曰く、特定地域の館に所属するでもない無限に任される「任務」は相応に難しいものが多いが、そもそもそういった任務はあまり数が多くないという。
「難しいっていうのは相手が強いってこと?」
無限は小黒に問いにしばらく思案するように沈黙を返し、一言、そればかりでもない、と呟いた。
初めはどういう意味か分かりかねて首を傾げた小黒だったけれど、幾月か共に過ごせばなんとなく察しはつくようになる。今回の館の精霊に通達を受けて向かった地方都市での任務はまさしく「そればかりでもない」例の一つだった。
耳をそばだてるでもなく聞こえてくる内容は妖精の窃盗団に関するものだ。村落では田畑を荒らし、都市部では貨幣だの宝石だのを盗むことを繰り返す三人組の妖精たち。少し前から館の執行人が数名がかりで追っていたものの、グループの一人に空間系の能力を持つ妖精がいるようで、少々厄介な捕り物になっているようだった。愉快犯的な行動が多く意図して人間を傷つけるようなことはないだろうが、人口の多い場所に追い詰めてしまったこともありいざとなれば何をしでかすか分からないという。
分かった、と頷いてからの無限の行動は早い。とはいえ、こういった場合無限自身が大きく動くということはあまりなかった。ターゲットの居所の特定から捕獲まで、その多くは他の執行人たちが担う。無限は基本的に精霊を介して指示を飛ばすだけだ。もちろん時折戦闘行為が発生することもあるけれど――言うまでもなく、大抵の相手は一撃で昏倒させられるばかりなので特筆すべき何かが起こった試しはない。
今回に限っては戦闘行為すらなく、無事に窃盗団全員がお縄につくことと相成った。ちらと小黒は離れた場所から拘束された彼らを見やる。意識を失っている一人が多分空間系の妖精なのだろう。
「では館への連行は任せる」
「了解しました」
執行人の一人とあれこれやり取りをしたあと最後にそう言って無限はすいと数時間ぶりに小黒を振り向いた。
「行こう、小黒」
「うん!」
元気よく答えて駆け寄ってから、周囲の妖精の視線がふと生温くなったような気がして伸ばしかけた手を引っ込める。この上、手まで繋いだらいよいよニコニコと微笑ましく見送られてしまうこと間違いなしだ。可愛いと言われるのはもう慣れたけれど、幼いと思われるのは何だか不本意だった。
無限は小黒の不自然な動きに僅かに怪訝そうに片眉を上げたが何を言うこともなく歩き出した。ほっとその背を追う。しばらく歩いて振り返るが、とうに彼らの姿はその場所にはなかった。ねえ師父、と先を行く背中に向かって呼びかける。
「うん?」
「あの妖精たちより師父の方が強いのに、どうして自分で捕まえに行かないの?」
捕獲対象であったあの三人は言わずもがな、他の執行人たちも無限の相手になるような者は多分いなかった。無限は小黒の疑問にすぐには答えずふむ、と少し考え込んでから逆に問いを投げかけた。
「なぜだと思う?」
「ええ……? 分かんないよ。だって師父が行った方が絶対に早いし、指示することがないから面倒じゃないでしょ」
そうだ。誰かに何かをやらせるというのはとにかく回りくどいと思う。作戦を全員に周知し、意図を伝え、その場にいないままに状況を把握し、適当な行動を選択して実行させる。自分一人で動いた方が早いのではと思うのも仕方がないだろう。
「では逆に、今回私が一人で彼らを捕まえに行ったとしたらどうなっていた?」
「どう?」
首を傾げて考える。まずは相手を見つけるところからだ。入り組んだ街中を一人で回って相手を探し出すのは確かに骨が折れるかもしれない。無限は探知に特化した能力を持っていないから。相手が見つかったとしたら捕獲はさほど苦労しないかもしれないけれど、相手は複数で一人は空間系の能力を持っている。特定の場所に追い詰めるのは難しいから、その場で戦闘になって捕獲を――いや、待て。
あ、と小黒は呟いた。
「人間に見つかっちゃうかもしれない?」
人通りの多い街中で行使するにはいささか無限の能力は目立ちすぎる。
そう、と頷いた無限は褒めるように小黒の頭をくしゃりと撫でた。えへへ、と得意になって無限を見上げれば師は穏やかに微笑む。
「私は隠密向きではない。強硬策が実を結ぶ時もあればそうでない時もある。今回の場合は私よりも適任の者がいたというだけだ」
「ならどうして師父が呼ばれるの?」
