花を塞ぐ

悠乃はキスが好きだ。いや多分、マーリンにされることなら何でも好きなのだろうけど、とりわけ、という意味で。
 ベッドの上でもよくキスをねだってくるし、ささやかな触れ合いの中でも柔らかに唇を合わせると蕩けるように微笑む。今も。

「マーリン、」

 胡座をかいた膝の上に乗る形で向き合った悠乃がひどく甘い声でマーリンを呼ぶ。うん、と喉の奥で微かに答えると嬉しそうに目元を綻ばせて悠乃はマーリンに顔を寄せる。技巧も何もないただ触れるだけのキス。

「マーリン、すき」

 かわいいな、と思う。とろんと熱を帯びた甘い感情ココロももちろん美味しいけれど。溢れるに任せて言葉を零して、隙間を埋めるように抱きついてくるのは素直でかわいい。これがまた誘っているわけではないのがたまらないと思う。いや、普通なら生殺しとも言うのだろうけれど。幸運なことにマーリンはそれほど普通ではないので、ぴたりと寄り添った女性らしい柔らかさも触れる唇の温度にもさほど動じないでいられる。
 これが普段なら託けて押し倒すなり何なりしているところだが、相手はレイシフト帰りで休息を必要としていた。また大変遺憾ながらこういった甘え方をする彼女はレイシフト帰りにしか見れない。こういう手管を誘うときにも使えばどんな男もイチコロだろうに、とは思わないでもないが天然モノだからこその愛らしさもあるかもしれないし……などと余計なことを考えながら小鳥が啄むようなキスを微笑ましく見守る。

「好き」
「私もキミが好きだよ、悠乃」

 囁いた途端さっと紅を刷いたように頬を赤らめるのが少しおかしくて笑ってしまう。自分から触れるのも抱きしめるのも構わないのに、マーリンのそんな囁き一つで生娘のように縮こまってしまうなんて。

「ふふ、甘えたなくせに慣れないね」
「ぅるさい……」

 からかわれるとでも思っているのか、悠乃は首元に顔を押し付けて隠すそぶりを見せるけれど、残念ながら流れた髪の隙間から覗く耳朶も仄かに赤いのでさほど意味はない。乾かしたばかりの髪の指通りを確かめるついでに指先で赤らんだ耳をすり、と撫でれば僅かに息を詰めた気配がする。
 ただ優しく、穏やかに触れるのは難しい、とこんな時ふと思う。決定的な場所に触れずとも性感を引き出す手段ならいくらでも思い浮かぶのに、そうではない快さを与える術をマーリンはあまりに知らなかった。逃げるように指を離す。

「……しないの?」

 伺うように上目遣いに視線を上げた悠乃に答える。

「しないよ」
「してもいいのに」

 ……困った。そう言われると理由がなくなってしまう。素肌が触れ合うのは気持ちいいし、熱を絡ませるのも、それに連なる快楽の感情もマーリンにとっては糧になる。する理由ならいくらでもあって、実際以前までならきっと一も二もなく飛びついていた申し出だった。今だってしたくないわけではない。ただ、しない、と決めているだけ。
 してもいいのに、と悠乃は言って、でもそれは「したい」ということではないことくらいマーリンにだって解る。暗にあなたがそうしたいなら、と付け足された言葉は許しではあっても希求ではない。そもそも何かを望むのが極端に下手なこの女の子はそれが望みならもっと回りくどく、恥じらいに恥じらって分かりづらく袖を引くのがいつものことなので、滑らかに口に出した時点で願望ではなく。
 以前なら咎められたような悪戯も、これ以上は踏み越えるなと引かれた一線も、容易く許されてしまうのは恋人と名乗れるようになってから。人間と人でなし、限りあるものと限りないもの、主人マスター従者サーヴァント。悠乃とマーリンの間にあったのはそんな温度のない関係ばかりで、実のところマーリンはその距離感のあまりにも大きな違いに少しだけ――ほんの少しだけ、戸惑っていた。
 慣れないね、なんて彼女に言っておいて、なんという体たらくか。マーリンだからいいよ、という甘やかな言葉はどこか毒にも似ていて、気を抜けば加減を忘れてしまいそうになる。

「……しないよ」

 首を回された手を外させて片方だけ繋ぐ。できるだけ優しく。触れたところからどうか穏やかさだけ伝わってほしいと願って。

「大事にしたいから、しない」

 ぱちり、と悠乃の瞳が大きく瞬く。自分でも驚くほど、らしくない発言だった。
 ――大事にしたいなんて、そんなの。やり方一つ、知らないくせに。
 習い性のように笑みを浮かべる。軽薄に、冗談めかして。この顔は得意だ。これに合わせる感情ストックを探すのも。マーリンが人間に紛れて生きる中で、これが一番便利だったから。

「なぁんて、どう? たまには真摯的なアプローチもグッと来るものだとサバフェス組からのアドバイスを」

 活かしてみたんだけど、とは、最後まで言い切れなかった。一瞬焦点がブレるほど悠乃の顔が近づいて、唇を塞がれる。衝動めいた仕草とは相反して、ふわりと羽が触れるような口付けはやわらかくて優しい。繋いだ手が緩やかに握り返された。
 伏せられた瞼が薄く開き、マーリンのそれとかち合ってすぐ、静かに重なった唇は同じように静かに離れた。僅かに名残を惜しむような余韻だけ残して。

「好きだよ、マーリン」

 あまりにもストレートな言葉と幸せそうな笑み、極めつけに純度の高すぎる喜びの感情を向けられて、敵わないなぁ、と目を細める。

「知っているよ」

 愛おしさに任せて送った口付けは、多分、その日で一番、長かった。

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