「また下らん怪我をしやがって」
ノウムカルデアに新しく増築された医務室に常駐している主治医──医神、アスクレピオスの口癖だ。……とは言え、口癖と思えるほど頻繁に同じ文言を聞いているのはカルデアに所属する全サーヴァントやスタッフを含めても唯一、マスターである名字なまえだけであるのだろうけれど。
こうして地表が漂白されてなお度重なって観測される特異点の修正や日々の訓練、サーヴァントの力量を引き出すための素材の入手など戦闘の機会が多ければ多いほどそれに比例して──些細なものであることがほとんどだが──怪我をする回数も増えていく。カルデアに召喚されて暫く、医務室をシオンとダ・ヴィンチに掛け合って増設させなまえの自室に置かれてあった救急箱を半ば強制的に取り上げて、「僕は勝手な医療判断を行う愚かな患者や怪我人が大嫌いだ」とどんな小さなものであっても必ず医務室に来て処置を行うように、といっそ偏執さを感じるほど何度も言い含めたのはアスクレピオス自身であった。にもかかわず訪ねたなまえの傷を見ては煩わしそうに舌打ちを零すというのはあまりにも理不尽が過ぎるのではないだろうか。
まあ、たぶん、心配……をしてくれているのだろうことは分かるのだけれども。
「この短期間によくもこれほど怪我を負えるものだな。いっそ感心する。学習能力がないのか?」
「い、一応……気を付けてるつもり、なんだけど」
はは、と目の前の彼の眉間に深く刻まれた皺への気まずさを誤魔化すために空笑いを浮かべるなまえを鼻で笑って、アスクレピオスは彼女の左瞼にあてていた布を剥ぎ取り傷口が塞がっているのを確認する。
「痛みは」
「もうないよ」
「目を開けてみろ」
暫くじっと目を閉じていたからだろう。わずかに躊躇うようにふるりと睫毛を揺らしてなまえはそっと瞼を持ち上げる。鮮やかな虹彩をぱち、ぱち、と数度瞬かせる様子に変わったところは見られない。
「視界に異常は?」
「ん……うん、大丈夫。ちゃんと見えるよ」
顔を上げたなまえの瞳の焦点がきちんと合っていることを確認してアスクレピオスは納得したように「よし、終いだ」と頷いた。
薬品や治療道具を片付けるアスクレピオスを何ともなしに眺めつつ背もたれに体重を掛けてぐっと腕を伸ばす。数十分のことではあれど普段は常にどこかしらを駆け回っていることを考えれば『じっとしている』というのはなまえにとっていくらか珍しいことであった。
そういえば医務室まで連れてきてくれたサーヴァントに礼と無事を報告しにいかなければ。額から瞼にかけての傷であってべつにまったく歩行に支障のない種類のそれであったにもかかわらずわざわざ抱き上げてここに連れてくるほど動転した様子だった。当然「大げさに飛び込んでくるんじゃない紛らわしい!」と目前の医者には怒られてしまっていたが。その後の気もそぞろな様子のサーヴァントを「邪魔だ」と一蹴して声だけで追い返したアスクレピオスのことも思い出して、なまえはくすりと小さく笑みを零す。
はぁぁ……とでも効果音のつきそうな長いため息に気付いて改めて顔を向ける前にがしりと力強く顎を掴まれて半ば無理やりに目線が上がった。呆れとも嫌悪ともつかない顔でこちらを見下ろすアスクレピオスの表情はどう甘めに見積もっても機嫌が良さそうではない。
「僕にこんなつまらない怪我ばかり見せているんだ。もう少し殊勝に反省してみたらどうだマスター?」
「や、だって、小さい怪我でも自分に診せろって」
「診させろとは言ったがしていいと僕が一言でも言ったか?」
「理不尽では」
「口答えをするな」
やっぱり理不尽だ。なまえが不満の意を込めて見つめ返せばアスクレピオスは歯牙にも掛けぬと言いたげに鼻を鳴らした。実際のところ、生前でもこのカルデアに来てからもひどく厄介な患者など両手では足りないほどにいるのだろうから、いくらマスターと言えどただの人間であるなまえのそれなど反抗ですらないのだろう。いや、反抗をする気があるわけではないが。
