今更だと嗤え

随分違うな、と乾き切った両の指先を見て瞬いた。手のひらが蛍光灯の光を受け止めるようにして右手を掲げる。くっきり浮かび上がる令呪の赤い紋様と、指先に乗せられた淡い青。爪先を華やかに彩るのは、だいぶん、久しぶりのことだった。
 散らかした積み木を元の木箱に戻していくような感覚に、落胆とか安堵とか寂寥とか──そういうラベルを貼るのは随分前に辞めてしまった。
 あげるわ、と優雅に微笑んでくれたメイヴには悪いけれど、これは早いうちに返してしまおう。そもそもが気の迷いのようなものだったのだし、伸びた爪も、それに色を差すことも私には分不相応で必要がない。

「マスター」

 不意に響いた声に驚いて思わずさっと手を引っ込める。扉の開く音はしなかったからわざわざ霊体化をして入ってきたのだろう。それに驚きこそすれ意外には思わなくなってきているあたり、私も毒されていることをそろそろ認めなければならない。

「……普通に声掛けてってば」
「知らぬ振りをされてしまうと悲しいですから」
「もうしないよ……」

 そうですか、と悪びれずに笑みを浮かべ、ふわりとこちらへ寄ってくるのはアルジュナオルタだ。この様子では今後も当たり前に部屋に忍び入って来ることだろう。別に、やろうと思えば扉や壁が霊体化を受け付けないようにすることも、許可のない入室に警報を鳴らすこともできるのだけれど、仕様を変更する理由を聞かれても面倒だし。というかそうしたらしたでまた色々とややこしく受け取られそうでたまらないし。

「それよりも、今何かを隠しませんでしたか」
「……なにも」
「見せてください」

 依頼の体で言葉を使う割に目前まで来て手を取る仕草は、乱暴ではなくともいくらか強引だ。予測できていながら性懲りもなく跳ねる心臓に唇を引き結んで目を逸らす。
 慣れるだなんて嘘ばかりだ。今だって預けた指先が震えてはいないか心配になるほどだというのに。

「貴女がこういった装飾を施すのは珍しい」
「……もらった、から」
「ふむ……日々というのは難しいでしょうが、華やかに装うのも素晴らしいことです。そういう貴女も、私にはとても好ましく魅力的に映りますし」

 取られた方とは逆の、シーツを掴む手に力がこもった。
 どこか嬉しそうに私の爪先をゆるゆるとなぞっていたアルジュナはふと何かに気付いたように「ああ、」と蕩けるような笑みを浮かべて、ぎゅっと指先を絡めて握り込む。きら、と一瞬宙空を舞った光の粒子は、その手を覆う装備のものだったようで、なめらかな温度が手のひらに直接に触れる感覚は大いに私の心情を波立たせた。

「おそろい、ですね」
「っ……」

 メイヴの部屋でその小瓶を見つけた時の感慨を見透かすような台詞に、かっと頬に熱が上った。別に意識していたわけではない、なんてこんな反応をしてしまった時点で今更すぎる言い訳だろう。
 青、なんてありふれた色が特別に目に止まって、明確にイメージを浮かばせてしまうなんて本当に、──救いようのない、馬鹿馬鹿しさだ。

「ふふ、相変わらず健気な……よくお似合いですよ。悠乃」

 一周回って辟易しそうなほど甘い声色に脳髄をぐらぐらと掻き回される。口の中の唾液を飲んで、わずかに身を引く。それを追い詰めるようにして隣に座ったアルジュナの視線から逃れて俯いた。絡めとられたままの指先を振り解こうと腕を引きかけ、逆に強くシーツに縫い止められてしまう。
 濃淡の大きく異なる肌の色が重なる様は視覚的により一層艶かしさを長じさせるようでただでさえ落ち着かない鼓動を更に忙しなくさせる。私の手の甲をいたずらに擽る指先に乗せられた色、は──。

「……」
「マスター?」

 あなたはとても目が良いんじゃなかったの。不意に口を突きそうになった恨みがましさの塊を私は無理矢理に飲み込んだ。

「なんでも、ないよ」

 ぱちりと彼はひとつ瞬き、静かに微笑む。かたん、と積み木を揃える音が響いた気がした。
 ──ああ、やっぱり、こんなもの、目に止めてしまわなければ、よかった。

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