春を呼ぶ

すっきりと晴れた青空、色とりどりの花が咲き乱れる一面の草原、吹く風は爽やかで暖かく、まさしく春爛漫といった風情だった。そんな心躍る/唾棄すべき光景の中、困惑と嫌悪に顔を歪ませる男が一人。――と、そんな風景にまったく似合いのお気楽な笑顔で笑い合う少女が二人。
 少女たちは――この辺りかな? そうですね。なんて言葉を交わして――ふわりと地面に敷き布を敷くと男の方を振り向いた。

「オベロン、バスケット広げるから手伝ってー!」

 ひらひらと少女の一人、悠乃が手を振るのとオベロンのこめかみに青筋が浮かぶのはほぼ同時であった。苛立ち任せに出立前に無理やり預けられたバスケットを地面に叩きつけようと手を離した瞬間、不自然な軌道でバスケットが浮き上がり、すーっと滑らかに少女たちの元まで移動していく。

「危ないですよオベロン。サンドイッチが崩れてしまったらどうするんですか」

 むっと眉を寄せてオベロンを咎めつつ、自身の指先へバスケットを誘導したアルトリア・キャスターは期待を込めた瞳でバスケットを敷き布の上に丁重に置いた。まるで宝箱かのような扱いである。そんなアルトリアの様子をにこやかに眺めながら、悠乃は持参したポットから紙コップに紅茶を注ぐ。
 オベロンの低空飛行真っ只中の機嫌にも構わない呑気な絵面に彼は口元を引きつらせ、花々を踏み散らして大股で彼女たちに近づいた。

「なんだってこんなところに連れてこられてるんだよ俺は!」
「ピクニックというのですよ。景色のいいところに出掛けて、美味しいものを食べたりお話をしたりするそうです!」

 そういう話ではない。微妙に噛み合わないオベロンとアルトリアのやり取りに悠乃は苦笑いを零してまあまあ、とオベロンを宥めようと紅茶を差し出す。跳ね除けられる。割と火に油であった。

「せっかくのいい天気なんだしのんびりしようよ。ほらオベロンも座って」
「いい天気も何もシミュレーターだろここ。仮初の晴天なんかでよくもまあそこまで浮かれられるもんだ。気楽な脳だね。世界を救う秘訣かな?」
「大体そう」

 隔離基地のカルデアに娯楽は大変少ないのである。シミュレーターだろうが特異点だろうが楽しめるものはとりあえず楽しんでおかなければ人間の感性は死んでしまうのだ。よくわかったね、と頷いているとシンと奇妙な沈黙が降りて悠乃は二人を振り仰いだ。
 片方は心底辟易したという顔で、もう片方は大層ショックを受けた顔で悠乃を見つめている。

「別に無理してないからその空気やめて?」

 めげずにオベロンにコップを差し出すと今度こそ舌打ちと共に受け取られた。付き合ってくれる気になったらしい。

「オベロンもなんだかんだついてきてくれるもんね」
「は? そこの筋力Bに引き摺られてきたのお前も見てただろ。目でも腐ってるのか」
「腐ってませんー」
「ハルノの前で筋力の話しないでください!」

 乙女の恥じらいとばかりに噛み付くアルトリアに肩を叩かれてよろめきかける。頬を膨らませるアルトリアは悠乃に「頼りにしてるから気にしなくていいのに」と首を傾げられて即座に膨らませた頬を萎ませていた。
 あまりにも馬鹿馬鹿しいので茶々を入れる気にもならず一足先にバスケットの蓋を持ち上げる。わあ、と感嘆の声を洩らしたのはアルトリアだった。

「すごい、たくさんですね! どなたがお作りになったんですか?」
「エミヤとブーディカさん。私もちょっとだけ」
「ハルノも?」
「きみ料理できるの? これ大丈夫なやつ?」
「お手伝いくらいだよ。オベロンは後で殴るね」