「僕が召喚されるまでここにはまともな医療スタッフはいなかったとあの芸術家に聞いたが」
「人材不足でね〜」
「呑気な声を出すな。……この勢いで怪我はしていたと?」
「まあそうと言えばそう……」
「濁すな。問診に対しては正確に手早く答えろ」
ギッと鋭くなったアスクレピオスの眼光に睨めつけられてなまえは苦笑を零して肩をすくめる。
「もうちょっとひどかったかな。今はほら、一応休養期間だから」
「お前の休養しているところは見たことがないが。……まさかそんな状況下で杜撰に処置をしたりはしていないだろうな?」
圧を感じる声色の彼になまえが思わず返しそうになったのは「分かってるくせにー」という茶化すような言葉だった。率先して怒らせたいわけでもないのでさすがに言葉は飲み込むが目を逸らした仕草で十二分に伝わったのか、ぎり、と顎を掴む手に力が入った。
「あの、先生、それ地味に痛いです」
「チッ……お前はもう少し身を守る術を身につけろ。ここ最近の怪我も大半が不注意によるものばかりだろう」
苦々しげな舌打ちと共に断定された言葉を意外に思ってなまえは数度瞬く。基本的にアスクレピオスは怪我の検分はある程度しても原因の問診をすることは少なかったからだ。
「分かるの?」
「傷の深さや角度、形状等からある程度は推測出来る。今日のアレはエネミーの槍の穂先が掠ったか? 間合いを誤ったな」
「おお……すごい、正解」
感心するところでもない、と今度こそ呆れた風を隠すことなくため息を吐いたアスクレピオスはなまえから手を離して背中を向けると奥の薬品棚をおもむろに物色し始めた。
「あまりに学習しないようなら僕が稽古をつけてやろうか」
「パンクラチオン……? いやあ、さすがにそれは」
「ほう、我が師から直々に指導してもらいたいと。向上心がある」
習得する前に死にそう──と続けるより先ににやりと悪どい笑みを浮かべたアスクレピオスが振り向いて、無言で首を振るしかない。ケイローンは確かに教えるのは上手いけれどもあくまで英雄寄りの教え子たちだからこそついていけるものである。
「死ぬ前ならいくらでも息を吹き返させてやるから安心しろ」
「それワンチャン死ぬってことだよね?」
問いへの答えが返ってこない代わりに、薬品棚から取り出した謎の容器がこちらへぞんざいに放られた。慌てて両手で掴まえる。
小口径の口がキャップでとめられている、特に変わった風には見えない白いプラスチックのボトル容器だ。中に入っているのは液体だろうか。よく見えないが。
「なにこれ?」
「塗り薬……と言って正しいか。皮膚の細胞組織を活性化させる効能がある。塗布は一日一度。少し痒みが出るかもしれんが我慢しろ」
「……えーっと、つまり?」
さっき手当をしてもらった箇所の傷はもう消えている。それだけに限らず、アスクレピオスが医務室を取り仕切るようになってからのものはきっとほとんど残っていないだろう。何しろ彼は病気や怪我に対して常に完璧主義であったから。
「お前の所々に残っている傷跡が処置の際にいちいち見えるのは不愉快だ。毎日継続して使用しろ。一月程度あれば大体が消える」
手元の容器に目を落として、もう一度顔を上げる。明るい色の映り込んだ深い翡翠と一瞬目が合って、逸らされた。少年めいたその仕草に何だかおかしさを覚え、なまえは手の内の容器を軽く振ってから立ち上がる。
「ありがと、先生。ちょっと気になってたから、嬉しい」
「そうか。まあ次に来る時はせめて原因不明の奇病にでも罹ってきてくれ。しょうもないものばかり診ていると腕が鈍る」
「はーい」
理不尽につまらないと罵られる場所ではあったけれど、なまえはノウムカルデアに出来た、この新しい医務室が結構好きだった。主治医はあまり親切ではないけれど熱心で、たまに優しいし。
「またね、アスクレピオス」
「お大事に」
柔らかな響きでなくとも、その言葉はいつだって温かいものだと知っているから。
190726
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