メガネ


 嫌な予感はあった。ほどよく緩いノリの特異点。男性陣の比率が高いサーヴァントたち。そういえば数年前にもこの時期にポッと出てきて聖杯を渡されたな、とか、そういう些細な、予感とも呼べない予感。

「素に銀と鉄──」

 現地に召喚されたパラケルススによって設置された召喚陣の前に立ち、右手の令呪を掲げる。

「礎に石と契約の大公。降り立つ壁には風を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 何度も唱えた召喚のための詠唱をなぞる。実のところ、形式上の詠唱はしばしば必要ないこともある。詠唱とはすなわち暗示。自身を空にすることで自らの願いを純然と世界に預けるためのもの。

閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ。繰り返す都度に五度。ただ満たされる時を破却する」

 であれば、よほど切羽詰まった状況下、これ以外にどうしようもないという場面において、「助けてほしい」という願いの、如何に純然たることか。その願いを聞き入れて応えてくれた彼らが、如何に眩く憧憬に値する者であったか。

「────告げる。汝の身は我が元に。我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 ならばこそ、許される限り何度でもその詠唱を口にする。力を貸してくれる彼らにまずもって出来る最大限の礼節として。

「誓いをここに。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 ぶわり、と魔力の渦が風を生む。青いエーテルが収束し形を成すと、柔らかな花びらとともにそこには呼び声に応えてくれた「誰か」が──……花?

「やあこんにちは! 何やら楽しそうなことをしているね。私も混ぜてくれたまえ!」
「チェンジで」

 パチン、と鳴らした指の音は綺麗に響いたが目の前の男はむ、と可愛こぶった様子で表情を作ると召喚陣からこちらへと一歩踏み出す。

「ひどいなあ悠乃君。もう二進も三進もいかないって困ってるキミのためにこのマーリンさんがわざわざ召喚に割り込んでまで出張してあげたというのに」
「返して! 私に応えてくれるはずだった優しい英霊さんを返して!」
「いやあしかし召喚されるというのはいいものだ。二回目なのについ最後まで聞いてしまった。ほら、愛しい恋人が自分を呼ぶ声なんて、何度聞いても格別だからね」
「こぃ、〜〜〜ッ」

 別にあなたのことを呼んだわけじゃない、とか、あなたのそれは召喚されるとは言わない、とか、色々過ぎる言葉はあれどあまりにもさらりと口にされた「愛しい恋人」なんて言葉が半ば強制的に乙女ゴコロを引きずり出して体温を上げる。じりじりと向かい合って後退りする私を余裕を持って見つめていたマーリンは私が顔を赤らめるとにんまりと目を細めてあっさりと私にとっては数歩の距離をたった一歩で縮めてしまう。
 と、いうか、突然の登場だったので慌ててしまったけれどここまで近づけば流石に気付く。普段はない装飾品、ヒトを魅了してやまない紫色を「それ」越しに見るのは、まるで美しい宝石をショーケースに収めるような心地に陥る。もったいないような、しかしむしろそこにあるのが相応しいような。

「それで、どうかな。私のメガネ姿は」

 どうかな、と聞かれても。

「わ、わかってるんでしょ……」

 人心を糧にする夢魔であるマーリンは人にどう見られるか、にひどく聡い。自身がどのように思われるか、魅力的か、そうでないか、優しく見えるのか、酷く見えるのか。それにはもちろんのこと容姿だって含まれているわけで。人間離れしたその瞳の美しさがレンズ如きで損なわれるはずもなく、むしろ隔てられることによってもっと覗き込みたいと希求させるような抗い難い魔力が発せられているような気さえする。この一瞬で魅了チャームでも掛けられたのだろうか。いやそれにしてはやけに現実感は伴ったままであるし。

「もちろん分かっているとも。でも僕だってキミの前ではただ一人の恋する男……」
「こ、い」
「知ってるだろう?」

 息が詰まる。知っている、と思う。するりと優しく頤を持ち上げる白い指先がどのように私に触れるか。今は緩やかに撓むアメジストがどんな熱を持って私を見つめるか。柔らかに耳朶に入り込むその声が、どれほど私を甘く呼ぶのか。
 だからね、と彼は蕩けるように微笑んだ。

「教えてほしいな、キミの言葉で。キミのに僕は魅力的に映っているかい?」
「そんな、の……」

 そんな聞き方、ずるいと思う。だって私はマーリンが好きなのだ。彼に素敵だと思われる私でいたいし、彼に嫌われたくないし、彼の前でこそ一番に魅力的な私でいたいと思う。それはマーリンだって同じことなのだ、なんて言われしまったら、そんなの、もうどうしようもないくらい愛おしいと思ってしまう。

「マーリン……」
「うん」
「すごく、その……似合って──」

 ──コホン。
 小さな咳払いが耳に届く。はっとそちらに目を向けるとちょっと気まずそうな顔の斎藤さんと目が合った。瞬間頭が真っ白になって、その後ここがどこで何をしていたのかを急速に思い出す。
 そうだ、ここは特異点。同行サーヴァントに現地サーヴァントも揃い踏みのまさに敵陣地ど真ん中なのである。そんな中、私はいったい何を。

