『私の進路は銀八先生のお嫁さんです』

『バカかおめー、俺はお前みたいなガキ興味ねーよまな板』



そんなやりとりをいったいこの三年間で何回繰り返したか。

これでやっと、それも終わりだ。あのうざったいガキんちょとも、さよならだ。



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校門の近くは未だに人が多くいた。悲しみ涙まで流す卒業生や在校生、教師に世話になったと頭をさげる親。それが本当に最後になると限ったわけでもないのに、まるでもう会えないかともいうように別れを惜しんでいる。そこまで悲しむのなら連絡先を交換して今後も連絡を取り合いたまに会えばいいものを。この便利なご時世、メールだってSNSとやらもあって寧ろ簡単にコミュニケーションをとれることが問題視されたりもしてるというのに。人間とは本当に矛盾している。

…まぁ、自分も矛盾だらけなのだが。

結果そう言った考えで落ち着いたものの、教師らしからぬ冷めた考えをもち、どこか冷静に他人事のように傍観していたのは銀八である。これでも卒業生の担任だ。


基本的に声をかけた生徒には適当に返してやっていたが、一頻り自分の生徒あたりには声をかけられたので、その場を去ることにした。辺りを見まわしてみるが、思い当たる姿は見つからない。奴が行く場所なんてそう幾つも思いつかず、ほぼ毎日来ていた教室へと向かった。

外とは違い静まり返った校舎内。学校のない日に来る程仕事好きではないため、人のいない校舎の中を歩くのは新鮮な気持ちだ。いつもは生徒が他愛ない会話をしたり、くだらない遊びで走り回ったりと騒がしい廊下も誰ひとりいない。
慣れた道のりで教室へと辿り着くと、すぐに見つけた。



「おーここいたのか八代」
「…先生」


ガラリと音をたてながら教室の扉を開けると、窓際の一番後ろ…自分の席に座って黄昏ていた紗枝が徐にこちらを見た。決して明るく騒ぐタイプではないため、変人だらけのクラスの中では地味な方だった。しかし小生意気で飄々としていて一筋縄ではいかない生徒であるのは確か。自分に対しても生意気で、決して教師として敬うような態度など見せなかった。それは嫌な意味だけとは限らず、自分を特別な存在として見ている…そんな気持ちを物怖じせずハッキリと伝える肝の据わった女だ。


「お前、大学行くんだっけ」
「そうですよー」


進路を聞く度に自分の嫁になると言って聞かなかった彼女が、気付けば大学への進学を決めていた。
三年間彼女の担任をしていたため途中からの彼女の変化には何となく気付いていた。成績も確実にあがっていたし、進路に関する授業は真面目に受けていた。流石に二年生後半辺りになればちゃんと進路も聞いておかないといけないと、紗枝にも問いただしたこともあったが。彼女の口からは同じ言葉が放たれるだけでまるで時間の無駄だった。

聞けば電車で二時間以上かかる場所にある大学に通うらしく、通学が大変なため実家を出て一人暮らしを始めるのだとか。「勉強と遊びで大学生活は忙しいだろうから、先生の顔も拝めなくなるなあ」などと笑いながら話していた。何故笑顔?と内心思ったがすぐに書き消した考えである。



『先生見てー!』

『あ?』

『大学合格してた!』

『………おー、オメデトウ』



心底嬉しそうに報告に来た彼女を思い出す。何となく察していたがどこの大学に受験したのかさえ教えてもらえずにいた銀八にとって、その報告はだいぶ飛んだ話であった。やっと彼女が目指していた大学をその時知れたのだから。驚きと僅かなショックで頭が働かなくなったが、かろうじて担任らしく祝いの言葉をかけてやった。だが追いうちをかけるように些細な疑問が浮かび上がった。

──あれ?俺のお嫁さんはどうしたんだコイツ。

生徒相手にそんな疾しいこと考えるわけにもいかず紗枝の告白のようなものを無碍にしてきたが、実際は満更でもなかった。毎回進路を聞く度にそう言うもんだから、コイツなら卒業までこのままでもきっと…そんなことを考えたりしたのだが。


いや、何が「きっと」だろう。何を期待していたんだ。所詮は何歳も年下の子供で、心移りが激しく夢中なものがころころと変わっていく年頃ではないか。「きっと」が成されたら、自分はどうしたというのだろう。


「…先生、私ねー」
「あ?」
「教師になろうと思うんだ」



だから、お嫁さんはどうなったんだよ。



教壇の横にある自分の席に座った銀八に、紗枝は聞いてもないことをぽつりと話しだす。
自分と同じ職業じゃないかと考えることもなく、まさか自分を見て教師を目指すようになったのだろうかと期待も抱かず(抱く余裕もなく)ただただ銀八は普段の紗枝の言葉の真意をひたすら考えた。

