「最近戦闘出られないですねえ」
昼時。まばらな賑わいの広がる食堂でそんな声を掛けられた。聴き馴染みのある声に、あぐ、とコロッケに齧りつきながら斎藤は視線を上げて沖田の姿を認める。彼女は斎藤の向かいに腰掛けながら今し方厨房から持ってきたのであろう湯気の立つきつねうどんを置いた。その妙にうなだれた分かりやすい様子に斎藤は口角を上げる。
「なーに、沖田ちゃんてそんな四六時中『戦いたい!』ってタイプだっけ」
もちろん好戦的なことには違いないのだが、生前の沖田もこのカルデアで同僚として働く沖田も戦闘狂というほどその行為そのものを好んでいるわけではなかったはずだ。
「そうじゃなくて! 最近、レイシフトがあっても私……っていうか私たち、あんまりマスターからお呼びがかからないじゃないですか」
うどんを啜りながら不満げに言う沖田にああなるほど、と頷いた。この頃見つかる特異点はどれもやたらと大型のエネミーを観測したり敵性反応の数が膨大であったりなどで広範囲殲滅型の戦闘を得意とするサーヴァントが編成されることが多く、斎藤や沖田などの対人戦闘を得意とする者はレイシフトに同行することが少なくなっているのだ。
「自分より他が頼りにされてるみたいで不満?」
「う、そ、そりゃあ、そうじゃないとは言いませんけど!」
今日だって私じゃなくてノッブ連れてっちゃうし……などとあからさまに対抗意識を燃やす沖田を見て本当にこの子は変わったなと生温い笑みが滲む。あの張り詰めた顔の彼女からは想像も出来ない――いや、そうではない。こんな風に悔しがったり笑ったりする沖田の顔はむしろ見慣れたものだったはずだ。ならばやはり彼女は、変わったのではなく、ただ昔に戻っただけ。
ひとしきり思うところを呟いて満足したのか、沖田はこほんと咳払いをして真面目な顔でうどんに浮かぶ油揚げを箸でつついた。
「もっと単純な話ですよ。私に良くしてくれる悠乃さんに何か返せることが出来たらと思うだけです。結局のところ私はただの人斬りでサーヴァント。マスターを阻む何かを斬ることでしか役に立てませんから」
「殊勝だねぇ」
「何ですか
沖田はむっと眉間を寄せると手元のグラスを引っ掴んでごくごくと豪快に水を飲み干した後、ビシリと斎藤の鼻先に箸を突きつけた。箸で人を指しちゃいけませんと教わらなかったのだろうか。
「私は心配してあげてるんですよ! 斎藤さんは少し前までレイシフトでもシミュレーションでも悠乃さんに付きっきりだったじゃないですか。それが急に同行をお願いされなくなったら寂しいんじゃないかなーって。かくいう沖田さんもですねえ……」
そう繋がるのか、と思わず渋面を作った斎藤は沖田の言葉を右から左へ聞き流しながら淡々と食事を進めるのに専念することにした。その辺りの機微は今はあまり触れられたくない箇所なのだ。
先日のレイシフト前、沖田の言う通りここしばらく連れ回されていた斎藤はその日も当然のように同行しようとして「もう編成決めてあるから大丈夫」と悠乃に押し留められた。
「今回はカルデアで待機をお願いします。ごめんね、いつもありがとう」
そうにこりと斎藤を見上げる悠乃に頷いた自分の表情はいつも通りのものだったはずだ。
「いやいや、たかが人斬りには荷が勝ちすぎるってだけでしょ。せいぜい怪我しないように気を付けてね、マスターちゃん」
謝るようなことではないと迂遠に背中を押すつもりで発した言葉が嫌に皮肉めいた響き方をしたと気付いたのは口に出してからで、それを受けたマスターがきょとんと目を瞬かせた後だ。しまったと息を飲んでもすでに時遅く。
「斎藤さん」
「……あーいや、つまりその」
「拗ねてるの?」
「は?」
首を傾げる彼女に瞬間、思考が真っ白になる。悠乃はその沈黙をどう受け取ったのか、ふむと一つ頷くと「大丈夫だよ」と笑顔を浮かべた。
「心配しなくてもいつも頼りにしてるから。行ってくるね」
ひらひら、軽く手を振って彼女は背中を向ける。
「――拗ねてねぇよ……」
などと、いくら呟いたところで悠乃の言ったことを即座に否定できなかった時点で答えなど分かり切っていることなのだ。
そんなことがあってから今はちょっと自分とマスターの距離感について言及されるのは避けたいところなのだが、この同僚はまったく空気が読めるんだか読めないんだかピンポイントで話を振ってくるのだから困る。
