うつくしいけもの


「随分不機嫌そうな顔してるじゃねえか。どうした?」
 眼下の少年と先ほどまで追いかけっこに興じていたはずのキャバッローネの若きボスは、人当たりの柔らかな笑みを浮かべて不意に千秋の隣に並び立つ。ちら、と崖の下からこちらを見上げる視線に目をやると、その持ち主は幾分か不機嫌そうにしながらも見慣れぬ見学者の様子を一応は伺うことに決めたようで、わずかに幼さの残る表情で露骨に眉を顰めるに留まった。
 手こずっている、と聞いていたが思ったよりも手懐けているじゃないか。
 出会った当初は本当に後先を考えない無垢な獣のようだったのに、と千秋はささやかに目を細める。なんだ、当てが外れた。もっと苦戦している様子であればこの肺のあたりにたまる気持ちの悪さが多少はすいたかもしれないのに。
「いいえ、別に。どうということも」
 八つ当たりであることは百も承知なのでそんな子供じみた言葉なんて吐けるはずもないわけだったが。
 ディーノはぱち、と千秋の答えにいくつか目を瞬かせて苦笑を零し、「そうか」と軽い調子で受け流す。
「でもちょっと意外だったぜ。お前のことだから、あの人と一緒にイタリアに戻るかと思った」
 感情を意識する前に反射的に眉根が寄った。
「――さあ。未熟者は不要だそうですので」
 あ、やべ地雷踏んだ。焦ったように小声で呟かれたディーノの独り言を余さず聞き取り、千秋は今度こそ不愉快さの行き場を探してため息を吐く。
 暗躍することに不満などなかったが正直明確な目的を掴めない情報収集はそろそろ勘弁してほしかった。守護者の誰かの家庭教師を任されるでもない微妙な立場は下手に動けばどこかのバランスを崩してしまいそうで非常に気を遣いもする。いささかばかりの辟易の念はどうも拭いきれそうにない。
「こっちに連絡係として残されるくらい信頼されてるってことだろ? そう卑屈になるなって。な?」
「分かってます。その宥めるような言い方やめてください」
 悪い、と笑みを浮かべるディーノはちっとも悪びれていない様子だった。今更それにいちいち腹を立てるほど千秋も律儀ではなかったが。
「――ねぇ、いつまでそうしてるの。早く降りてきなよ」
 案の定、先に痺れを切らしたのは眼下でひたすらこちらを睨みあげていた少年であった。端正に分類されるであろう顔には堂々と臆することなく「退屈」の二文字が刻まれている。
「ほら、呼ばれてますよ。家庭教師さん」
「ん、ああ……」
 からかい混じりに横目で見やればディーノは軽く目を伏せて少し考え込んでいるようだ。ぴり、と下からの緊張感が増す。その底知れない武闘の才を除けば雲雀恭弥という男はとてもわかりやすい子どもだった。
 今にも駆け上がってきそうな気迫に呆れて再度促してやろうと顔を上げた瞬間、
「――っ、は!?」
 ぐる、と視界が回って地面の感触が遠のいた。こちらに抵抗するかのような風圧。普段ならさほど感じもしないはずの引力の負荷。一拍遅れて千秋は己が宙空に投げ出されたことを悟った。ディーノに足元をすくわれたらしい。地面との接触に十数秒もかかるほどの高さはない。判断は一瞬。武器を抜いてある程度の高さに留まるか、衝撃を最小限に留めた着地か。息を呑む瞬間さえ惜しんで体勢を整える。選んだのは後者だった。
 周囲に広がった軽やかな着地音と砂ぼこりをひらりと片手で払い、千秋は先ほどまで自分のいた高さまで視線を上げて口元を引攣らせる。ダメージらしきダメージはなかったが、不意打ちでの体勢だったのもあり左足のかすかな痺れは誤魔化しようがなかった。
「〜〜〜ッディーノ!」
「あ、いや、わり。手が滑った」
「んっなわけあるか!」