近くにいたとはいえわざわざ無限を呼び寄せる必要があるのだろうか。
「おまえもさっき言っただろう。指揮を執るのは面倒だと」
「うん」
小黒は頷く。前を向き直った無限の表情はしんと静かだ。
「複数人で作戦行動を取る場合、全体の力量よりもむしろ指揮を執る者こそが最も重要になる。敵味方双方の状況を把握し次の動きを判断するには、相応の経験と全体を見渡せる冷静さが必要だ。誰もが持ち合わせているわけではない」
「じゃあ師父はそういうのが得意ってこと?」
「得意というか……そうだな、私の場合は大抵あまり動じることがないだけだ。年の功というだろう?」
確かに無限が大きく感情を揺らすところというのはあまり見た覚えがない。正負を問わず日々様々な感情に振り回されている小黒とは対照的だ。ままならないことも多いそれらを時に疎ましく思う小黒を「おまえはそれでいいんだよ」と宥めてくれるのも無限なのだけれど。
「師父が焦ったとことか驚いたとこってあんまり見たことない。……あ、でも食い逃げした時は焦ってたかも」
「……あれは事故だ」
館への道中のことを混ぜっ返すと無限は明らかに触れられたくなさそうに目を逸らす。小黒を抱え上げる瞬間のあの焦った顔といったら! その時のことを思い出して小黒はくふくふと笑みを溢し、軽やかに無限の背を追い越してねえねえ、と弾んだ声で問いかける。
「師父って驚いたりすることあるの?」
振り返れば無限は小さく笑って事もなげに答えた。
「おまえといると毎日驚くよ」
「えー?」
そうだっけ、と眉を寄せて考え込んでも思い当たるところはない。気配に聡い無限相手では死角からの奇襲でも不意を突けた試しがないのだ。そんなことは小黒に修行をつけている無限が一番よく分かっているはずなのに。
うんうんと唸る様子を見て笑みを深める無限に小黒は唇を尖らせて尋ねた。
「じゃあ怒ることは?」
師の怒った表情なんて、それこそ一度も見たことがない。二人が師弟関係を結ぶ前だって、何度も懲りずに逃げ出す小黒を同じく懲りずに律儀に捕まえながら、一度だって厳しい顔を見せはしなかった。
弟子になってからもそうだ。虫の居所が悪くて聞き分けの良くない時の小黒にも無限は窘めることはあれど声を荒げるようなことはない。かといって館へ顔を出した時にひそひそと囁かれる疎ましがる声を気にしている風でもないし……としばらく思い返して、ふと無限から何も言葉が返らないことに気付く。
視線を上げれば、ばちりとこちらを見下ろす視線とかち合った。目は合っているはずなのにどこか遠くを見ているような無限は小黒が首を傾けても反応しない。
「師父?」
呼びかけは耳に届いたようだ。無限は数度の瞬きのあと、不意に表情を和らげて優しい響きで小黒を呼ぶ。
「小黒、おいで」
ぴんと耳が立ち上がって駆け寄ってしまうのは無意識にも近い。足元にじゃれつく小黒を受け止めて頭を撫でる手つきは先ほどのそれよりも少しだけ丁寧だった。
「もう、なぁに、師父」
見上げた無限の顔は何だか感情が複雑に混じり合った色をしていた。その顔はよく知っている。朝、目を覚まして一番に視界に入る涼やかな青色に「師父、」と呼びかけた時と同じ。眩しいような、嬉しいような、でもきっと小黒にはまだ推し量れない別の何かも混じり合った、そういうやわらかな顔だ。
「小黒」
「うん?」
「手を繋いでも?」
意味を噛み砕くための一瞬の間のあと、うん! と大きく頷いて伸ばした右手は今度こそしっかりと無限の手のひらに収まった。ふにゃりと頬が緩むのが分かる。師の手のひらは少し不思議だ。触れたところから温かくて嬉しくて、むず痒いのに心地いい。言葉にするには少し気恥ずかしいそれらは、握り返した小黒の手からちゃんと無限に伝わっているだろうか。
ふと穏やかに青色が揺らいで、笑みが一つ落とされる。ゆったりと小黒の手を引いて歩き出した無限はそっと静かに、口を開いた。
「怒ることもあるよ。――私にも、許し難いことがある」
「師父が?」
大抵のことはそよ風のように受け流してしまう無限の怒る姿なんて、やはり小黒には想像できない。
ああ、と頷いた師の横顔は長い髪に遮られて、窺い知ることはできなかった。
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