別に寂しいとかいう分かりやすく感傷的な感情はない。ただ「大丈夫」と――それは「あなたがいなくても大丈夫だ」という言外の通達だ――それを何でもなく言えてしまう悠乃に多少思うところがないわけではなく。この胸に巣食う何かの感情が彼女の言う通り「拗ねて」いるのだとしたら、つまり、それは、……どういうことだと頭を抱えてしまうわけで。いや、考えるだけ無駄だ。断言してもいいが絶対にあの少女は自分が何を言ったのかも分かっていなければ、自分の発言が斎藤にどんな気づきを与えようとしているかの趨勢も一切気にしちゃいない。
「ってなわけでつまり、別に斎藤さんが特別なわけじゃなくて……って、ねえちょっと、斎藤さん聞いてます?」
「あー……ごめん、あんまり聞いてねえわ」
はあ⁉ と憤慨する沖田を尻目にどんぶりのつゆまでしっかりと飲み干してガタンと斎藤は席を立つ。逃げと言われようと構うものか。こと生存において逃走というのは非常に有用なスキルなのだと斎藤は生前の経験により痛いほど痛感している。
「も〜っどうせ暇なんですしこの後手合わせ付き合ってくださいよ」
「絶対やだ」
「――へえ、斎藤君って今暇なんだ?」
思わぬタイミングで差し込まれた第三者の声に沖田と斎藤は揃って振り返り、同じ動作で視線を下げた。
「ダ・ヴィンチさん」
にこにことその幼げな容姿そのものの無垢な笑顔でダ・ヴィンチは挨拶がわりにか斎藤と沖田に軽く手を振る。いつもは管制室かその奥に構えた自分の工房、もしくはカルデア内を忙しく走り回っていることの多いこの小さな芸術家が食堂に顔を見せることは珍しい。しかも悠乃や他のサーヴァントがレイシフトしている最中の今は特に。いや、ここは構造上食堂が通路と接しているのでもしかしたら通りがかっただけなのかもしれないが。
「そりゃ今はマスターもいませんからね」
「ならせっかくだし気が向いたら記録でも見てみたら? ほら、君はまだ召喚されてから日も浅いし、確か邪馬台国での記録くらいしかちゃんと閲覧したことなかっただろ?」
「記録?」
「そう。悠乃ちゃんの旅路の記録さ。気になるんじゃない?」
管制室と悠乃ちゃんのマイルームでならサーヴァントでも自由にアクセスできるようにしてあるよ。ダ・ヴィンチはそう言ってにっと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「今の彼女だけじゃなく今までの彼女も知ってあげるといい。君たち、近頃仲が良さそうだしね」
*
どいつもこいつも触れられたくない場所に躊躇なく手を突っ込んでくるのだから癪に触る。そうは思ってもダ・ヴィンチの言う通り彼女の道行きの記録というのは少なからず斎藤にとって気にかかる事柄ではあったので、勧められた通り順繰りに記録を再生していくことにした。
赤黒く燃え盛る現代日本の地方都市。
邪竜が空を飛び交うフランス。
絢爛豪華な古代都市ローマ。
空との間《あわい》がつかぬほど青い海の広がるオケアノス。
魔霧の充満する妖しげな近代都市ロンドン。
次に再生した記録映像の幾許かも経たないうちに流れたぞっとするような光景に、咄嗟に斎藤は映像を停止させて、それが無意味な行動であることに数秒遅れて気が付いた。これは過去の出来事であり、現在の彼女とは何の関係もないはずで。
「――あれ? 斎藤さんいたの?」
ひょこり、と顔を覗かせる数時間ぶりに見た彼女の姿に安堵するように肩の力が抜けた。
「お疲れ様。邪魔してるよ」
「ただいま」
へら、といつもの調子で声を掛ける斎藤に笑い返す悠乃の瞳には普段よりも疲労の色が濃く乗っている。朝から晩まで特異点で走り回ったのなら当然だろう。今日は早めに休ませてやるべきだと判断した斎藤が腰を上げるより前に悠乃が口を開く。
「何見てたの?」
「これ? 発明家のお嬢さんに旅の記録でも見てみたらどうだって言われてね」
へえ、と悠乃は興味深そうに斎藤の手元を覗き込んで「アメリカかな? 懐かしい」と微笑んだ。予想以上の穏やかな反応に思わず斎藤は口の端を引きつらせる。
「懐かしいってそりゃまた大物な……腹ド真ん中に穴ァ開けられてんのよ?」
「あー、あったねえ」
「こんな惨状でどうして生きてんのマスターちゃんは」
「なんでだろうねー」
あっけらかんと返す悠乃は気負った様子もないのが逆に不気味だ。
「なんか生きてたんだよね」
「不思議だねーとはならんでしょーよ」
