真白に溺れる


「……はー、どうにかならないかな……」
「……さっきから何をそんなに悩んでるんだい?」
「ああマーリン、お前まだいたの?」

 なんという言い草だろう。稀代の花の魔術師に向かってこの男は。
 我がマスターは素材の回収でどこぞの土地にレイシフトしたっきりなかなか戻ってこないし、いつもは書物庫にいるはずのあの可愛い少年は今日に限ってなぜか姿を見かけないしで暇を持て余し、仕方がないから少しばかりちょっかいでもかけて遊んでやろうとロマニ・アーキマンの部屋にわざわざ出向いたというのに、電子カルテと睨めっこしていた彼はいつもより数段雑な扱いで「早く帰れよ」とだけ言い置いて私をひたすら無視していたのである。おまけにまだいたの? だ。天敵と言っても過言ではないだろうほどに私を忌避している彼が私の存在を忘れるほど頭を悩ましている問題が何なのか、うっかり少しばかり気になってしまった。

「それで、そのカルテは誰の?」
「あのな、守秘義務って知ってる?」
「この施設にそんな高尚な制度があるとは知らなかったなぁ」
「嫌な奴だな、お前」

 本当に嫌そうに顔を顰められてしまった。まあ少々意地悪な言い方をした自覚はある。この緊急事態にそれぞれの事情など慮る余裕などないわけだし、何なら我がマスターは常時管制室にバイタルをチェックされているおかげでカルデアに来てからの自慰の回数も調べようと思えばいつでも調べられるだろう。いやもちろん私にそんな悪趣味はないけれど。話が逸れてしまった。

「ほらほら、言ってごらんよ。今はちょっと気が向いてるから何なら手助けするかもしれないよ。私の助けがあれば大抵のことは何とかなると思うけどね」
「くそ、自信満々で腹立つ……。ああ、もう、今日の定期検査で出たなまえくんのカルテだよ」
「あの子の? へえ、何か異常でも?」

 なるほど、今日書物庫にいなかったのは定期検査があったからか。昨日話した時はそんなこと言っていなかったのに。
 ロマニは一瞬だけちらりと私を見やってから電子カルテに再度目を落とす。

「いや、いつも通りだったよ。体温も脈拍も正常そのもの。マシュに比べれば随分と身体も魔術回路も劣化はとても緩やかだ」
「良かったじゃないか。君たちのケアの賜物だ」
「うん、まあそうなんだけど……そうだからこそ、というか……」
「……ふぅん?」
「お前も知ってるだろ、なまえくんが不定期に魔術回路の不具合を起こすこと」

 そりゃあ、まあ。私がここに召喚されてからその不具合を少年が起こしていたことはないはずなので、なぜロマニが知っていることを確信しているのかは分からないが、もちろん知っている。
 そも人間が人体錬成の真似事など行ったのだ。それも、ホムンクルスとは違うアプローチで。不具合が出るのは当然で、まずああして人のかたちを取ることができたということすら奇跡に近い。マシュという少女は本当の、例外中の例外なのだ。

「その不具合がレイシフト先で出ることがあったら危険だってことで彼はマスター候補生から外されていたんだけど……」
「そのおかげで今こうして生きているわけだけどね」
「これも不幸中の幸いってやつ……なのかなぁ……。いや、それはともかく」

 要するにその不具合さえ何とかなれば彼はレイシフト適正にも問題がなく、マスターとして起用できるのだとロマニは言う。魔術に長けた彼ならば環境適応のための術式を用いながらでも外界での活動が可能であり、戦闘もさほどの難なく行えるだろうと。

「もしなまえくんがマスターとして活動出来るようになったら……立香くんの負担も、少しくらいは軽減するかなぁと思って。ほら、彼、色々と働きすぎだろう?」
「うーん、まあ確かに。我がマスターはあまりにも活動の比率が高いからねぇ。人類最後のマスターなわけだから当然だけど」
「分担、とまでは行かなくてもさ……」
「いやぁ、しかし。あの少年が最前線に出ることになるのをあの赤いアーチャーがすんなり承諾すると思う?」
「ぐっ……それ、は、確かに」