良い年した大人をからかっていたのだろうか。これだから近頃の女子高生は。


「お前に教えられるなんて未来の子供も終わったな。せっかくゆとりも終わったってのに破滅の世代が出来あがるじゃねーかよ」
「ひっどい言い様だな相変わらず」




『…じゃー先生のお嫁さんでいーよ』

『何だその1マイクロも愛のこもってない告白』

『だって愛なんか無いもん』



『八代ー今度こそまともな進路考えてきたんだろうな。せめて進学か就職かニートかは選んでるんだろうな』

『進路希望は続行で、先生のお嫁さん』

『……それは考えてこなかったってことかコラ』

『考えた末ですよ』



『さあ八代』

『はい』

『今日こそは聞かせてもらおうか』

『先生のお嫁さん希望で!!』

『だァーかァーらァー』

『…本気ですよ。本気じゃなきゃ何度もこんなバカげたこと言いません』

『………』




最初は本当に冗談にすぎない戯言だった。それが、同じようなやりとりを見せるうちに、彼女から真摯な想いを向けられていることに気付いた。
そんな彼女から向けられる気持ち、言葉に、嬉しくなるようになったのは  いつからだろう。



「もう俺のお嫁さんなんていうバカげた夢は諦めましたか」



彼女の顔も見れなくて外で未だに屯っている生徒たちを眺めながら、自然と口走っていた。内心で何故そんなこと言ってんだ自分から掘り返すなんて、と少し焦ったが決して表には出さない。大人の余裕というものを見せておきたいものなのだ。
対して紗枝からは答えが返ってこない。それはどう受け取るべきなのだろうかと悶々としていると、


「それが残念。諦めていません」
「…あ?」


いつも通りの声音が聞こえて、思わず紗枝へ視線を向けた。紗枝は相変わらず余裕綽々で、自分と視線が交わると笑みを深めた。


「先生みたいに皆に好かれるような教師になってまたここに戻ってくるから、待っててくださいね」
「…何で俺が待たないといけねんだよそれ。俺に一生独身でいろってか」


そんな風に冷たく突き放してみるも、内心では「先生みたいに」という言葉に舞い上がっていたりする。自分を見て将来を見つけた彼女に嬉しかったりする。
その所為で遠い大学に行ってしまうのだけど。


「数年我慢してよ」
「ばっかおめーは若いから大したことねーだろうが俺そんなに待ってたら列記としたオッサンだからね」
「オッサンでも先生を好きでいる自信があります」


ペロペロキャンディーを咥え必死にニヤけるのを抑えていたが、最後の言葉には思わず目を開いてしまった。



「先生、好きだよ」



あまり見せることのない柔らかな笑顔は、大人びた可愛さをにじみだす、不覚にも息を呑んでしまうような表情だった。
そして彼女からの直球の言葉は、思い出してみれば初めて。ずっと「嫁になる」とは言っていたが、その本意は察することでしかなく、確かな言葉など無かったから。何となくそうなんだろうと片付け、特にその言葉を求めていたわけではなかったが、いざ言われてみると自分の心の変化に気付いてしまう。

嗚呼、こんな感覚何年ぶりだろう。
ドキドキと高鳴ってしまう胸に、「ガキか俺は」と恥ずかしさに見舞われた。



「…八代、その呼び方じゃあ一生俺の嫁にはなれねーぞ」
「……は?」
「自分の生徒、嫁に貰うつもりねんだわ」


あくまで、大人でいたい銀八は 口角をあげて紗枝に告げる。紗枝は先程の大人びた笑顔を一瞬で消して、自分を見つめぽかんとしていた。こういう表情の時はアホっぽくて普段の成績が悪い生徒に過ぎないのに。ああ、でももう自分の生徒ではないんだっけ。
何故だか小さく笑いだした紗枝に、思わず溜息を零す。


思ったよりも自分は、彼女を好きになってしまったようだ。


「…それじゃあ、私がお嫁さんになったら、その呼び方は通用しないね?銀ちゃん」
「……馴れ馴れしいなオイ」




携帯の画面に表示されている元生徒の名前を見つめながら、自嘲にも似た笑みをこぼす。
これが最後と限ったわけでもないのに繋がりを自分から求めてしまった。数年間会うことが叶わないのなら、せめてこれぐらい。メールも電話も得意ではない自分は繋がりがあるだけで満足してしまうから、恐らくほとんど連絡をとること等無いだろうけど。


(しょうがねーから待っててやるよ、紗枝)


数年後の奇跡の再会とやらを信じてみようか。


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