ねえ
先輩、
変わらずに向けてくれる笑顔に、私も目を逸らさず向き合えるような
そんな生き方をしたいと 思ったの。
▼△▼
「あ、八代さんおはよー!」
それは、もう聞くことはできないだろうと思った声だった。
私が友達と同じだからという理由でテニス部に入って数週間が経ったある日の朝、靴を履き替えて教室へと向かう廊下で私は彼と出会ってしまった。相手よりも先に見つけてしまい気まずさで逃げたかったけど、生憎逃げ場所のない廊下では下を向いて歩くしかなかく、あくまで自分は気付いてないように装って無事に通り過ぎることを願うしかなかった。なのにそんな願いも虚しく、彼は気付くのだ。そして…私に声をかけるのだ。あの時と同じ笑顔を向けて。
驚きのあまり顔をあげた私の視界に飛び込んだ純真無垢な笑顔は、私の返事も聞かずに横を通り過ぎてしまう。どうせ返事なんて出来なかっただろうけど。
もう、会話どころか 挨拶も交わせないだろうと思ってた。
入学してから私がバスケ部に見学通いする少しの日々は、まるで無かったことかのように他人のような関係になってしまうと思っていた。すれ違ってもきっと見向きもされないような。
なのに、彼は変わらない笑顔を向けてくれる。
──どれほど、救われたことか。
「あ、八代さん体育だったの?お疲れ様!今一年って体育何やってるの?」
何度、救われているのだろう、この自分よりも小さな先輩に。
授業が終わり体操服姿で更衣室へと向かう途中で遭遇し、いつも通りに声をかける彼を見ながらそう思った。テニス部に入って以来、初めて挨拶をされた日から約一週間…必ず、見かけたら一言は声をかけていく先輩。戸惑いばかりだったけど、どうしようもなく嬉しくもある。
自分とはバスケしか繋がりが無く、それが無くなればもう何も残らないと思っていたから。そして嘘が下手な彼からの挨拶・笑顔は、決して私を気遣って仕方なくしているものではないと分かるから。
「…バスケです」
「そっかー。じゃあ八代さん上手だから大活躍だったんじゃない?」
「このこのー」と肘で私をつくような仕草を見せる先輩。けたけたと笑う先輩の笑顔を見て胸が軋む。笑顔を見れて、笑顔を向けてくれて、嬉しい半面、私は申し訳なさと情けなさに苛まれる。
私は逃げた。自分から逃げたくせして、この笑顔を失うのは怖くて、この笑顔を向けてくれることに安堵している。
何を やってるんだろう。
「あ、早く着替えないと昼休み短くなっちゃうね。ごめん、じゃ!」
「空!!」
一瞬 時が止まったように感じた。
「……せんぱい」
かろうじて付け足した単語は、もはや彼の耳には届いていなかったかもしれない。背を向けて歩き出そうとした彼が振り向いた表情は、驚きに満ちていた。
「私、バスケが好きです」
「………え?」
先輩は突然の私の切り出しに全然ついていけてないのか、かろうじて返せた小さな声。大きな目を丸くさせたままぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「中学は…不真面目な部員ばっかで、そんな人達に努力を無碍にされて、もう部活なんてやらないって思ってた。でも先輩に会って、バスケ部見学させてもらって、またバスケ部に入りたいって思えたんです」
「…え?じゃあ、なんで」
「でも、同時に、私はあなたのプレーに惚れました」
あなたに 惚れました。
…言えやしないけど。
「マネージャーとして、側で一分一秒でも長く、あなたのプレーを見ていたいと思ったんです」
「え…えええええ!?」
でも、ウブな彼にはそんな心の奥底にある本音まで伝えずとも、相当な衝撃を与えたよう。こんなこと初めて言われたのだろう(それもそうだろう)、顔を真っ赤にさせて驚きの声をあげている。先輩の反応を見て少しだけ冷静になった私も、自分が恥ずかしいことを廊下で言い放ったのだと自覚し、頬が熱くなっていくのを感じた。
でも、もう引き返せない。
これ以上、この人に対して罪悪感を持って生きて行くのは 嫌。
「え、と…?なんか、アリガトウ、うん」
「……」
「それじゃあ、尚更、どーしてテニス部に…」
「………みんなが、真面目に、心の底からバスケを好きでバスケと向き合っているのに、私だけそんな柔な気持ちで入部できないです」
きっかけは薮内さんへの嫉妬からだけど、でもそれは元から考えていた列記とした理由だった。ただ先輩を見たいから同じ部活に、なんてどこぞのミーハーな女生徒Aだろう。バスケ部のみんなに申し訳ないと思った。
「嘘…ついて、ごめん なさい」
やりたいことは見つけた。でも 私はそこから逃げたから。
「………」
その場が沈黙に包まれてしまう。こんな、告白したわけじゃないのに、どうして恥ずかしさに見舞われてしまうのだろう。後悔はしてない、上手く言葉にできていたか分からないけど、ちゃんと謝れたから。
「やわな気持ち?」
やっと口を開いた先輩に恐る恐る顔をあげると、先程の真っ赤な顔はそこになく、心底不思議そうに首を傾げていた。
「そう思えるってことは、バスケに対して真剣だからなんじゃないの?」
「それでジューブンじゃん!」
「──…」
そうしてニッと笑う彼の笑顔に、私はまたこの感覚を味わうことになる。
心の中の重いものがフッと消え失せて晴れ渡ったような気持ちになるのだ。
この感覚、三度目。
全部先輩がもたらすもの。私の心を救ってくれたのは、いつだって先輩だった。
「……あははっ」
一人でうんうん悩んでいたことがバカらしくなってしまうのだから不思議。彼といると初めてのことばかりで、でも心地よくて温かくて、ドキドキして。こんなにも私の気持ちが変わってしまうんだから、きっと彼は魔法使いか何かじゃないかなと ちょっと本気で考えてしまうわけだ。
先輩、
(私、バスケ部入ります)
(──…よーこそ!八代さんっ)