妙な感覚がするのでは? と尋ねると彼女はどういう意味かと首を傾げた。
「別側面の──私と先に縁を結んだのでしょう」
「ああ、オルタのこと?」
「ええ」
似通うところはあるといえど姿形も違い、その在り方も違う私と彼に戸惑うこともあるはずだ。まして私は彼女に『顔』を見せていないのだから、あの泰然とした英雄と比較すれば──。
「そうでもないよ。カルデアは特殊なところだからそういう例もまあなくはないし、それにあなたとはアメリカで会ったことがあったもの」
「……そのようですね。私は、その、朧げにしか記録していませんが」
「まあほとんど話せなかったしね」
誤った回答だ。アメリカ大陸の特異点のことは朧げというには少し不適格な程度に覚えている。それでも確かに彼女の言う通り悠乃のことはあまり覚えていないから嘘というわけではない。様子を伺う私を気にしているのかいないのか、悠乃はこちらを振り向いて笑みを浮かべる。
「でも力を貸してくれたひとのことだから、覚えてたよ」
彼女の屈託のない笑みは少し、苦手だ。目を逸らしてしまいたくなるし、いつも頭を過ぎる疑問を飲み込むのに苦労する。
宿敵との決着をつけられなかったという大きな禍根が大半を占める特異点の記録の中で、ちらりと残る印象の彼女は、こんな風に笑える少女だっただろうか、と。
異聞帯の記録を見た。
かの故郷が『彼』の定める秩序によって治められていた記録を見た。
すべての我らが神の権能を取り込み、ただ唯一の神《システム》として彼の地を治める、もう一人の私。私の可能性。
羨ましいと感じてしまった。己がままに世界を作り替える権能ではなく、人以上の視野と力を持つことでもなく。執着を破棄し泰然と、憂いも悲哀も抱かずに偉業をなし得るそのことに。
けれどこれは英雄アルジュナが抱いてはならない羨望だ。
かの異聞帯を切除したマスターに、生きたいと願う人々に、そして何より、あのような終わりを迎えて尚マスターの呼びかけに応えた彼の意思に、大きく背く羨望だ。
これは、この思いは、胸に秘めなければならない。表に出すべきではない。「私」が持っているべきではない。
そうして隠すと決めてから彼とは一度も話していない。別に難しいことではなかった。彼は私に好意的ではあれど、積極的に関わってくる傾向はなかったし、マスターもまた私と彼をあえて共に行動させることはなかったからだ。そういう意味ではなるほど確かに、マスターの言う通りこれはさほど特殊な事例ではなく、彼女にとってそれほど物珍しいことでもなかったのだろう。
マイルームの供を任されることが少し増えた。印象に違わずサーヴァントとの交流を重視するらしい彼女は読書やレイシフトのメンバー選択などの業務の傍らあれこれと私の話を聞きたがる。好きなこと、嫌いなこと、戦闘時以外では何をしているのか、食堂の好きなメニューは何か、――聖杯に、もしも何かを願うとしたら。
永遠の孤独を、と零れた本音に彼女は意外にも共感の意を示した。
「やっぱりほら、カルデアに来てからは賑やかなことが多いから。ちょっと一人になりたいなーって時はそりゃあ私にもあるよ」
「……それと永遠の孤独ではニュアンスが違いすぎるかと思いますが」
「あっやっぱり? でもわりと本音だよ。一瞬にせよ永遠にせよ一人になるって案外難しいもの」
至って気楽に言葉を返す悠乃との会話はそう気を張ることもなく心地の良いものであったが、だからこそ警戒すべきだと頭のどこかで警告が鳴る。好ましいものからこそ、私は距離を取るべきだ。
「無用に私に踏み込まぬように。絆というものがいつも貴女を明るい場所へ導くとは限りませんので」
このままではきっと私は遠からず貴女を殺してしまう。さすがにそんなことまでは口には出せなかったけれど。
悠乃はそんな私を不思議そうにしばらくじっと見上げてから思わず、といった風に吹き出した。どこに笑う要素が、と慄く私にもまたおかしそうに笑みを零して「だって」と口を開く。
「わざわざ今更そんなこと言ってくるから。大丈夫、分かってるよ。ここには真性の悪人だってたくさんいるんだし。分かってて、こういうのを私は好きでやってるの」
「それは……そうでしょうが」
「アルジュナは真面目だね」
私は確かにある程度真面目で勤勉であると自負しているがこんなところでしみじみと実感されるというのはよく分からない。眉を顰めた私に彼女は相変わらず邪気のない顔で笑って、ぽん、と机に本を放り投げた。
「まあ気になるならいいよ。実際のところ、私のサーヴァントはあなた一人じゃないし、特別にあなたに思い入れがあるわけでもない。こういう交流はあくまで意思疎通を円滑にするための手段であって、あなたと特別に心を通わせたいわけではない」
そういう感じ? と少々芝居がかった仕草で首を傾げる彼女に思わず呆れたため息が出る。真摯な忠告のつもりだったのだが、彼女には新鮮味のないものだったらしい。こういった交流の端々にある種の慣れを感じるのは数年をこの奇特な環境で過ごしたが故だろう。
「どうするかはアルジュナ次第だけど、でも私個人としてはここではそんなに気にしないでほしいな。怖がるのって疲れるでしょう?」
部屋の外から「先輩、少しいいですか」と控えめなノックの音が響く。返事をしながら立ち上がる彼女はぴたりと動きを止めた私の様子に気づくことはなかった。
「ごめんアルジュナ。少し待っててね」
そう言ってマイルームを出ていく彼女をかろうじて見送り、ぎりぎりと拳を握り込む。
「――怖がる? 私が? ……この私が、何を恐れるというんだ」
*
分かり切った問いであったにもかかわらずそれを空へ投げたのは認めたくないという意識の現れであったのだろう。英雄アルジュナには、汚点などあってはならない。恐れるものなどあってはならない。常に背を正していなければ。常に清白であらなければ。
あのようなことがあった後だというのに健やかに寝息を立てている悠乃にはさすがは歴戦のマスター、と称賛を送るべきなのだろうか。サーヴァントの意識に誘われることはままあることだと聞いてはいたがここまで意に介されないと少し複雑な気分にもなる。私は先ほどまで貴女を殺そうとしていたサーヴァントなのだが。
――そんなの、普通のことだよ。
彼女は言った。隠したいことがあるのも、見られたくないような悪心を抱くことも。誰にだって当たり前にあって、それは異質などではないのだと。私だって、と彼女が僅かに顔を歪めたことに気づいた瞬間愕然とした。元より気づくべきことだった。誰かの願いそのものとも言えるような数多の世界を切り落とすことに悠乃が何も感じていないはずはないのだから。
白い曼珠沙華の中に倒れた彼ともう一度出会って、彼女は何を思ったのだろう。自らの願いをその手で切り落とした彼女の声に応えた彼は何を思っていたのだろう。
初めて、それを知りたいと思った。彼女ともう一人の私が、どうやって互いを繋いできたのか。知りたいと、思ったのだ。
眠る悠乃が小さく身動ぐ。もうすぐ夜が明けるのだろう。マスターを危険に晒した私は間違いなく断罪を待つ罪人のようなものだけれど、不思議と穏やかな心持ちだった。どのような罰でも受け入れる覚悟をしていたのに、夢から醒める直前に彼女が見せた笑みがあまりにも優しかったせいだ。
――マスター。私のマスター。目を覚ました貴女は、私を見て、また笑ってくれるだろうか。