春です
新年度に入りまして気持ちも環境も一新する季節となりました。私は特に変わりありません、こんにちは。
この時期は大変花粉がつらいのですが、お天気がいいので窓を開けるとちょっと気分が上向きます。春めいた空って夏の青空よりも少し淡くて可愛らしいので結構好きです。花粉はつらいのですが……。
旧年度最後の更新分についての話をしなかったな、とめちゃ今更気づいたのでなんかその辺りのお話を追記でします。というかマーリン周りの話。
浮気症なので基本的に一人のキャラだけ常に書き続けるみたいなことができないのですが、マーリンってそういえばFate関連で初めて二次創作したキャラだったな〜と最近黙々と書いていて思うなどしたり。「魔法使いは〜」のやつ。もう何年も前のなのでキャラ解釈の掘り下げも甘かったり文章も拙かったりと今見ると少々恥ずかしいのですけれど、方向性としては当時から変わっていなくてちょっと面白かったりします。
ヒトデナシ、ろくでなしというのはマーリンというキャラについて回る評価だし、まあ本人もそう言ってはいるのですが、なんというか奈須きのこの考える「ヒトデナシ」っていわゆる非道とか不誠実とかみたいなわかりやすい「酷い」ではないんだろうな、というのはなんとなく感じ取れることで。非道、不誠実、酷薄みたいな要素、まあマーリンにないとは言わないんですけど、むしろ彼どちらかというとウェットな質というか、ロマンチストなところが多分にあると思っています。GoAではもちろん、ラストエピソードでのアルトリアへの語りとかFGOの主人公に対する振る舞いとか。
その上で、自らのそういう感情を自分では大切にできない、どこか突き放している、意味のないものだと見做している、みたいな辺りが奈須きのこの考える「人間らしさ」とはちょっとズレてるんだろうな〜と。自分を他人みたいに語れちゃうというか、何なら自分こそが一番価値のないものだと思っている、みたいな部分が。ロマンにもきっとそういうところがあって、だからこそ彼も本編中で「ろくでなし」と度々言及されるのだろうと思うのです。
まあ残念ながら私には「人間らしさ」を端的に語る奈須きのこ作品が今ぱっと思いつかないので完全にフィーリングの話になるのですが。でも例えば、SN作品を語るとき、本編中で人間として間違っていると指摘される衛宮士郎は度々「人の形をしたブリキ」みたいな例えかたをされています。彼の場合は冬木の大火災によって真っ先に人間としての「○○士郎」を削られたからこそそのような言い回しをされるんだけど、奈須きのこの言う「ヒトデナシ」ってそもそもそういう部分が最初から欠けている存在のことを言うのかなあと思ったり。
あとはマシュにとっての「先輩」の定義とか、あそこら辺は直截に人間性を語っているような気がします。人間性というよりは人間の善性についての話だけど。怖くても怯えても誰かのために手を伸ばせることや生物として率先して誰かのために損をできるのが人間の善性(「先輩」)だと言うのなら、「怖くて怯える」ことは間違いなく人間性だし、それを「損だとわかる」のもまた人間らしさなのだろうなと。
では逆説的に「ヒトデナシ」とは何を指すのかといえば、「怖くても怯えない(その怖さに価値がないから)」「損だとわからない(自らの存在に意味を見出せないから)」なのかなあ……と思ったりして、まあ確かにそれは「ろくでもない」な、などと思うのでした。
無意識に自分を世界の中心として見ている人間の価値観とは相容れないし、そりゃまあ感情が生まれてもそれを第一にできないなら「感情なんてちょっとしかない」になるだろうし。うーん、このあたりの話とかいつか明確に語られるのを聞いてみたいです。ひいては奈須きのこという作家の人間への哲学が見えそう。
とまあ、だらだらと書いておいて「いやでも上げたのアレでは」となるわけですが、うるせ〜〜〜知らね〜〜〜〜〜以下略。ちゅーしてるだけの話とか初めて書きました。夢歴何年よ。
一応、その、自分の感情を第一にできない(価値を感じない)存在が「大切にしたい」を伝えられるのはすげ〜〜ことで、それを聞いて感極まりましたみたいな感情の流れなんですけど、そのあたりは読めばわかるか……わかるといいですね……。