この本丸ももちろん例外ではなく、きっとここにおける春夏秋冬は審神者である主さんの経験と体感を基に作られた季節ということになる。本丸が初めての夏を迎えた時だったか、茹だるような暑さにほとほと参っていた清光が主さんに「主の夏暑すぎでしょ!? もっと涼しくしてくんない!?」と妙な文句をつけてそれを受けた主さんが「無茶言うな」と清光の頭を小突いていたのを覚えている。あくまで季節や気候は審神者の「無意識」がコントロールしているもので、意識して夏を涼しくしたり、冬を暖かくしたり、そういうことはできないのだという。
ともかく、この本丸の四季が彼という一人の人間に形作られているというのならば、春の穏やかな優しい風も、夏の突き刺すような痛いほど明るい日差しも、秋の涼やかで遠い空の色も、冬のしんと凍える静けさも、すべてが愛おしいだなんて思ってしまうのだから不思議だった。
とりわけ、夏という季節は彼自身の思い入れか何かでもあるのか、ひどく情報量の多い季節のように思う。縁側で「暑い!」と仰向けになったきりぴくりともしない清光に苦笑いを零して、もうだいぶ少なくなった洗濯物を手際よく畳んでいく。今日は安定と兼さんが遠征部隊に入っていて、長曽祢さんは手合わせの当番だから、新撰組でオフなのは僕と清光だけだった。
「そんなに暑いの嫌なら広間の方はクーラー効いてるでしょ」
「……暑いのはやだけど、嫌いってわけじゃないって言うか」
「矛盾してない?」
「うるさいな。堀川だって嫌いじゃないだろ」
「そりゃ僕は暑いのも嫌いじゃないし。でも暑いと可愛くないからイヤだ、とか前に主さんに駄々こねてなかった?」
「駄々じゃない! 可愛いワガママ!」
「一緒でしょ」
可愛い、とか言うようになったなぁなんて変なところに感心してしまう。以前なら複雑そうな面持ちで「駄々じゃない」と否定するだけだっただろう。修行という己を見つめ直す旅をして帰ってきた清光は随分と自信と自尊心がついたと思う。何でもない我儘を主さんによく言うようになった。これが好き、あれが嫌い、一緒にいてほしい、傍においてほしい。そういう自分の望むことを口に出して言えるようになったことはきっと良いことなんだろう。たまに行きすぎて最近は修行に出る前より怒られる回数が増えているけれど。
僕が近侍についた時に主さんがふと零した「清光、帰ってきてから我が儘になってない?」という呟きは困った風を装っていたけれど、声の奥に少し嬉しそうな色があったことをきっと僕だけが知っている。困っているのも本当なのだろうけど、多分それ以上に清光が素直に我儘を言えるようになったことが嬉しいんだろう。
いいなぁ、とつい羨ましく思ってしまう。主さんにとって清光は唯一無二の初期刀で特別な存在なのだから、羨ましく思うだけ無駄なのだけれど。
「そうじゃなくてさ、なんて言うんだろ……夏は、主のことをすごく近くに感じるから」
「……まさかしょっちゅう引っ付いたりしてないよね? 僕らはまだしも、主さんは人間なんだからあんまり暑がらせちゃ駄目だよ」
「違うって! っていうかこんな暑いのにそんな引っ付いてられるか!」
あ、そこには分別があるんだ。ちょっと意外だ。清光なら主さんの傍限定で暑さが気にならないとか言い出しても不思議じゃないなと思っていた。主さんの執務室兼自室は冷暖房完備だし。
拗ねて横に転がったのかと思えば決まりが悪そうに「そりゃ前にちょっと暑くて鬱陶しいって押し退けられたことあるけどさ……」という呟きともしれない独り言が聞こえてきた。結局あるのか。
ひとしきりぶつぶつ愚痴を洩らしたあと、清光はばっと起き上がってこちらを睨め付けるように見やる。
「堀川は思ったことないの? なんかこう……夏だけさ、ちょっと違うじゃん」
「違うって?」
「うんん……なんだろ……こう、他の季節より……鮮烈? というか、明確、というか」
「暑いからだけじゃなくて?」
「ちょっとちがう……」
うんうん唸る清光の言いたいことは何となくわかる。先ほどまで僕が考えていたことと同じだ。
「……輪郭がはっきりしてる?」
「それだ!」
力強く頷く清光にすっきりしたようで何より、と笑って畳み終わった洗濯物を刀派ごとに仕分けしていく。
「確かに何となくだけど夏だけはイメージが鮮烈だよね」
別に他の季節がぼやけているわけではないけれど、語弊を恐れずに言うのなら作り込みが違うのだ。特に夏の夕暮れ時は主さんの心象が強く滲み出ていることをこの本丸にいる誰もが大なり小なり感じている事柄だと思う。
「清光は主さんから何か聞いたことないの。夏に特別な思い入れがある、とか」
「……知らない。主、本丸に来る前のこと話さないし」
清光は僕から目を逸らして少し突き放したようにそう言うと、眉を顰めてふるふると頭を振った。はぁぁ、と盛大に吐いたため息は紛れもなく自己嫌悪に陥った時の声色で、微笑ましさに僕は少し笑いそうになる。本当にまったく、素直なことこの上ない。
「やめやめ。とにかく、俺は暑いのは嫌いでも主のことを近くに感じれる夏は嫌いじゃないの。そういう話」
「ふふ、そうだね」
「……堀川ってさぁ」
「なに?」