あはは、と何がおかしいのか悠乃は斎藤の軽口に笑い声を上げて隣に座る。無意識に腹を追った視線に気づいてか彼女は礼装の上から先ほどの映像で傷を負っていた付近を指先でなぞった。
「もう傷ないよ。見る?」
「いや見ない見ない」
躊躇なく裾をたくし上げそうな勢いを押し留めれば「そう?」などと目を瞬かせるのだから思わずこめかみを押さえてしまう。自分が何者であるのかを理解しているのだろうかこの娘は。
「まあ、別にこれに限らずだけど傷なんてほとんど残ってないよ。割と最初からそういうの気にしてくれる人がいたから」
ああ、と脳裏に数人のサーヴァントの顔が過ぎった。まだカルデアでは新参者である斎藤でも「気にしてくれる人」にあたるサーヴァントの何人かには心当たりがあるのだから、実際はもっと多くいるのだろう。
「いいことじゃない。大事にされてるってわけだ」
「そうだね」
にこりと笑んだ彼女の顔はお手本のような朗らかさだったのにどこか上滑りしているように感じて、斎藤は怪訝な思いで視線を上げる。
「みんな、私に傷が残らないように――私がまっさらなままで帰れるようにしてくれるの」
つま先を見下ろして、すうと細められた瞳からはいつの間にか温度が消えている。
「英雄って感じでしょ」
それは皮肉よりも寂しさを強く感じさせる声音だった。
こちらに目を向けないまま「ねえ」と悠乃は問いかける。
「斎藤さんもそう? 私に何も残らなければいいと思ってる? 悲しいこともつらいことも全部忘れて、ただの女の子に戻れば私が幸せになれると思う?」
「――」
「初めて会った時に言ったでしょ。一ちゃんって呼ぶなって。あれは親愛を込めて呼ばれたら踏み込まれるような気がして嫌だったから? それとも、親愛なんて感情はいつか別れる私にとって持つだけ無駄だから?」
矢継ぎ早に淡々と。自分が話すことをさほど好むわけではない彼女にしては珍しいほどに饒舌だった。
悠乃は一呼吸おいて口を閉じるときゅう、と小さく眉根を寄せる。そうして不安げな様子でこちらを横目で見上げると目を伏せた。やってしまった、と言わんばかりの落ち込みようにそこで初めて斎藤は自分が彼女の言葉に飲まれたことを自覚した。
悠乃は一つため息を吐いて再度斎藤を見上げると取り繕うように口端を緩める。
「ごめんなさい……へんなこと聞いちゃって」
その笑い方があまりにも下手だったから、呆れた気持ちが浮かぶまま悠乃の言葉を遮るのも仕方のないことだ。
「あのさあ悠乃ちゃん、そんなに僕って優しい人に見える?」
息を飲む悠乃の返答を待たずに斎藤は首を横に振って口を開く。
「そんなわけないでしょ。ぜーんぶ自分のため。普段へらへらしてんのも、自分は呼ぶ割に他人には名前呼ばれたくないのも、誰かと深い関係結ぶのが嫌だから。言ったでしょ、僕は好きにするからマスターちゃんも好きに使い捨てなって」
まあ今になって考えればこのマスター相手に限っては望むべくもない提案だったわけだが。何なら裏切られても懲りずに信を置けるタイプだ。毒気が抜けるとはこのことだろう。
以前同じことを言った時とまるきり同じ表情で眉を下げる彼女に思わず笑ってしまいそうになる。嫌になる程真っ正直だ。そういうところに絆された自覚はあるので笑えもしないが。
「先手で牽制切っといてこのザマなのは僕だってまあ思うところあるけどさあ。剣だの誇りだの、預けるなんざ考えてもなかったわけ。だから悠乃ちゃんが深く考える必要ないし、そういう邪推は迷惑」
そもそもそういうキャラでもない。軽く額を指で弾くと悠乃はひゃっと小さく悲鳴をあげてから眦を緩めた。
「そっかあ……ごめんね」
「わかったならよし。疲れてんだろ、もう寝な」
うん、と素直に頷く頭にぽんと一度手を置いて今度こそ立ち上がる。端末を彼女に返してひらりと手を振り出入り口の扉を潜る、その直前。
「ありがとう、斎藤さん。……おやすみなさい」
「――ん、おやすみ」
振り向かなかったのは、多分自信がなかったからだ。「いつも通り」のへらついた笑みで答えられる自信が。扉が静かに閉まる音を聞き届けて、はぁ、と盛大なため息と共に斎藤は廊下にしゃがみ込む。
――結局のところ私はただの人斬りでサーヴァント。マスターを阻む何かを斬ることでしか役に立てませんから。
沖田の言葉を思い出す。斎藤さんは器用だから、と彼女は言ったけれど。
「同じだよ沖田ちゃん」
自らの人生の半分も生きていない小娘の、あまりに遣る瀬無い孤独をただ少し引き受けることすら、斎藤にはできないのだから。