妙に気怠い体を引きずってマイルームの扉を開ける。そのまま荷物も何もかも床に放り投げてベッドに直行したいな、だなんて自堕落が頭を過ったせいなのか、ドアの真ん前に黒いスーツが見えて目線を上げた。スーツというのは何人かのサーヴァントが再臨で着用するが、このシルエットからして。
「斎藤さん」
斎藤一。新撰組三番隊隊長。己の誠を掲げて新撰組を見届け、幕末から明治という激動の時代を生き抜いた近代の英霊。彼が召喚に応じてくれたのは一月ほど前のことだ。あれこれと連れ回して話をして、最近では素の垣間見える柔らかな表情も窺えるようになったかな、なんて思っていた矢先なわけだけれど。
それにしては今日は少し表情が厳しい、ような。
「ただいま。待っててくれたんですか?」
とりあえず挨拶は大切だ。座りもせずにここにどれくらいいたのかも分からないし。へら、と笑みを浮かべる私に斎藤さんは一瞬珍妙な生物を見るような顔をしてから、呆れ顔で「はいおかえり、マスターちゃん」と応じてくれた。
人目が出来たので荷物を放置するわけにもいかなくなった。ベッドに座って医務室を出る時にぽいと適当に渡された衣類をほどく。いつも思うが処置の際に脱がせてそのまま渡すというのはどうなんだろう。まあ今医務室に常駐している主治医が衣服の扱いに気を配るところはあまり想像できないが。
ずる、と山から取り出したタイツの惨状に眉を顰めた。カルデアから支給される礼装というのは基本的に上から下まで魔術防護を掛けられていて、ちょっとやそっとの攻撃では生身が晒されないようになってはいるのだが、それも当然ながら万能ではない。特に元々の生地の耐久性が低い場合などは顕著にそれが現れる。
さすがに駄目だな、これは。うん。
はーっと軽くため息を吐きながらゴミ箱に投げ入れようとし――外れた。一番恥ずかしいやつだ。疲労感からか動作が普段の倍増しで雑になっている自覚がある。がくりと肩を落としつつ立ち上がる私に斎藤さんが口を開いた。
「怪我はどうなの」
てっきり「何やってるの」なんて半笑いでからかわれると思ったのだが、思いの外真剣な声色だったので驚いて振り向く。
「見てたの?」
「そりゃあれだけ騒いでたらね」
帰還した直後は意識が判然としなかったのであまり気付いていなかったが、管制室はちょっとした騒ぎになっていたそうだ。しばらく心配をかけそうな雰囲気に思わず苦笑いを零す。
「アスクレピオスが治してくれたから大丈夫だよ。もう傷ないでしょ」
下らん怪我だ、二度とするな。とこの世の底辺を見たかのような顔で凄まれたので今後は気をつけるつもりである。いやいつも気を付けてはいるが。哀愁さえ漂う床に落ちたタイツを今度こそゴミ箱に放り入れる。
「この程度で済んでよかったよ。もっとひどい怪我する時もあるんだし……」
だからそんなに心配することではないんだ、と続けようとして、ぐいっと力任せに引かれた腕に言葉が止まる。振り向いて見上げた彼の顔は驚くほど険しくて、思わず肩が跳ねたのがわかった。
「やっぱ向いてねえんだわ、あんた」
「……向か、ないって、なにが」
眦にきゅっと力を込めれば腕を掴む力も強くなる。気に食わないと暗に言われているようで怖気が走るがここで目を逸らすわけにはいかないと直感が告げていた。いざという時の勝負勘だけは良いというのは騎士王のお墨付きである。こういう時に引かないことは私にだって出来る身を守るすべだ。
「そんな風に大したことがないなんて虚勢を張るような小娘に英雄なんてもんが向いてるはずねえだろうが」
怒りよりも苦々しさの方が勝る表情で吐き捨てるように言う彼の言葉に目を見開いた。
「こんなことはもっと、向いてる奴がやるべきことだ」
虚勢を、張っているのだろうか。そう見えるのならそうなのだろう。自覚がないわけではない。ただそれでも、辛いのだと認めてしまえばどこにも進めなくなりそうな自分が怖くて、ずっと静かに蓋をしている。それさえも目の前の彼、そして彼らにとっては「向いていない」ということなのだろう。
似たような顔をする英霊をたくさん見てきた。自らの生きた先を未来に託した彼らは一様に「やり切れない」と私に言うのだ。
――怯えが抜けた。
「斎藤さん」
何か感じるものでもあったのか、小さく息を飲む斎藤さんの頬に手を伸ばす。
「優しい人なんですね、あなたは」
ふわ、と胸の奥が温かくなる感覚に表情を緩めれば彼は一瞬呆気に取られたように目を見開いて、それから視線を伏せて長いため息を吐いた。
「なんでそうなる……。――八つ当たりだ、こんなん」
「それはそうですけど」
彼は顔を上げると気まずそうに腕を掴んだ自分の手を見て「ごめんね、マスターちゃん」なんてやたらと軽い口調で手を離した。色々と誤魔化すのが得意そうな斎藤さんにしては不器用な仕草に思えて思わず笑ってしまう。
「心配してくれたんでしょう? 私だって、こんなの向いてると思ってやってません」
「……なら何で」
「私しかいなかったから」
答えなんて初めからそれだけだ。
「最初から、私しかいなかったんです」
多くの英霊が言う。今を生きている者にしか、世界は変えられないのだと。未来を紡ぐのは生者の意志だと。ならば初めから、選べるのは私しかいなかった。
「そうして選んだ。私は選ばれた人間じゃないけど、自分の意志で選んだの」
託される宿命も選ばれる運命も持ち合わせていないけど、生きるために戦うことを私は私自身の手で選択した。
「だから私がやらなきゃいけない。いつか全てが終わった時に、その選択に胸を張れる私でいたいから」
後悔も痛みももうずっと消えることはないだろう。それでも進むことでしか何も残せないのなら。前に進むことを選ぶ私を信じていたい。
斎藤さんはしばらくえも言われぬ複雑な表情でこちらを見つめたあと小さく唸りながら眉間に手を当ててどさりとベッドに腰掛けた。
「……あのさあ、マスターちゃん、僕ね」
「はい?」
「多分君が最初からそういう子だって知ってたら召喚には応じなかったよ」
きょとん、と瞬きを数度。真意を掴みかねて床に座り込み斎藤さんの顔を覗き込む。彼は私と目が合うと先ほど私をおかえりと出迎えてくれた時と同じような顔で緩く笑みを作ってぽん、と私の頭に手を乗せた。
それが何だかとても嬉しく思えて、
「それはちょっとさみしいなあ」
なんて、小さな本音が零れ出た。