 召喚がなされた経緯からか、基本的にあの赤い従者はカルデアという組織の行いに対しては懐疑的であることが多い。人間としての矛盾や感情と事象の割り切りを正しく持ち得るかの「エミヤ」という英霊の個体は、恐らく「立香の負担は憂うべきことだがそれはそちらが頭を悩ますことであって私のマスターを巻き込むことではない」というようなことを平然とした顔で言うだろう。素晴らしい。人に寄り添う英霊とはかくあるべきだ。
 まあきっとそうなればそんな従者を宥め賺して結局あの少年は前線に出てしまうのだろうけど。人間の善性に依って作られた生き物であるからして当然だろう。

「それで、どういう要因でそうなってるのかは調べがついてるんだろう?」
「何だよ……やけにぐいぐい来るな。気になるのか?」
「少しだけ」

 ロマニは訝しげにこちらを見て、慄いたように目を見開いたあと、苦々しいような気味悪がるような妙な顔で目を逸らした。なんだその愉快な顔は。

「……根本的な魔術回路のシステムエラーだよ。いくらかの負荷がかかると多分一時的に魔力の処理が行われなくなるんだ。薬の投与じゃどうもならないし、魔術的な物品を用いることも考えたけど……マーリン?」
「そういうことなら私が適切に対処できそうだ。うん、任せておきたまえ」
「あ、ちょっ……おい! 変なことするなよ!」

 適切に対処できる、と言っているのに変なことをするなとはどういう注意だ。まったく。


-----

 自室で本を読んでいるところに突然訪ねてきたマーリンさんにやたら可愛らしく「話があるからいれて」と首を傾げられて、困惑しつつ「どうぞ」と部屋に引き入れた。話ってなんだ。あまり心当たりはないのだけれど。
 別に、サーヴァントを部屋に入れること自体は初めてではない。エミヤやアーサーは当然として、立香さんと契約を交わすサーヴァントの方たちの中にもわざわざ俺を訪ねてきてくれる人はいる。ただ、その、何というか。確かに最近書物庫で話をする機会は増えたけれど、マーリンさんはそういったタイプには見えなかったというか。部屋に入る、ということは即ち相手のパーソナルスペースを侵すということであり、相手に踏み込むということを前提にした行為である。何となくだけれど、そういったことはあまり積極的にしない人だと思っていたのだが。まあ、でももしかしたら本当に深刻な話があるのかもしれないし。いやそれなら別に俺にしなくてもいいんじゃないだろうか。

「ロマニから聞いたんだけど」
「え、はい」

 いきなりドクターの名前が出て驚いた。この二人はなんだか仲が良い……ようで、よく話している、というか話していてドクターが憤慨しているところをよく見かける。ぷんぷんとでも効果音がつきそうな様子で「まったくあいつは」と怒っているさまを見てなんだか上手いことからかわれているのだろうか、なんて少しばかり苦笑をしてしまうような。
 何の躊躇もなくベッドに腰掛けたマーリンさんを見て、思わず瞬間的な居心地の悪さを感じてしまう。自分の部屋だというのに変な話だ。彼はにこにこといつも書物庫で見る通りの笑顔で「座らないの?」と彼の横をぽんと軽く手で叩く。いや、それは、つまり横に座れということだろうか。ここで固辞するのも変だけれども。

「なまえ君」

 念押しのようにそう呼ばれて、怖々、いや別にマーリンさんが怖いというわけではないが心境的には怖々、人一人分のスペースを開けて隣に座る。書庫ではいつも向かい側なので何だか不思議な心持ちだ。

「君が不定期に魔術回路の変調を起こすって」
「ああ……」
「原因については説明された?」
「……生まれつきの、いわゆるシステムエラーだと」

 まあ出生からしてさもありなん。別に苦とは感じていない。ただ、そのせいでマスターとして振る舞えないために立香さんの負担が増えていることだけは懸念してしまう事項だけれど。せめてその不安定さだけでもなくなれば多少なりともあの快活で優しいマスターの助けになれるかもしれないのに。

「治せるって言ったら、どうする?」

 無意識に俯いていた顔が上がる。思っていたよりもずっと近い距離、魅惑のアメジストがやさしく緩む。治せる? まさか。だって、ドクターは。

「──治したい」
「でもそうしたら君もマスターとして動くことになるよ。危険なところにだって、行かなきゃならないかもしれない」

 重なった手の温度が冷たくないことに慄いた。なんとなく、だって彼は、手がつめたいひとだと思っていた。

「君のアーチャーやセイバーだってきっと心配するだろう。それでも?」
「……それでもいい。だって俺は」
「誰かの役に立ちたい?」
「──そのために生まれたものだから」

