※not夢
ぱちぱちと焚き火の弾ける音に紛れてもぞりと身動ぐ毛玉の気配に無限は閉じていた瞼をうっすら開く。落ち着かないのだろうか。先刻火から少し離れた場所で丸まったはずの小黒はごろごろ、みぃみぃとその小さな体躯を転がしてばかりいるらしい。よく体の馴染む寝場所でも探しているのだろうとあまり気にしないようにしていたが、いささかばかり様子がおかしい。ふむと改めて無限が目を向けても気付かない様子でころころと地面を転がっている小黒はその丸いフォルムも合わさって非常に愛らしくはあるものの、そろそろ寝かしつけなければ明日の朝眠い目を擦ることになるのは確実だ。
しかし、半ば愚図りとさえ思えるようなこのような小黒の行動というのは初めてのことで、無限も少し考え込んでしまう。人間体よりも子猫の姿の方が馴染み深い小黒にとって野宿というのはさほど苦でもないようで、こてりとすぐに寝入ってしまうのが常だったのだ。そもそも旅の道すがらに行う小黒の修行は相応に厳しいものなのだから、疲れが溜まっていないはずもない。
じっと見つめる無限の視線にも構わず、うにゃうにゃと小黒は鳴き声を零す。
にゃーにゃー、みーみー、みゃおみゃお……。
「……ミャオ……」
「ミ゛ッ……⁉」
ぴたり、とそれらが一息にして止まったかと思えば愕然とでも言いたげな表情で小黒が無限を振り向いた。ピンと伸びた尻尾の先からころりと黒咻が一匹転がり落ちる。ぽんぽんと飛び跳ねる黒咻が無限の方へと近寄ってきて肩に乗るまでの間たっぷりと沈黙を挟み、小黒は恐る恐ると口を開いた。
「ど、どうしたの、師父…………」
驚きから一周回って恐怖さえ訴える小黒の丸々とした瞳に、無限は心外な心持ちになってわずかに目を細める。本人は気付いていないかもしれないが、小黒は食事中や寝言など気の緩んだ時は人型を取っていてもたまに子猫らしい鳴き声が零れる時がある。それはもちろん微笑ましくて可愛いのだが、ならば人型を取っていても鳴く小黒と人間だが猫の鳴き声を真似る自分とで何の変わりがあるだろう。
「……そろそろ猫語も話せるかと思って」
「あのね師父、ぼく別に猫じゃないからね」
それは知っている、と頷く無限の肩でハィンと黒咻が飛び跳ねた。
「眠れないのか」
「ん〜……眠いよ。眠いけど……」
言葉の先を待てどもあまり口に出したくないことなのか、小黒は口籠って黙り込んでしまう。無理に聞き出すのも憚られて肩口を見やれば黒咻はぱちりと一度目を瞬かせて小さく鳴いた。
「あのね、師父……笑わないでね」
「笑わないよ」
「……目を閉じて、じっとしてるとなんだか胸がすうすうするの。たまに、すごく泣きそうになる時もあって、変なんだけど、どうすればいいかわからないんだ」
ぺたんと力なく折れた耳と、心許なさそうにゆらゆらと揺れる尻尾。何よりもその幼気な深々とした声に無限は唇を引き結んで小黒の正面に向き直る。
「――小黒、おいで」
努めて和らげた声で呼び掛ければぴくりと小黒の耳の先が揺れた。ぱっと上げられた視線を合わせて、手を差し伸べる。跳ねるように立ち上がった小さな子猫の体躯は瞬きの間に幼子のそれに変わり、ぽすんと無限の胸に飛び込んできた。ふわふわと柔らかな手触りの白い髪をひと撫でして無限は小黒を抱え込む。
「それはね、寂しいというんだよ、小黒」
「さみしい?」
「そう。心細くて、不安になった時にそういう気持ちになる」
小黒はへにゃりと小さな眉を下げ澄んだ緑を潤ませて無限を見上げる。
「師父とこんなに近くにいてもさみしいの?」
「誰といても、どこにいても、寂しくなることはあるよ」
「どうしたらいい?」
「寂しいをなくすのは難しい。明確な現象というよりは曖昧な心の動きだからね。だが小黒が心から安心できる場所ができれば、いつかは寂しい気持ちも薄れるかもしれない」
「なら、師父とずっと一緒にいたらさみしくなくなるかな?」
きゅっと懸命に無限の服を掴む小黒の言葉に無限は目を瞠る。それは紛れもなく小黒が無限を安心できる存在だと認識しているからこその言葉だ。ひどく無垢でささやかな、ゆえにどこまでも重く大切にするべき信頼の証左。意識するまでもなく、零れるように笑みが浮かんだ。
「そうだな。小黒が寂しくなくなれば、私も嬉しいよ」
そっか、と噛み締めるように呟いた小黒の頭にぽんと手を乗せる。ひょいと毛布を引き寄せて小黒の体の上に落とした。
「今日は一緒に眠ろうか」
「さみしい時は一緒に寝てもいいの?」
「ああ」
「……いつでも?」
「もちろん」
嬉しそうに頬を緩ませる小黒を抱え直して火の始末をしてから体を横たえた。ぴょんと毛布から顔だけ出した小黒は内緒話をするように小さな声で「ねえ」と無限に話しかける。
「ん?」
「師父もさ、さみしい時はあるの?」
ふむ、と無限はしばらく答えに躊躇う。最近はとんとそういったことに心を悩ませることはないが、全くと言い切れるほど割り切った日々を送ったつもりもなかった。本当に人間か? などと悪意にせよそうでないにせよ尋ねられることは多いが、無限はそういった意味では歴とした人間であったといえる。
「最近はあまりない……けれど、昔はそういう時もあったかな」
「ふうん……」
考え込むように瞬く小黒に首を傾げていると小黒は不意に瞳を爛と輝かせて無限の手のひらをやわく握った。
「もし今度師父がさみしくなったらぼくに言ってね。ぼくが一緒に寝てあげるよ!」
ふわふわと柔らかな、まだまだ修行の足りない幼子の手。易々と抱え込める小さな体躯。けれどその体いっぱいに可能性を秘めてきらきらと微笑む子供は他の何に変えようもなく愛おしい。
「ありがとう、小黒」
「えへへ」
「明日も早い。そろそろ寝なさい」
「はあい。おやすみなさい、師父」
無限の手を握ったまま瞼を閉じた小黒に口元を緩めて毛布をかけ直す。
「おやすみ、小黒」
囁く声に応えるように小黒の黒い耳が小さく揺れる。全幅の信頼と親愛とはこれほどまでに優しいものだったかと遠い記憶を探りながら、腕の中の愛しい温もりに無限もそっと目を閉じた。
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