※体が不自由な女の子(必読



「ねー紗枝って誰ー?」


自宅への帰り道に千鶴が訊ねた質問に、他4人が一瞬言葉を失くした。
そんな空気を読みとることも出来ず、「ねーだれ―?女の子でしょ?可愛いの?」としつこく聞いてくる。

さて何故千鶴がその名を知っているのか。
それは職場体験として千鶴を除いた4人が幼い頃に通っていた幼稚園に行った時、お世話になった先生に来て早々に訊ねられたのだ。「あれ?紗枝ちゃんは一緒じゃないの?」と。
勿論千鶴には聞き覚えのない名前が出てきて、しかも女子の名前なものだから、気になって仕方ないのだった。


「──…紗枝は、ね」
「な」


悠太が口を開いて、説明を求めるように隣を歩いていた要を見る。要もその視線に気付いたが、困ったように頷いてから、悠太とは反対側にいる春を見やった。
春も一瞬祐希を見たが、無表情のままでとても説明するような雰囲気ではないと感じとり、重々しく口を開いたのだ。


「あの、幼馴染だったんです」
「で?で?その紗枝ちゃんは今いずこ!?」
「今、日本にはいません…」
「え?海外旅行?」
「んなわけねーだろ」


春の決して明るくはない表情から察することもなく、素で阿呆なことを言う千鶴に要がツッコミを入れる。


「中学生になってすぐ、手術のために外国へ行ったんです」
「手術?」


「──病気で喋れなかったんですよ、紗枝ちゃん」





『みんなで手話を覚えましょうよ!』


小学校高学年の頃。
話すことが出来ない紗枝が毎回筆談をしなくて済むようにと提案した春に、要と悠太を賛成した。
紗枝も声が出ない分、気持ちが表情に出る少女で、自分のためにと行動してくれることがとても嬉しかった。


『ねっ祐希君も覚えましょう!』
『えー』


しかしその和やかな空気をぶち壊したのが、祐希だった。
漫画を読んで春の提案に何の反応も示さなかった祐希は、話をふられてやっと顔をあげた。
しかしその表情は、至極面倒臭そうで。


『別に覚える必要ないじゃん。今で間に合ってるんだから』
『祐希』
『オレ手話とか無理、覚えらんない』
『お前なあ…』


紗枝のことを考えて最初制した悠太だが、祐希はあくまでマイペースを貫いた。
おろおろする春の横で、要はひとつ祐希を叱ろうと口を開く。しかしそれを止めたのは他でもない紗枝であった。
要の服を掴んで首を横に振る。その行動で、紗枝の言いたいことは、確かに手話が無くとも伝わるけど。


『……僕は覚えますよ!手話!』


春が紗枝を悲しませないようにと、両手を拳にして熱意を伝える。真剣な目に、本気で覚えてくれる気でいるのだと伝わる。続いて「オレも覚えるよ」と悠太も要も言ってくれて、紗枝は眉を下げて笑った。嬉しさと寂しさの入り混じった笑顔だった。

その複雑な表情に、紗枝の心境が伝わる。幼い頃から一緒にいた悠太たちも、勿論祐希も。
だからこそ祐希にとって、手話などという面倒なコミュニケーションは必要ないと思ったのだ。彼女の表情、行動で気持ちが伝わるから。
でも、だからこそ


(──何で悲しそうなの、紗枝)


ノートに“ありがとう”と書いて三人に見せる紗枝は必死に笑顔を取り繕っているようだった。一瞬見せる悲しそうに視線を落とした暗い表情を見逃さなくて、それが祐希には不思議だった。



大きな転機が起きたのは、この約2年後のことだ。



『………は?』
『紗枝…ッ外国で手術受けるって…!病状によっては、次いつ帰ってこれるか分からないって』


珍しく一人で漫画を買うために本屋に向かって、新しく出た雑誌を立ち読みしていたところ
焦った表情で駆けつけてきたのは悠太だった。
相当走ったのか息をきらしながらも、なんとか祐希に事情を話す。