清光はこちらをじっと見つめてからまたすっと目を逸らして何でもないように努めた口調で「今日のごはん何?」とでも聞くみたいにぽつりと呟く。
「帰ってきてからよく主と話すようになったよな」
なんかあったの、と口には出さないまでも聞きたそうにする清光に僕はまた少し笑ってしまいたくなった。この様子だときっと清光は主さんから僕の書いた手紙を読ませてもらってはいないのだろう。
──なにかあったの、なんて。僕は改めて確認しただけだ。今の僕を僕として振るってくれるのがあの人だけだということを。
「それ、清光には言われたくないなぁ」
そう言って苦笑を洩らせば清光は自分でも自覚があるのか「う、」と言葉に詰まってから「洗濯! これ俺と安定のだよな。持ってく」などと下手な話の逸らし方でさっさと退散していってしまった。
……ああ、やっぱり素直で、まっすぐだ。これには絆される主さんの気持ちも少し、分かってしまう。
***
今日は思ったよりも洗濯物が多かったので配り終える頃には結構な時間になってしまっていた。やっぱり清光は引き止めて手伝って貰えばよかったな、と薄い後悔をひとつ。最後に主さんの洗濯物を持って入室許可を貰ってから私室に入れば当然いるはずの今日の近侍の姿がなかった。近侍の時は滅多に席を外すことがない人なのに、と目を瞬かせる。
「主さん、長谷部さんは?」
「ん? ああ、博多のとこ。来期の運営費用の提案書ができたから、とりあえず二人で確認してもらおうと思って」
「なるほど……」
「洗濯物だろ? ありがと」
「いえいえ」
執務の手を止めて受け取ろうとするのを制して箪笥の前に膝を落とすと、特に仕舞うのに困るものがあるわけでもないと判断したのか主さんの意識が執務の方に戻った。女性の審神者ならきっともう少し洗濯とかお風呂とか、気を使うこともあるのだろうけど主さんは男性だしそもそもそういうことを気にする質でもないようで、特に料理を別に取り分けてほしい、だとか風呂は別がいい、とかそういうことは今までにあまり言ってきたことがない。
「ここも結構大所帯になってきたから洗濯とかも結構大変じゃないか?」
「うーんまあ確かに量は多いですね。僕はこういうの好きなので、あんまり大変だとかは思いませんけど」
「そう? 経費結構余ってるから、なんなら洗濯機何台か増やしてそれぞれ自主的にやらせるようにしてもいいかなとか話してたんだけど」
ここには何だかんだと真面目で面倒見のいい刀剣も多いし、確かにそうしてしまっても特にこれといった懸念はないようにも思う。
「そうだね、もう少し刀剣が増えたら考えてみてもいいかもしれません」
「ん、わかった、ちょっと検討しとく」
はい、と頷いて静かに箪笥を押し入れる。何気なく部屋にある窓を見やれば青空に薄い赤色が滲み出してそろそろ夕暮れ時であることを示していた。
「主さん、」
「んー?」
完全に意識が僕から逸れたからか、間延びしたような曖昧な返事を寄越す主さんから目を逸らして、ゆっくりと赤に融けていく空に目を細める。じわりと日中を思い返すように体に染み出した暑さを吐息で逃して努めて明るい声色で口を開いた。
「もう夏も終わりますね」
「うーん、そうだな、多分しばらくはまだ暑いけど」
「さみしい?」
「……どうして?」
理性的な瞳の奥に困惑の色を乗せて主さんの瞳がくるりとこちらを向く。知っていますか、と続けた言葉は問いかけの形さえ持ってはいたもののその実ただの確認でしかなかった。
「本丸の気象は審神者の深層心理に左右されるんです」
「知ってるよ。たまに文句言われるからな」
「主さんの夏の終わりはとてもさみしそうないろをしているから」
思い当たる節があったのか、小さく目を見開いた主さんは「あー……」と複雑そうに僕から目を逸らして、誤魔化すように控えめに笑う。──よく見てるな、と。
目が醒めるほどの鮮烈な青空を惜しむように、ゆっくりとその色を変える太陽は一際明確に僕らに感傷を抱かせる。僕らという存在が彼によってヒトという形を持ち、心という概念を手に入れたのならば。僕らが最も強く心を揺さぶられる景色こそが彼の心象風景の具現そのものであるのだろう。
「夏に、何か特別な思い出があるの?」
「……どう、だったかな」
ひどく、かわいた声だと思った。声色に帯びかけた熱を、感情を、無理やりに押さえつけたような。なんてずるい人なんだろう。結局そうやって彼はいつも、僕に小さな心のひとかけらだって与えてくれはしないのだ。
「ねえ、いつか──いつか話してくださいね」
僕らがあなたへ『昔のこと』を話すように。
心の奥底にしまいこんだものは誰とも分かち合えないかわりにいつだってその人の中で永遠だ。思い出として優しくなりはしないけれど、決して過去として色褪せることもない。あなたはそれをよく知っていた。
「知りたいんだ、主さんのむかしのこと」
主さんは一瞬だけ、いろんな感情をその瞳にきらめかせて、それからすべてを押し隠すように曖昧に笑う。
……まるで、夏の終わりの、ようだと思った。
181016
title by 夜にたねまき
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