 絶対にわざとだ。部下がいない時のディーノのうっかり癖は千秋も知るところではあったが、この場には彼の部下であるロマーリオも控えていたし、うっかりというのは無意識のうちに失敗ることだ。無意識であるなら予備動作が少なからず大げさになるわけで、ならば回避行動をうまく取ることができる。実際にディーノと千秋はそこそこに長い付き合いであるが、今までにディーノのうっかり癖で千秋が被害を被ったことなどほとんどなかった。つまるところ、回避行動を取れないほど予備動作の小さな一撃は間違いなく故意によるものでしかあり得ない。そして、それを裏付けるように視線の先のディーノは相変わらず悪びれた感のない軽妙な笑みを浮かべたままだった。状況が状況なら自分の立場もかなぐり捨てて盛大に舌を打ってやるところなのに。
「ねぇ、もういい? 僕はあんまり気が長くないんだ」
「あ〜待てって恭弥。ここ数日全力のお前ずっと相手にしててオレだって疲れてんだ。ちょっとは休ませろ。オレが休憩してる間は千秋が遊んでくれるからさ」
「……は?」
 唐突な名指しに先ほどまでの苛立ちも忘れ千秋は困惑に目を丸くする。
 あそぶ。……遊ぶ? 雲雀くんと俺が?
「なあ千秋。やってくれるだろ? オレほんとに疲れてんだよ。助けると思ってさ」
「……いや、あの」
 この人の『頼みごと』をいつだって無碍にできたことはなかったけれど、それとこれはやはり少し別だった。ディーノが雲雀の家庭教師に選ばれたからには相応に彼でなければならない理由があるはずで、それは適性だとか相性だとかそういうあらゆる要素を鑑みた上でのことだ。己が手を出していい領分ではない。それに、第一。
「駄目ですよ。あなたのものと違って俺の武器は殺すことを主目的にしてるんですから、俺が相手をしたら雲雀くん、死んでしまい――」
 ます、と言い終わらないうち。
 ヒュ、と重量のあるものが素早く空気を切る音に反射的に二歩分、大きく体を左に寄せた。なめらかな金属が切るように脇腹を掠めて、小さく痛みが走る。綺麗に避け切ったタイミングだと思ったのに。想定よりもずっと速い。それにあの重そうな得物を難なく振り抜けるだけのパワーと、三日三晩手合わせを続けてなおパフォーマンスをなかなか衰えさせない持久力。好きにさせると厄介だ。雲雀の振り抜いた右腕を容赦なく引き掴み、自らの懐に手を伸ばしかけてコンマ数秒躊躇った。

 ――いいのか、本当に。俺があの子の守護者に傷をつけて。

 けれど迷ってなんていられたのはそこまでだった。絶好の空白を雲雀が逃すはずもない。左腕を鋭く振り上げ直線的な軌道で胴を狙う。腕を離して飛び退くか。否、この至近距離ではどう動いたところで当たってしまう。ならば取れる選択肢はひとつしかない。馴染みの銃を引き抜き雲雀の振るうトンファーに合わせて打ち付けた。
 耳奥をひりつかせるような金属音に眉を顰めてたたらを踏む。打ち合わせた武器を持つ腕に麻痺めいた痺れを感じたのはどうやら向こうも同様だったようで、数歩分飛び退いてその鈍器の持ち手を握り直している。
「随分、面白いことを言ったね」
 先の攻撃を受けた後で、その言葉はいささか唐突にも思えた。何が、と口を開きかけて考えてみれば分かり切ったことであったと言葉を呑む。わかりやすい子どもなのだ、雲雀恭弥は。
「さあ、武器は抜かせた。殺してみなよ」
 できる、ものなら。
 そう言い放ってこちらに飛びかかる直前の凄絶な笑みと純度の高い殺気は、思わず頭の中が一瞬の間真っ白になるほど――美しかった。

(190226)


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