かわいいひと

 もふ、と柔らかな毛並みに指先が埋まる感覚がする。夢か現かもわからぬまま無意識にそれを撫でつけながら、ふと微睡みから意識が持ち上がった。
 なんだか、体が重い、ような?
 でも、まだ起床時刻を知らせるアラームは鳴っていないし、もう少し眠っていたい。昨夜はちょっと遅くまでレポートを片付けていたから疲れているのだ。あと何分眠れるかはわからないけれど、もう少し。
 すん、と耳元で息遣いが聞こえて、ああフォウくんか、とぼんやり考えた。ぎゅう、と胸元のそれを手探りで抱き込んで回らない口をなんとか開く。

「ふぉう、く……あと、ごふん、」

 待って、だったのか一緒に寝よう、だったのかは自分でもよくわからないまま口が閉じた。ふ、と体から力が抜けて意識が沈み込む、その寸前に。

「フォウ」

 なんか低いな。いや、テンションとかじゃなく……こう、声が。
 そもそもよく考えればフォウくんはここまで重くないし、耳元で鳴き声が聞こえたのに胸元で抱き込めるというのもサイズ感が妙だ。一度気になってしまうと違和を見逃すのも釈然としなくて、んん、と小さく唸りながら重い瞼を持ち上げた。薄暗い視界の端に美しい白の毛並みが映りこむ。

「……なに、してるの、マーリン」

 マーリンが私の体の上に乗っていた。乗る、というか、抱き込むとかのし掛かるとかまあそういう感じで。少なくとも起き抜けのレディに対して許される距離感では……いや、でも、恋人なら、いいのだろうか。
 マーリンは私の問いかけに首筋あたりにあった顔を上げると、ふっと柔らかに表情を綻ばせて口を開く。

「おはよう、悠乃君」

 ──いや、だから何をしてるんだ、とか。フォウくんの鳴き真似は無理があるでしょ、とか。匂い嗅ぐのはやめてほしい、とか。色々と言いたいことはあって、でも。
 にこにこと嬉しそうに笑うマーリンを見たらそのどれも何だか喉奥に詰まってしまって、何度か言うべきことを探そうと頭の中を浚いきったあと、何もかも諦めて深くため息を吐いた。

「……おはよ……」


   *


「ってことが、何度かあって」
「──何度か」

 人のまばらな八つ時の食堂でアルトリアは悠乃と向かい合って少々居心地の悪い話を聞かされていた。何度か、と再度目の前の彼女の言葉を繰り返す。

「……婦女暴行未遂の告発というわけではないのですよね?」
「違うよ⁉︎」

 それは良かった。アン・ボニーとメアリー・リードや、ディオスクロイ兄妹ほどはサーヴァントとしての彼とアルトリアに深い関係があるわけではないにしろ、生前の師かつ自らの宮廷魔術師として仕え、半ば親代わりのようでもあった男の無体を告発されたとなれば流石に奴をアヴァロンに退去させたあと日本式の自害もやむを得ないかと本気で検討せねばならないところだった。何より、とアルトリアは息を吐く。

「では、仲睦まじいようで幸い……と言うべきなのでしょうね」
「そ、そうなのかな」

 確信のなさそうな返答とは相反して小さく手元のケーキを突く様はひどく幸せそうで微笑ましくなる。可愛らしい、と言うべきか。親の恋愛話を聞く娘とはこんな気持ちなのかと一瞬過ぎった感想を捨て置いてもいいくらいには。

「でも、ちょっと、困ってるというか」
「困るとは?」

 ただの惚気とわかればこれほど気楽に聞ける話も早々ない。本日のスペシャルメニューであるフルーツパフェを上段から崩しつつ、いくらか気を抜いてアルトリアは尋ねる。その様子をまるで学校帰りの女学生だなとこれまた微笑ましく周囲に見守られていることは露とも知らず、傍目には全く「困って」いなさそうに悠乃はため息をついた。