『今日、最後の挨拶回って、そのまま出発するって…!』



言ってる意味が、分からなかった。


『今多分家にいったん戻って…ッ』
『……え。今日?』
『今日っ』
『何で……何で前もって』
『言ったら気を使うだろうから、って』
『……オレには、何も言わずに行くんだ…』
『──紗枝は、祐希は自分のこと面倒くさいだけだろうからって…そんなことないってオレ言ったけど聞かなくて』


何 それ


雑誌を棚に戻して本屋を駆け出す。慣れた道を走りぬけて、目指すは彼女の家。
幸いにも本屋から彼女の家はさほど離れていなかった。走って少しすれば彼女が住んでいた家と、その前に停めてあるトラックが視界に入る。


『紗枝!!』


トラックに乗り込みそうだった彼女を今止めなければ、もうずっと会えないかもしれない。
その気持ちに駆られて柄にもなく声を張って名を呼んだ。
無事に紗枝の耳に届いてくれたようで、トラックに乗り込もうとした動きが止まりこちらを見る。大きな目を更に丸くして、駆け寄ってきた祐希を凝視していた。


『……っあのさ』
『……?』
『勘違いも甚だしいんですが』
『……』


息を整えながら祐希は話しだす。二言目が少し冷たいように感じて、紗枝は不安げな表情を浮かべた。


『オレは、運動も勉強も、手話も、基本的には面倒くさいけど』

『紗枝のこと、面倒くさいなんて思ったことない』


『だって、オレ……ッ』


そこまで言って、口が動かなくなってしまった。
「だって」なんだというのだろう。
紗枝のことは、口には出したことがないが 大切な存在だった。
それはきっと悠太も、要も、春も同じ気持ちであろう。幼い頃から、喋れない紗枝の代わりに周りに意思表示をしてきて、いじめの標的にされれば必死に守った。
では幼馴染だから大切なのか   否、

オレは──


紗枝を見つめたまま言いあぐねている祐希は、彼女がきょろきょろと辺りを見るのに気付いた。
自分の服のポケットあたりをぽんぽんと触って何かを探しているのを見る限り、筆談するための書くものを探しているのであろう。しかし彼女は今出発しようとしたところで荷物はトラックの中、祐希も漫画を買うことしか考えてなかったので財布しか持っていない。
紗枝が何かを伝えようとしていることには気付いた。

紗枝は書く手段が無いのだと判断すると、諦めた様子で
すっと両手を動かし始めた。


手話だった。


一つ一つの動作を丁寧にゆっくりとやってくれているが、紗枝自身と自分を指差して来たことしか意味は分からない。恐らく、「私は、あなたが」ということだろうが──その後に続く動作はまるで分からない。


────みんなで手話を覚えましょうよ!

────別に覚える必要ないじゃん。今で間に合ってるんだから


春の提案をいつも通り面倒くさいと一蹴したことを、酷く後悔した。
何が間に合っているのだ。こんな肝心な時に、彼女の伝えたいことを理解できないじゃないか。



『紗枝ー早くしないと乗り遅れるわよー』
『!』


紗枝の母の声がトラックから聞こえ、紗枝が一度トラックの方へと振り向く。
再度祐希へ視線を向けた紗枝は寂しそうな表情であったが、精一杯の笑顔を向けて手を振った。


“ばいばい”





ずっと、後悔していた。
ちゃんとしたことも伝えきれず、相手の言いたいことも分からないまま大切な幼馴染は海の向こうへと行ってしまった。

祐希は千鶴を中心として騒がしく話している連れの横で、ボーっと歩きながら少し幼い少女の笑顔を思い出していた。




「祐希」


いつも通りの学校生活に、変化が訪れた。
休み時間になると珍しく悠太から祐希のいる教室へと訪ねてきたのである。出入り口からちょいちょいと手招きをする兄に、祐希は不思議に思いながら歩み寄る。当然隣の席の千鶴も興味津々でついてきた。


「なに?」
「ゆうたんから来てくれるなんてめっずらしー」
「祐希、びっくりするよ」
「…?」


穏やかでどこか嬉しそうな表情の悠太に、更に訳が分からない祐希と千鶴は二人揃って首を傾げた。
そんな二人に悠太は表情を変えないまま、廊下へと出る。出入り口の側では、一人悠太たちのことを待っている生徒がいた。
悠太に続いて教室を出た祐希も、そこに立っていた生徒に気付き顔を見た瞬間──目を僅かに開く。



