「ん……」


意識を取り戻した時、陽の視界に飛び込んできたのは白い着物と白銀のふわふわとした髪であった。大きな背中におぶられているのだと気付いた陽は、自分をおぶってくれているだろう男に息を呑む。


「ったくマジで変なのに声かけちまった」


陽が目を覚ましたことにも気付かない男は、ぶつくさと独り言を呟いている。やがて彼が辿り着いた先には、よく見ていたあの建物があった。
「スナックお登勢」と「万事屋銀ちゃん」の看板を掲げた赤い壁の建物。もう、駄目押しのようにこの建物を見てしまったら信じるしかないではないか。

この目の前の男が、坂田銀時本人であると。


「………っふ…う…」
「え?ちょっとお前起きたと思ったらまた泣いてんのか?忙しい奴だな、何なんだよ…」
「か、感動、して……」
「どこで?今何に感動する要素あった?」
「今この瞬間ですぅ……」


大好きで、でもずっと会えるわけがないと思っていたはずの男に触れられている。あの大きくて頼もしい背中におぶられている。感じるはずのなかった温もりを、体いっぱいに感じられる。感動するなという方が無理であった。

一方の男――銀時は、自分の背中でえぐえぐと泣きだしている陽に頭を抱えたくなっていた。先程から言動が訳が分からないし、扱いづらいといったらない。


「私は…きっと……死んだんですね…」
「は!? 何お前死んでんの!? ちょ、やめろよ触っちまったじゃねーか……え?幽霊なのに触れんの。わりとお前はっきり見えるんだけど。違うよね幽霊じゃないよね?違うって言ってお願い300円あげるから」
「幽霊なのか分かりませんが…私も今貴方に触れられて体温を感じられて……感動で涙が止まりません……」
「何だよそれ気持ち悪ィし気味悪ィよ……」


関わりたくないと強く思うが、流石に泣いている少女を雨の中一人放っておくこともできまい。仕方なく銀時は階段を上がって我が家へと帰った。
引き戸を開けて玄関に入り、陽を下ろす。雨に濡れてびしょ濡れの彼女から滴が滴り落ちているのを見て、銀時はまだ奴が残っているだろうと声をあげた。


「おーい新八ーータオル持ってきてー」
「!」


何故だか今の呼びかけにさえ反応する陽に不思議には思うが、もう突っ込むのは面倒くさいのでスルーである。
事務所から声が聞こえて素直に出てきたのは新八だ。陽を見るなり首を傾げた。


「?お客さん…ですか?」
「いや…俺もよく分かんねー」
「は?」
「しっ…新八……」


新八はふと強く感じる視線に気づいて陽を見ると、彼女からは熱い眼差しが向けられていた。つい今先程まで泣いていた陽の瞳は潤んだままで、濡れている姿には色気さえあるように思えた。同年代の女子からのこんな眼差しとはまるで縁がなかったので、新八は僅かに頬を染めて戸惑いを見せる。


「おい新八やめとけ、こいつ死んでるらしいから」
「は!? 何ですか死んでるって!幽霊ですか?」


危うく惚れかねない様子の新八に気付いた銀時が止めると、新八も驚いて陽を見る。どう見たって普通の少女だ。…服装が少し変わっているが。
「オイやめなさい幽霊なんているわけねーから!!」と何故か声を荒げて矛盾を口にしている銀時に新八が首を傾げると、


「銀ちゃん遅いアル!どこほっつき歩いてたネ!」


銀時が帰って来たことに気付いた神楽も少し不満げな表情を浮かべながら廊下へと出てきた。続々と出てくる万事屋の面子に陽は呼吸することさえ苦しかった。激しい感情に口元を押さえて奇声や涙を抑えることに必死である。


「……とりあえずタオル」
「あ、はい」


陽の反応がまた奇妙で一瞬言葉を失っていた銀時と新八であったが、やむを得ず彼女にタオルを貸し出し、やむを得ず事務所へと通した。



▼△▼



「…で、雨降る中ずぶ濡れでいたこの人を連れてきたわけですか」


タオルに体を包み込んだ状態でソファに腰掛けた陽は、新八が用意したお茶を啜りながらも挙動不審に辺りをキョロキョロと見ていた。まさかあの万事屋銀ちゃんの部屋にいられるだなんて、未だに信じられないのだろう。目の前のソファに腰掛ける新八と神楽や、自分の席に座ってデスクに足をかける銀時――彼らのいる部屋。それらを確認していってじんわりと現実なのだと実感していた。


「ぶっ倒れられたら連れてくるしかねーだろ、俺だって嫌だったんだから」
「銀さんそんなはっきりと…」
「結局誰アルかお前?」


酢昆布を咥えたまま訊ねる神楽に、湯呑みを手にしたまま陽は元気よく空いている手を垂直に挙げて名乗った。


「常磐陽といいます!! 是非陽と呼んでください!!」


先程とは違うテンションに面食らい「はぁ」と曖昧に頷いた新八。気を取り直すかのように眼鏡を押し上げ、陽へ声をかけた。


「えーと、陽さん?」
「っ!! …あ、ありがとうございます…!!」
(え?何でお礼言われたの僕)