 そうだ。俺はそのために生まれたもの。人間の善性を再現し世界を救うために作られたもの。その役割を全うすることこそが、俺の存在意義なのだから。もしそれが本当に可能なのだとしたら、迷いなく頷くことこそが正しい選択であるのだと。

「……っふ、はは、」

 思わずとでも言いたげに吹き出したマーリンさんに瞬いた。先ほどまでのどこか張り詰めたような空気は一気に弛緩して、喉の奥で押し殺しきれない楽しげな笑い声が響く。ふわり、とやわらかな花の香りが部屋に広がって俺は少しだけ肩の力を抜いた。こんなに楽しそうなこの人を、俺は初めて見た。

「うん、うん、そうだよね。君はそうでないと。そう言ってくれると思ってたんだ」

 唄うような軽やかな声色で彼はそう言って、くん、と俺の腕を引く。髪が触れるほどの近さに息を詰めて体ごと後ろに下がると、ヘッドボードの硬い感触が背中に当たった。いつの間にかベッドに乗り上げた彼が体の両脇に手を置くのをどこか冷静な目で見つめている。
 やはり、少し離れた位置の椅子にでも座れば良かった、なんて。

「それじゃあね、方法だけど。生まれつきの欠陥なら薬の投与なんかは意味がないことが分かるよね。おまけに魔術回路なんてすごく繊細で概念的なものだ。外からどうこうできるものじゃないんだよ。わかるね?」
「っ……は、い」
「そう、外からじゃどうにもできない──だから」

 制服越しに心臓の少し上……ちょうど三画の令呪が宿る位置をマーリンさんの指がなぞる。ぞくりと背筋を走ったのは恐怖感か、それとも。

「内側から、作り替えるんだ」

 令呪が赤く発熱したような気がした。詰めた息を浅く吐く。それでもまだ目を逸らすなんてことはしたくなくて、きゅっと唇を引き結んで彼の瞳をまっすぐに見つめる。でももしかしたら、少しだけ揺らいでいたのかもしれない。だって俺の視線を受け止めた彼はふっと蕩けるような笑みを浮かべたから。

「ふふ、魔力をね、すこしずつ、少しずつ注いで、きみの魔術回路と一緒にゆっくり編み上げるんだ。ある程度の負荷をかけながら、時間をかけて、ゆっくりね。魔力の通りを確認しながら、滞りのないように。丁寧に。慎重に」
「そん、なの、」

 欠陥のある魔術回路に手を内側から加えるなんて、そんな真似は。

「そうだね。僕にしかできない。とびきり難しくて繊細な作業だ。下手をしたらきみの魔術回路が一生使い物にならなくなるかもしれないくらいの。そうしたらもう、君は魔術師としてすら存在できなくなる。だから、ね。いいよ。考えて。すぐに答えなかったから気が変わった、なんて今回に限っては言わないでいてあげよう。──さあ、きみはどうしたい?」

 私にすべてを委ねられる?
 悪戯な手付きでマーリンさんは俺の頬を撫でて、すうっとその瞳を細めた。濃密な花の匂いに軽度の目眩を覚える。はくり。開きかけた口を閉じて、静かに、忍ばせるように息を吐く。くす、と愉しそうなこえがひとつ。
 このひとには、とうの昔にわかっているのだ。俺の答えがひとつしかないこと。わかっていて、やさしく笑って、こんなまどろっこしくさえある問いを俺に投げかけているのだ。──なんて、ずるいひとなんだろう。そんな風に言えば「ひとじゃないからね」なんて彼は笑うのだろうか。

「……俺は、なにをすれば、いいんですか」
「なにも。ただ身を任せて。私に預けて。それだけでいい」

 それだけ。
 美しいかんばせが俺の視界に影を落として、そっと唇が優しく触れる。焦点の合わないほど近い距離に耐えられなくなってぎゅっと目を瞑った。微笑むような気配のあと、二度、三度とまるで許しを乞うような触れるだけの幼い口付けが繰り返される。俺はうっすらと目を開き、新雪を思わせるような真っ白な彼のローブを指先で握った。
 それが合図だと、正しく伝わったのか。ぼやけた視界の中で彼のかたちの良い唇がやわらかな弧を描くのが見えた。

「だいじょうぶ。きみの、とびきりきもちのいいことしかしないと約束するよ」

 ──ああ、悪魔のささやきほど甘く優しいものはないのだと、それは誰の言った言葉だっただろうか。


TOP