 カルデアでは博愛者ヅラしているマスターは時折ひどく物騒であった。


  *


 バスケットの中も空にして、では解散となるかといえばそうではなかった。本日休養日を言い渡されている悠乃とそれに付き添うアルトリアにとってはむしろこちらの方が本題とも言えるだろう。花畑ではしゃぐ少女二人は百歩譲ってともかく、それに付き合って遊ぶ自分など想像するだに吐き気がしたのでオベロンは遠目から彼女らを見守ることとした。ちなみに先に帰るという選択肢はシミュレーションルームの権限をマスターが握っているので存在しない。つまり暇なのである。
 奈落の底から見上げた汎人類史の青空とは似て非なる再現された空を眺めて木陰に突っ立っていると不意に視界の真ん中にアルトリアが映り込んでぎょっとした。
 アルトリアがいることに、ではない。見上げた視界の中にアルトリアの顔が見えて驚いたのだ。そんなオベロンの反応をどこか予測していたのか、アルトリアは得意げに目を細める。彼女の足元を見れば地面から離れた形で静止していた。

「驚きましたか? 楽園に戻った私はなんと空を飛ぶ魔術も覚えたのです」
「……飛行ってよりそれは浮遊だろ」

 慣性を振り切って縦横無尽に空を飛び回る『飛行』に比べ、重力を限定的に制限し姿勢制御さえできれば可能な『浮遊』は比較的実現しやすくコストもかからない魔術だ。あくまで飛行に比べれば、の話だが。

「まあ、それはそうなのですが。30cmほどは浮けますから、あなたを見下ろすくらいは造作もありません」

 悔しいでしょう、とでも言いたげな口ぶりに思わず胡乱に瞼を眇めた。

「バーゲストにでも言ってやれよ、それ」
「バゲ子にはこれでも届かないんですぅー!」

 対抗心もあらわにギリギリと歯軋りするアルトリアの様子はあのブリテンでの日々と大して変わらない。なんだ、少しは成長して淑やかになったかと思ったのだけれど。
 オベロンの白けた視線に気づいてか、アルトリアは取り乱したことを誤魔化すようにこほんと咳払いを一つして口を開いた。

「オベロン。あなたのことは以前のわたしも今の私もあまり好きではないのですが」
「へえ」

 特段これといった感慨もなくオベロンは相槌を打つ。まあ、それはそうだろう。彼女にとってオベロンは在り方も目的も相入れない宿敵に他ならない。

「嘘ばかりのあなたといるのは正直気持ちよくありませんでしたし、第一、よりにもよってこの私に名前を騙るなんて」

 これは恨み言というやつなのだろうか。ぶつぶつといくつか文句を立て続けに並べられて隠しもせずにため息を吐く。もしかしてこれが本当に本題だったりするのだろうか。傷付いたりはしないが面倒なので早く終わらせてほしい。

「――ですが。感謝はしています」
「……は?」

 不意を突かれてオベロンは無防備にアルトリアを見上げた。あの頃よりも少しだけ大人びたアルトリアはひどく静かな表情でオベロンを見つめている。

「目的があったとはいえ、わたしに魔術を教えてくれたこと。わたしの話し相手になってくれたこと。理想の形を教えてくれたこと。そして何より」

 アルトリアが花畑の方を振り向く。つられてそちらに目をやると悠乃が花冠を編んでいた。

「――彼女に、出会わせてくれたこと」

 花の間をするすると飛び回っていたブランカが羽を休めるように悠乃の肩に止まる。悠乃はそっと微笑んでブランカに優しく指先を伸ばして――まるで。どこかの夢見がちな/出来損ないの童話の一幕みたいだと思った。

「この私は、楽園の妖精わたしには与えられなかった、アルトリアわたしだけが持っていた春の記憶。とても暖かで眩しくて、やりきれないこともあるけれど……それでも大切な記憶です。だから、共にその記憶を紡いでくれた、あなたに感謝を」

 アルトリアはオベロンへと向き直ると暖かな春の日差しのような笑顔で笑ってみせた。

わたしあの子に代わって礼を言います。オベロン・ヴォーティガーン。ありがとう。きっとわたしが、一番伝えたかったことです」

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