽は慌てて白い着物を掴む。男は更に顔を顰めて陽を見下ろした。生まれてこの方17年、こんなに嫌悪感丸出しの顔を向けられたのは初めてである。現代の女子高生には心が折れてしまいそうであったが、陽はそれどころではなかった。
「ここっ…どこですか!?」
「は?迷子か?警察にでも行けって」
「警察でも良いですが行き方も分かりません!! ここはどこですか!?」
「どこって…その年でそれも分かんねーのかよ。ここはかぶき町だ」
「か…歌舞伎町?」
歌舞伎町ということは東京ではないか。歌舞伎町など女子高生の陽は行ったこともないが、それでも明らかに今のこの場の雰囲気とは違う場所であると分かる。こんな平屋だらけのわけがない。道が舗装されていないわけがない。
自分の知る歌舞伎町とあまりにも違う景色に何とか頭を働かせようとする陽であったが、男の背後にあるものを見つけ、固まってしまう。泣いたり硬直したり突如騒いだりまた硬直したり…そんなころころと変わる陽の態度に男は早くこの場から逃げたかった。
「……あの……あれ…」
「あ?」
「あれ……何ですか…」
「“あれ”?」
陽がそれを見つめたまま指差した方向――己の背後へと視線を向ける男。そこには最早見慣れてしまった景色の一部があった。
「ああ、ターミナルだな」
天人に地球の政権を握られ開国の際に造られた宇宙船発着の為の基地である。木造建築が多いこの町並みには不釣り合いな、近代的な巨大タワーのようでもあった。ターミナルの周辺にはビルも立ち並ぶが、それを遥かに超える高さがあり距離があろうとその存在は主張している。
この周辺から見るとターミナル周辺は世界…時代が違うように思える。そんな不釣り合いな光景にも見慣れてしまったものだ。
そしてそんな不釣り合いな光景も、同じように陽は見慣れていた。けれどそれはあくまで、紙面や液晶画面の中での話であって、
「……うそ」
「いや嘘つかねーよこんなことで」
僅かに体を震わせながら再度こちらを見上げる陽に男は眉を寄せる。今度は驚愕に震えて、忙しい女である。この世のものではないような目でこちらを見る陽に何かと思いながら様子を見ていると、やがて陽は口元を手で押さえながら後退りしていく。傘から出てしまっても、雨に濡れても構わずに、今度は男を指差した。
「ぁ……え…ほ、ほんもの……?」
「あ?よく分かんねーけど偽物じゃねーのは確かだ」
「よ……万事屋の…?」
「迷子のわりには知ってんのか。なに、俺そんなに有名人なったっけ」
鼻の穴に小指を突っ込んで暢気な男を最後に、陽の脳はもう働くことを諦めた。追い付けない状況に、陽の意識はふっと消え失せていたのだ。
「!? っおい!?」
─ 続 ─