「よそ見なんて寂しいなあ、マイロード。僕はいつだってキミの傍にいたいのに、そう思っているのは僕だけなのかい……?」
「あ、え、」

 そんな本当に寂しそうな声で言わないでほしい。ただの振りだなんて分かってても胸が切なくなってしまう。
 いや、違う、そうではなくて。一刻も早くこの雰囲気をどうにか……どうにか、しないと。

「ねえ悠乃君、ちゃんと教えて?」
「ひぇ、ま、〜〜〜〜ッ」

 キス、されてしまう。いやダメだ絶対にだめだ全てがダメになってしまうのでとにかくダメだ。マスターの威厳とか状況わかってんのかとか現地サーヴァントの信頼とかあらゆるものを失うので絶対にだめだ、どうにか、どうにかしなければ……!

「──オルタ!」

 両者の動きは俊敏だった。クーフーリンオルタがマーリンを顔ごと引っ掴んで引き剥がし、アルジュナオルタが私の肩を引いて距離を取らせる。これも理知的なメガネが為せる連携だろうか。

「……ちょっと、黙らせておいて」
「「了解/しました」」
「え、こんな寸止めなんてひど、むぐ」

 真面目なタイプが多い今回のレイシフトメンバーの中でもとりわけ職務に忠実でおまけに力量の高いサーヴァント二騎だ。多分マーリン相手でも戦闘にならない程度の配慮をしつつ黙らせられる。一気に生ぬるく弛緩してしまった空気感に居た堪れなさを覚えつつ確認として一応パラケルススに問いかける。

「あの、チェンジってできたりしますか」
「ああ……いえ、申し訳ないのですが現在のリソースは一騎分のみで」
「ですよねこっちこそごめんなさい大丈夫です!」
「……なあカルデアのマスター、あいつはマジでやめといた方がいいぜ」
「カルデアでも男の趣味が最悪なマスターだと常日頃叱責を受けていますありがとうモードレッド」
「お、おう……がんばれよ……」

 知古であるところのモードレッドとガウェインから向けられるやや気の毒そうな視線に覚えがありまくるなァと既視感を抱えながら、浮ついた気持ちを地面に引きずり下ろすべくばくばくと早鐘を打つ心臓を押さえる。

「ちょっと待ってね今乙女回路切るから」
「ホントあの男に弱すぎるよなお前……メガネなかったら正気に戻れてなかったんじゃないか?」
「すっごい想像つくからやめて信勝くん」

 君だって姉上相手の時はあんなだよとかいう軽口も叩く気になれず頭を抱える。そんな私の肩をぽんと叩くとキャプテンが落ち着いた声で「こういう時は深呼吸して」とアドバイスをくれた。

「ほら吸って」

 息を深く吸う。

「それから吐いて」

 肺の中を空にする勢いで吐く。

「もう一度」

 吸って。
 吐いて。

「うん、シロナガスクジラのように深い呼吸だ。大丈夫、キミは落ち着いてる」
「わたしは落ち着いてる」
「いつものマスターだよ」
「いつものわたし」
「催眠術か……?」

 眠ってないので催眠術ではないです。
 いつもの私、いつもの私。カルデアのマスターたる私。カルデアのマスターである私は夢魔のぺらぺらの口説き文句に屈したりしない。オリュンポスの機神アフロディーテの精神攻撃も、妖精國の失意の庭ロスト・ウィルだって乗り越えたのだ。大丈夫、大丈夫。
 ──あんッッなロクデナシに籠絡されちゃ駄目だぞぅ! 悠乃ちゃん!
 もちろんですドクター!
 実際にドクター・ロマンがここにいればとっくに籠絡されていることに頭を抱えて然るべきシチュエーションだということに頭の片隅で気付きつつも今回ばかりはスルーした。ぱん、と両頬を手のひらで叩いて気合いを入れ直す。
 確かにマーリンは余計なことばかりする夢魔だけれど厄介なことに有能なので少なからずこの事態の解決の役には立つはずだ。ならば使えるものは使わなければ。それがマスターとしての正しい判断、のはず。

「もう大丈夫だよ、クーフーリン、アルジュナ。ごめんね、ありがとう」

 私の声に芯が戻ったことに気付いたのか、アルジュナは一度頷き、クーフーリンははっと鋭く息を吐いてマーリンを手放す。わっと、と解放されてわずかにたたらを踏むマーリンを正面から見据え、私は「マスター」として問いかけた。

「それで、何をさせるつもりなの、マーリン」

 どうせ視ていたんでしょう、と言えばマーリンはぱちりと一度大きく瞬いて、嫌になるほど爽やかに、春の訪れを知らせる物語の精霊のように温かに笑みを零した。


TOP