「──…紗枝」



数年前以来の彼女は、髪も身長も少し伸び、顔立ちも大人びていた。だけど、口角を少しだけあげて遠慮がちに自分を見てくる視線のやり方は、自分の記憶の中にある彼女そのままで。見てすぐに、離れ離れになってしまった幼馴染だと分かった。


「今日、うちのクラスに転入してきたんだ」
「え?紗枝ちゃん?紗枝ちゃんってもしかして前に話してた──」
「祐希、オレたちジュース買ってくるね。ご飯は屋上集合だよ」
「えっ、ちょ、ゆうたん!オレにも紹介してよ!オレのことも紹介してー!ゆっきーも黙ってないで…ッちょっとーー!」
「千鶴うるさい」


空気を読んでか、騒がしい千鶴を連れてその場を立ち去った悠太。
廊下は昼休みということもありそれなりに生徒もいたが、まるで誰もいないのではないかというぐらいに、祐希には他の声など届かなかった。


「………ただいま」


恐る恐るという様子で紡がれた言葉は、掠れて声量もなく、決して一般の女の子らしい可愛い声ではなかったかもしれない。
しかし、騒がしい廊下で唯一、はっきりと聞き取れた紗枝の初めて聞く声に、祐希は言い様のない嬉しさで胸が熱くなるのを感じた。
自分もそれに応えようと、祐希は突然の出来事で混乱しそうな頭を何とか動かす。両掌を軽く握り、左手首に己の右手首をトントン、と重ねた。


“おかえり”
「…あ……」


それが手話だとすぐに分かった紗枝は、目を丸める。
祐希は驚く紗枝に少し間を置いて、再び手を動かした。あの日、紗枝がしてくれたようにゆっくり、丁寧に、噛み締めるように


“オレも 紗枝が大好きです”


あの日、紗枝が最初にしてくれた動作とほぼ同じ動きで
ここからは、自分で調べて覚えた言葉で


“今も 昔も”



紗枝の別れ際の手話を、動きを必死に覚えてその後意味を調べた。
“私はあなたが大好きでした。今までありがとう”
内気な彼女の、勇気を振り絞った告白だったのに、それに応えることが出来なかった。ずっとこの数年間心残りだったのだ。


“紗枝はもう オレのことどーでもいい?”
「……ううん。あの日からずっと、忘れた日は、なかったよ」


記憶を絞り出して拙い手話で訪ねれば、紗枝は嬉しそうに首を横に振り、まだ喋りづらいのかゆっくりと話してくれた。
彼女の声が聞けるのは嬉しいけど、それは正直喉に大丈夫なのかと不安になってしまう声で、素人であれば心配になるようなものだった。


「…オレ、まだ手話は、完璧じゃない。けど、多分前よりは、筆談しなくて、済むでしょ」


できれば彼女にどれだけ手話を覚えたのかを見てほしくて、でも合ってるのか不安で喋りながら手話をした。そのため話すのはゆっくりで、手話自体も思い出しながらなのでぎこちない動きであったが。


「紗枝のためだったら、オレ、なんも面倒くさくないから。無理に、オレたちのために、喉使い過ぎないでよ」


「……合ってる?」


終えてから紗枝を見て首を傾げて確認すると、そんな姿が面白かったのか紗枝は口元に手を持ってきて小さく笑った。
そして、「合ってる」という意味で何度か頷く。


「祐希くん」


“ありがとう”


初めて彼女の声で名前を呼ばれて、彼女はゆっくりと手話で感謝を述べる。紗枝に名前を呼ばれることが新鮮で呆けていた祐希。その後彼女に手を引かれ少し身を屈めた瞬間、頬にキスをされて言葉を失う。
瞬きを繰り返す祐希に、紗枝は「してやったり」という風に悪戯っぽく笑っていた。


「……紗枝さんてば」
「?」
「外国の空気にあてられたんですか。随分と積極的になりまして」
「……ッ!」





手話って単語ずつで見てみると結構言葉の意味通りな動きだったりしますね。ちゃんとした会話でもの凄いスピードでやられたら絶対分かりませんが。久々に書いた祐希は祐希っぽくできなくて苦労しました。何より長い。



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