「普通に部屋に来たらいいのに寝てる間にベッドに潜り込んでくるからびっくりする、し」
「ああ、そういう」
「……あと、かわいい」


 ぱく、と口に運んだマンゴーの果肉をアルトリアはたっぷり時間をかけて味わってから、なめらかで甘いそれを飲み込んだ。

「──────は?」

 何を言ったのだ、この少女は。可愛い? 何がだ。アレが? よりにもよって?
 そんなアルトリアの心境を表情から察したのか、悠乃は「だ、だって」とまごつきながらも言い募る。

「ほんとに嬉しそうにするんだよ。いやマーリンはいつもにこにこしてるけど、こう……輪をかけてというか!」
「私の経験則ではそういう時のマーリンは大抵ろくでもないことを考えているのですが」
「確かにそういう時もあるけど」

 否定はされないあたりが彼らしい。生前の師の所業の数々を思い出してアルトリアは視線を遠くしたあと、こほんと気を取り直して咳払いをした。

「で、でもほら、なんか普段居所掴めないのにいつの間にか近くにいたりするのとか」

 居所も何も、最近の彼はとりあえずマスターを探せば居るといった程度には傍にいる筈なのだが、もしかして悠乃は気づいていないのだろうか。恋は盲目というがそういう意味かと次の機会に式部女史に尋ねてみるとしよう。そんなことを頭の隅で考えるアルトリアをよそに目の前に座る悠乃がわーっと照れ混じりに顔を覆った。

「猫ちゃんみたいじゃない……!」

 ガチャン、と厨房の奥で食器が割れる音がする。びく、と二人して厨房を振り向くと同時にブーディカが「エミヤーッ⁉︎」と叫ぶ悲鳴が聞こえてアルトリアと悠乃は顔を見合わせた。アルトリアの耳は「猫さんはそんな男とは違うぞマスター……!」という微かな呻き声を捉えたけれど、悠乃には聞こえなかったようだった。「どうしたのかなエミヤ」と問いかけられて「手でも滑ったのでは?」と適当に答える。

「猫かどうかはわかりませんが、フォウにも似たようなところがあるのでそういう性質はあるかもしれません。ペットは飼い主に似ると言いますし」

 いや、厳密には使い魔はペットとは異なるのだが。まあ大体似たようなものだろう。
 頻度としてはマシュが圧倒的だろうが、悠乃を筆頭に女性スタッフをはじめ、女性サーヴァントの多くが一度はフォウに寝床に入り込まれた経験がある。彼女もアルトリアの言う性質に思い当たったのか、ああ、と小さく苦笑した。

「フォウくん怒りそうだなぁ……」
「ですがハルノ、フォウのあれは小動物ゆえの愛らしさであって、少なくとも私はあの男に可愛らしさを感じたことは、万に一度も、ありません」
「そ、そこまで言わなくても」
「ありません」
「はい」

 二度目は素直に首肯した悠乃にアルトリアはよろしい、と頷いてパフェの最下段であるフルーツヨーグルトを口に運ぶ。さっぱりとした口当たりがとても爽やかで夏休みの近づいたこの時期にとても相応しいスペシャルメニューだった。惚気と合わせて頂いても胃もたれしませんでした、とシェフアーチャーには労いと一緒に声を掛けることにしよう。

「そういうことなので、心臓に悪いから咎めたい気持ちはあるけれど可愛いので強く言えない、どうしよう、といった類の相談はお断りです、ハルノ」
「……それとなーく言ってくれたりとか……」
「馬に蹴られます」
「蹴らないよお……」

 困る、とか、朝からあんな顔見てたらいつか心臓止まる、とか、少々物騒なことを言いながら頭を抱え始めたいつになく年相応な友人たる少女の姿を眺めて、アルトリアは我知らず柔らかに笑みを浮かべた。そう満更でもなさそうないじらしい顔ばかり見せるから奴を調子に乗らせるのですよ、なんてつまらない助言は静かに胸の奥にしまって。

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