目前に迫った大岩のような大剣で弾き飛ばされたところまでは覚えている。
規則的な電子音に不意に意識を揺すられた。ぼんやりと瞼を開く。天井の照明は真っ白で起き抜けの視界には少々眩しい。目に手をかざそうとして腕が持ち上がらないことに気づいた。体が重い。
見覚えのあるここはカルデアの処置室か。
「……死ななかったかぁ……」
意識があるということは多分そういうことなんだろう。傍の機械から聞こえる悠乃の意識を呼び起こした電子音はそのまま彼女の生命の証である。ぼうっと天井を眺める。見知った部屋に安堵はある。ただ安息がないだけだ。
「──悠乃ちゃん」
首を動かす前に声の主は顔を見せた。少し困ったような、心配そうな、遠慮がちな笑み。
「起きたかい。体はどう?」
ふわふわと柔らかそうな髪のその人の、表情と同じくらい控えめな声が結構好きだ。今までの私の人生の中にはあまりないものだったから。
「起きました。……とりあえず声は出ます」
「そうみたいだ。痛いところはあるかな」
「いえ。体は重いですけど」
うん、とロマニは頷いて点滴の管をぱちぱちと外す。ちょうど交換の時間だったみたいだ。よかった。このタイミングで来てくれなかったら多分悠乃はもう一度眠りに落ちてあと一日くらい昏睡記録を更新するところだった。
「どこまで覚えてる?」
「えぇっと……アメリカにレイシフトして……街へ向かう道中でスプリガンに不意打ちされて、傍にいたサーヴァントが吹っ飛ばされたからうっかり目前に晒されたって感じですかね」
「記憶には問題ないね」
大急ぎで帰還させたけど結構危ないところだった、とロマニは呟く。表情はあまり伺えなかった。
「久々に死ぬかと思いました」
はは、と軽く笑ってからそうでもないなと思い直した。割と死にそうだな、と思うことはある。ただ実感をもってこれは死んだかも、と思うのはあまりないが。それこそ最後にそういう経験をしたのはアメリカの特異点でナイチンゲールに会う直前、くらいだろうか。
「笑い事じゃないんだよ」
嗜めるというよりは責める色合いの強い声音を意外に思って枕元のロマニを仰ぐ。手が止まっている。
「怒ってます?」
はっと顔を上げたロマニは悠乃を見て一瞬怯んだような顔をしてから目を伏せた。
「怒ってない。──怒ってないよ。君には」
ごめん。そう言うロマニに分かりやすい人だなあ、と悠乃は呆れた。こんなにお人好しで大丈夫なんだろうか。まあ、私情と仕事を切り分けられる人なのだということは分かっているのだが。
「傷はちゃんと塞がってるよ。……塞いでくれた、と言うほうが正しいかな」
「どちらでも。何日寝てたか知りませんけどその間診ててくれたのはドクターなんでしょう?」
「二日だよ。傷はきれいに直ってるけど、体力の消耗が激しい。あと……そうだな、二日三日くらいは安静にしてほしい」
分かりました、と頷く悠乃に戯けたように笑いかけたのはきっとロマニの気遣いだったのだろうと思う。
「まあ、少しの間だけどちょっとした休暇だと思ってゆっくり休んで。最近はほら、悠乃ちゃん働き詰めだったろう」
微妙な顔をする悠乃を見て首を傾げるロマニに今度こそ呆れのため息を吐く。
「ドクターこそちゃんと休んでください。疲れた顔してます」
少なくとも人に休めと言っていい顔色ではない。えっ、と困惑したようにぺたぺたと自分の顔を触ったロマニはにへらと気の抜けたような顔で笑う。
「そ、そうかなあ」
「そうです。そういう顔をしているとマシュがすごく気にするから。かわいい後輩に心配かけないでください」
マシュの名前を出したのは失敗だったな、と思ったのはすぐだった。ロマニが泣きそうな顔で目を眇めたからだ。思わずたじろぎそうになって体が動かないことを思い出した。怒られるだろうか、と身構える。何せ現在進行形できっと悠乃はマシュに多大なる心労をかけている。先輩、といっそ青白いほどの顔で悠乃を呼ぶ姿を明確に思い浮かべられるくらいには。
けれど予想に反してロマニは悠乃を叱らなかった。ベッドの傍に蹲み込んで悠乃と目を合わせる。
「ボクが言えた義理じゃないんだけど、聞いてくれるかい?」
「……聞くだけなら」
ロマニは困ったように微笑んだ。何だか許されているようで居心地が悪い。
「君が帰ってきてくれて本当にほっとしたんだ。今回のレイシフトにはマシュが同行してなかった。君が怪我をしていると聞いた時のマシュはまるで迷子の子供みたいだったよ」
迷子の子供。痛む胸とは裏腹に重量を増すような手足の感覚から目を背ける。余計なことを、口走ってしまいそうだった。
「ここでどれだけ心配していてもボクは君を戦場へ送り出すことしかできない。だからこれはカルデアの司令官代理としての言葉じゃなくて、ボク個人からのお願いとして聞いてほしい。これから先もきっと……いや必ず、こういうことはたくさんある。でも諦めないでほしいんだ。生きることを諦めないでほしい」
「──マシュのために?」
口が滑ったと気づいたのはロマニが大きく目を瞬かせてからだ。なんとか誤魔化そうと口を開いて、出した言葉はどうしようもないと口を閉じる。その動作に何か気づくところがあったのかなかったのかは分からないが、ロマニはさっと表情を改めてこちらを見つめた。
「うん。──でも何より、君自身のために」
綺麗事だ。そう口を突きそうになった言葉を咄嗟にため息に挿げ替える。今日は何だかよくない日だ。疲れているのだろうか。きっと疲れているのだろう。こういう時は黙って自分の感情が過ぎ去るのを待った方がいい。怪我をしていてよかった。こういう日は誰彼構わず話をするものではないと相場が決まっている。
「……わかった。考えておきます」
「うん。それじゃあまた後で来るよ。起きたばかりなのに長々と話をしてごめんね」
にこりと笑って背を向けるロマニを不意に呼び止める。
「ねえロマン」
「うん?」
「もしかしてさっきの聞いてた?」
「さっきのって?」
悠乃の視線を受け止めて首を傾げるロマニを二、三度の瞬きの間じっと見つめて、目を逸らす。
「──やっぱり何でもない」
「そう? じゃあおやすみ、悠乃ちゃん」
今度こそ部屋から出て行ったロマニの遠ざかる足音を聞き届けて、やっぱり足音はしなかったなぁ、と少し憂鬱な気持ちで目を閉じた。