魔法使いは愛を知らない


「マーリンさんは、魔法使いみたいだ」

 ぱちり、と視界が明滅する。これはまた、随分と面白いことを言うものだと口角が上がった。

「何だいそれは。確かに私の能力は神代の魔術師たちと比べても上から数えた方が随分早いくらいには有能だろうけど、私が使うのはあくまで魔術の域を出ないものだ。魔法とは別物だよ」

 なんてしたり顔で話してみるが、恐らくそういうことを言っているのではないことは分かっている。カルデアに訪れるまで魔術の「ま」の字も知らなかった我がマスターとは違って、この少年は生まれつきの魔術師である。──いや、というよりも、「そうなるように生まれたもの」というのが正しい見解ではあるだろうけれど。
 魔術と魔法が天と地ほど離れた現象であることなど百も承知だろう。だからきっとその言葉にはもっと何か別の意図が隠されているのではないか、と。
 彼はここまでこちらを見向きもしなかった顔を上げて、少し困ったようにも見える顔で笑う。

「いえ、そういうことではなくて。何というか、魔術世界においての定義の話ではなく。こう──おとぎ話、とか、創作話なんかに出てくる魔法使いみたいだな、と」
「御伽噺?」

 はい、と頷いて彼はもう一度手元の本に目を落とす。本のタイトルはどこか見覚えのあるもののような気がしたけれど、内容が想起されるほどのものではなかった。何だか面白くなくて「どういう意味?」と重ねて問いかければ、彼は一瞬こちらを見やってから考え込むように目を逸らす。
 まあ何となく言いたいことは分かる。御伽噺の魔法使いと言えば杖にローブだ。軽快な呪文を操って物語の主役にドレスやら馬車やらで花を添えるのが仕事である。たまに悪者の象徴として扱われることもままあるけれども──それは概ね「魔法使い」というよりも「魔女」と呼称されるのが常だ。
 本人の前で悪者扱いをするような性格の捻くれ方を彼がしていないことを加味すると、所謂「正義の味方」や「頼れる人物」のようなことを言いたいんだろう、きっと。

「いつもどこにもいないから」

 だから、その答えには少しだけ驚いてしまった。自分で言うのもなんだけど私はあまり驚きやすい方ではないと思う。自分の眼のおかげで大抵のことは知っているものだから、何かに不意を突かれることは少ないのだ。いや、まあ、もちろん分からないことはたくさんあるけれど。先のウルクでの出来事とか。
 それにしても、「どこにもいない」というのは不思議な表現だ。現に私は彼の目前にいるのだし、近付けば触れることだって出来る。何を以ってして、いない、などという表現を用いるのだろう。

「いないも何も、私はここにいると思うよ?」
「それは、まあ。どういう方法かは知りませんけどここにいるのは事実だと思いますよ」

 ただ、こう、そうじゃなくて。と彼自身正しい言葉が見つからないような途方に暮れた顔で大きく息を吐いて考え込む。「んん、」などと唸る様は見ていて少し気分が良い。だからもう暫く彼の言葉を待つことにして、僕は彼の赤い従者がいれた紅茶に初めて手を付けた。別に私は生身とはいえ夢魔だから、飲食物を摂取する必然性はあまりないのだけど、この書庫に来て彼を眺めながら嗜むそれは嫌いではなかったから。

「おとぎ話の魔法使いは、すぐに消えちゃうじゃないですか」

 散々迷って彼が吐き出したのはそんな言葉だった。

「物語の主役に、ドレスを贈って、魔法をかけて、お花をあげたらおしまいでしょう?どれだけ素敵な魔法をかけても、エンディングにその魔法使いはいないじゃないですか」
「……それは、……まあ、魔法使いは物語を進めるための存在だからね」

 王子様とお姫様が幸せになるための物語に、魔法使いという経過は必要であっても結末にその存在は必要ない。御伽噺を開く誰もが、魔法使いのその後なんて気にしない。そういうものだ。それでいいのだ。そうであることに物語の魔法使いだって誰一人として不満を抱いてはいないだろう。

「エンディングに忘れ去られる存在なんて、その物語にいないも同然だ」

 だって誰も覚えていない。誰も気にも止めやしない。万が一覚えている人がいたって、その人もきっと魔法使いがどうしてお姫様に手を差し伸べたかも、どうしてきれいな花を贈ったのかも分からないんだから。
 ひどく苦々しいものを噛んでいるような彼の表情にほんの少し後ろ暗い気持ちを感じて目を細める。

「それで良かったんだと思うよ、魔法使いは」

 するりと零れた言葉は自分で思ったよりも穏やかな音だった。
 そうだ、きっとそれで良かったんだろう。幸せな結末に自分の姿はなかったとしても、きっと魔法使いにとって一番大切だったのはその物語がハッピーエンドを迎えることで。『いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。』その一文を迎えるためだけに魔法使いはいるのだから。その結末だけがきっと、魔法使いにとっての一番の幸福なのだから。

「俺は嫌だ」

 小さく首を振って断じられた拒絶に首を傾げて瞬く。どうして。幸せな結末も、魔法使いの幸せも、蔑ろにはしていないのに。それがどうして嫌だと言うのだろう、この少年は。

「俺は嫌です。エンディングに誰かを忘れてしまうのも。真実『いた』人が『いなく』なってしまうのも。それがお姫様を救った誰かなら尚のこと。だってその人は物語に絶対に必要な人だった。そんな人を、魔法使いを、……忘れてきてしまうのは」

 ──とても、哀しいです。
 そう呟いた彼はその言葉通りとても悲しそうに顔を歪めてこちらを見つめるものだから。僕、は。

「マーリンさんは、魔法使いと同じです。とても綺麗で優しい夢を見せてくれるのに、あなたはどこにもいない。いようとしない。俺はそれが少し哀しい。この戦いが終わったら、あなたはきっと『魔法使い』になってしまうから、俺はそれを寂しいと思う」
「英霊は戦いが終われば座に還る。それは僕でも他の英霊でも変わらないよ」
「でもあなたは座に還ったら笑うんでしょう。ああ良かった、ハッピーエンドだって。それは少し違う。ハッピーエンドにしたんですよ。あなたたち英霊と、立香さんたち人間が」

 そう言って、彼はまだ少しだけ悲しそうな顔で微笑んで席を立った。「なまえくん、」と呼び止めれば彼は振り向いて申し訳なさそうに眉を下げる。

「すみません、変な話をしました」

 紅茶、淹れ直しますね。と僕の空になったカップを持ち上げて驚いたように目を瞬かせたあと、それはそれは嬉しそうに、自慢げに。

「美味しかったでしょう?」

 そう屈託なく笑ったのを、ひどく恨めしく感じた僕に内心首を傾げながら、私は常と変わらない笑みで肯定の意を返したのだった。


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