顔を両手で覆い感謝している陽に新八は戸惑うばかり。銀時に至っては最早ドン引きである。


「えー…あの、陽さん迷子なんですよね?住所どこですか?僕ら探しますよ」
「僕“ら”って!何勝手に決めてんだよ新八」
「しょうがないでしょ、このままじゃこの人帰れませんよ」


これ以上関わりたくない銀時は新八の発言に反論するが、新八の意見はご尤も。何より帰る家さえ見つかればそれこそもう関わらなくて済むのだ。
新八が再び陽へ視線を向けると、彼女は少し困った表情を浮かべていた。


「んーと…東京都二十三区って分かります?そこの一区に住んでるんですけど」
「………」
「ですよねー」


ここが現実でいう東京都二十三区に当てはまってしまうだろうし、東京など存在するわけがないと分かってはいた。無言で顔を見合わせる万事屋三人の反応に陽は「やっぱり」という顔である。


「あの…頑張って調べますんで!ちょっと時間を…」
「いや、いいの!ていうか物理的に帰れないといいますか…」


陽のためにと諦めない姿勢を見せようとした新八だが、陽は両手を前に出してそれを制する。何と言えば良いのかと口籠る陽に新八と神楽は首を傾げた。


「帰る場所が無いといいますか…」
「家出アルか?」
「そうじゃないんだけど……まぁ、帰れなくても良いかな、みたいな」


微妙な笑顔を浮かべて誤魔化すように告げる陽に新八は神妙な表情を浮かべる。帰れなくても良いとは――


「…か、帰りたくないんですか…?」
「………」


陽は親戚の家を思い出す。良くしてくれた、優しい人たちだ。心から感謝している。けれど、気を遣ってばかりで息が詰まりそうだった。決して帰りたい家とは断言できない。
あんなに心が休まらない場所は、我が家ではない。

今までとは違う陰の落ちた表情に銀時も気付き、僅かに目を細めた。


「――まぁ、私の意思に関係なく帰れないんだよね!だって次元が違うとこから来たみたいだし!」


取り繕うように向けられた笑顔のあと、また不思議なワードが出てきた。「次元が違う」というのはどういうことか。それほど遠い場所という言葉の綾だろうか。


「そ、それはどういう…」
「異世界から来たんだと思います!」


変な空気になってしまったので、その雰囲気を変えるためとはいえ陽はろくに考えもせずとんでもないことを言ってしまった。その考えなしの行動はやはり何だかんだで従兄弟と血が繋がっているようだ。
神楽だけはよく分かっていないのか無反応であったが、銀時と新八は言葉を失っていた。それさえも自分の発言を疑っていると捉えたらしい陽は、一瞬考えをめぐらせる。どうしたら異世界から来たと分かってもらえるのかと。自分が普通とは違うことを証明すればいいだろうという少し見当違いの答えに行き着いた陽は、パッと神楽へ視線を向けた。


「君の名前は神楽だよね!」


確かに、陽が来てから神楽は名前を呼ばれていなかったが。


「神楽は夜兎族の一人で故郷に帰るお金を貯める為にここで働いてるでしょ」

「新八はお父さんが亡くなってから道場復興のためにここで働いてる」

「銀さんは、甘党で糖尿病寸前でジャンプをこよなく愛する自称心が少年の、実は凄い人でいざという時はやってくれる超格好良い人」


(何か銀さんの説明だけ力籠もってるんですけど)


次々と万事屋の基本的な設定を述べていく彼女に口を閉ざす面々。再び沈黙に包まれたなかで、新八が徐に銀時を見やった。


「……銀さん」
「言いたいことは分かるが俺は何度でも言うぞ、不可抗力だったと」


何でこの怪しい人連れてきたんですか、と言わんばかりの視線に銀時も言わずもがな分かっており、寧ろ自身でも同じようなことを考えていた。何で連れてきてしまったのだろう、否何故声をかけてしまったのだろうと。しかし雨の中座り込んでいる少女がいたら放っておけないだろう。やはり不可抗力である。


「お前何で私たちのこと知ってるネ。ストーカーアルか?」


歯に衣着せぬ物言いで直球に訊ねた神楽に一瞬新八はひやっとしたが、陽は傷付いた様子も慌てる様子もなく僅かに上へ視線をやり少し考える様子を見せてから答える。「……ファンだから?」と。万事屋のファン…随分な物好きである。かぶき町の者であれば銀時が特に顔が知れ渡っているので万事屋の知名度も低くはないだろうが、彼女は迷子で今いる場所がかぶき町だということさえ分かっていなかったような女だ。何故そんな女が万事屋のファンになるのか、そんなきっかけあるわけないと銀時も新八も考えた。
まさか迷子ということが嘘なのか?とも思ったが、銀時はここに連れてくるまでの彼女の様子を思い出す。ターミナルを見て酷く驚愕していた姿を思い出すとそれも違うように思えた。もしあれが演技だとすれば彼女に女優でも目指すよう伝えているところだ。


「あのっ!私本当に帰るところないんです!だからここに置いてくれませんか!」
「やだ」


陽の申し出に銀時は間も空けずに拒否した。目に見えて驚いた顔をする陽に逆に問いたい。今までの己の数々の怪しい行動を見せておいて、何故置いてもらえると思えるのかと。



─ 続 ─


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