月を想う

「伊織くんがそんなに気になる?」

 長屋から町中へと連れ立って歩いていく伊織と正雪をそわそわと落ち着かない様子で見守るタケルにそう尋ねると、うぐ、とタケルは言葉を詰まらせた。

「べ、別に気になるとかではだな……、ただその、万が一にもユイが仕掛けてなど来たらイオリでは心許ないから……!」
「伊織くんもタケルも正雪さんはそんなことしないって言ってなかった?」
「ユイがそうでもライダーは分からぬだろう!」

 そう言いつつもタケルは少し先を歩く二人を気にするばかりで、周囲の気配を警戒するような素振りは見せない。だから、まあ、これはそういうことなのだ。

「ふうん? へーえ、そうかなー?」

 拙い照れ隠しに思わずからかうような声色で返せばタケルはこちらを振り向いてこれまたわかりやすくむくれて見せた。

「……きみはその、少し意地が悪いぞ……」
「ふふ、ごめんね。タケルがあんまりわかりやすいから」

 そう言う悠乃だって実のところ、二人きりで話したいのであろう正雪の意を汲んでおきながらこうして二人の後を尾けているのだ。一応会話は聞こえないであろう距離を保っているし、ともすれば二人の間に割り込みかねないタケルを放って置けなかったから、という理由もありはするが、伊織や正雪のことが気にならないわけではない。片方は特異点に来てからこの方お世話になりっぱなしな親切で気のいい青年であるし、片方は対峙した時は短くとも何か訳ありなのは察せられる程度にはクソ真面目っぷりが伺える難儀そうな気配のする少女であるし。──難儀な性質を抱えた人材に事欠かないカルデアのマスターとして放っておいていいタイプの人間と放っておいてはいけないタイプの人間の見分け方は否応なく鍛えられたが、その分類でいくと正雪は間違いなく後者のタイプの人間である。
 だから二人のことが気になるのは悠乃とて同じことではあるけれど、間違いなく悠乃のそれとタケルのそれは大きく根底を異にするものであるのだろうから。それは今現在の話だけではなく、この特異点でのタケルの伊織に対する接しようの全てにおいて。
 タケルとしても自分の伊織への態度に思うところがなかったわけではないのだろう。タケルは僅かに目を逸らして言葉を探しながら口を開く。

「以前の……イオリと戦った盈月の儀ではああして二人でエドの町を見て回ったな、と思い出していたのだ。あの時のエドには民がたくさん居て、通りも賑やかで……私にとっては、全てが物珍しかった」

 思いを馳せるように語るタケルに釣られて、悠乃の脳裏にもかつて武蔵と歩いた江戸の町が思い浮かんだ。きっと彼らの知る江戸とはまた違うのだろうけど、それでも近い時代にあった活気あふれる賑やかな町。色々な人と言葉を交わして、うどんと見ると店に飛び付く武蔵に手を引かれて一緒に食事をして。村正の庵も居心地が良かったけれど、町中を連れ立って歩くのは楽しかった。

「そんなエドの町を見て、民を知り、私は……平和な世の人々とはこうして笑うのだと、知ったのだ」

 先をゆく二人以外には一つの人影もない通りを眺めて、タケルはどこか遠くを見つめるように目を細める。

「サーヴァントは変化しないものだと今の私は知っている。生まれ落ち、人々に語られた在り方で私という存在は『在る』。けれど……それでも私は、覚えている。あの儀の日々を。眩く、鮮烈で、けれど確かにあった安らぎを。──その日々が、今の私に繋がっている。だから、それを、イオリが覚えていないことが、何というか……」

 『私』はただ当たり前に昨日の私と繋がっている。良い事も悪い事も、穏やかな時間も忙しない出来事も。ただ一瞬の出逢いにさえ人生を変えられることがあるならば、日々を重ねることで積もる思いもあるだろう。
 そうした日々を、一緒に積み重ねてくれたその人が覚えていない、ということは。

「それは……さみしいね」

 ふ、と静かな笑みの気配がする。何となく、今のタケルの顔を悠乃が見てはいけない気がして、伊織と正雪の後ろ姿を眺めていた。

「ああ……そうだな、寂しい。──でも、」

 どこかぎこちなく並び歩く様子を見守る。背の低い正雪を見下ろして伊織が何か言葉を掛けた。その横顔はさざめきの一つもなく凪いでいる。

「これで、良かったのかもしれないとも、思う。あの儀に巻き込まれなければ、イオリはずっと穏やかに、静かに生きていけただろう。……それがイオリの本当の願いではなかったとしても」

 だから本当は、これで。今の彼こそが『在るべき』彼の生き方なのかもしれない、と。
 タケルの声はどこまでも伊織を案じていて。それでいて少しだけ、切なそうだった。
 タケルの言葉の真意は悠乃にはわからない。儀についての詳しい経緯を悠乃は知らないし、きっと聞くべきことではないのだろうと思う。
 ただ、それでも。

「タケルが寂しくなってしまうくらい楽しかったなら、伊織くんも同じだよ」

 タケルの言う通りに、それが『在るべき』生き方ではなくとも。
 ふと、足を止めたタケルを振り返って、微笑む。

「私にはそれしかわからないけど。──きっと」

 タケルは数度瞬いて、暖かな橙色の瞳をそっと優しく緩ませた。

「そうだな」

   *

 見失ってはいけないと振り向いた先で万屋の店先を覗き込んでいる伊織と正雪に、おお、と悠乃は声を零した。ささっと二人して民家の影に身を隠す。

「見て見てタケル、万屋見てるよ。伊織くんてば正雪さんにプレゼントかな?」
「ぷれぜんと?」
「贈り物のこと! やるな、伊織くん」

 したり顔で頷く悠乃と対照的にタケルは胡乱げに伊織を見やった。はあ、と呆れた様子でため息を吐く。

「わかってないな、きみは。イオリにそんな甲斐性があるわけがない」
「そうなの?」
「そうだ。イオリのことだ。どうせ彫仏用の木材とか、刀の鍔とか、はたまたカヤに似合う小物とかに当たりをつけているに決まっている」

 やれやれ、と肩をすくめるタケルの言葉に「なるほど」と頷いて悠乃はほんの少し正雪に同情めいた心持ちを抱いた。これまた詳細はよくわからないが正雪が伊織に並々ならぬ思うところのありそうなことは推察していたからだ。

「罪な男だね、伊織くん……」
「言っておくが、私からすればきみも似たようなものだと思うぞ、ハルノ?」
「え、そんなことないよ」
「いーや、私にはわかる! きみもあれだろう、真っ直ぐさに惹かれる人間に真っ直ぐな言葉ばかり返して取り返しのつかなくなるまで引き摺り込むタチの人間だろう」
「ひ、人聞きのわるい……」

 そんな心当たりは──あるような、ないような。勢いに任せて否定も返せない言いがかりにぐるぐるしながらタケルを見れば、にまにまと愉快そうに細められた目とかち合った。からかっています、と言わんばかりの顔に悠乃は唇を尖らせる。

「もう、タケル、意地悪だよ」
「なに、仕返し、というやつだ」

 ふふん、とタケルは楽しそうに笑って見せ、「さあ追うぞ!」と万屋から離れる伊織たちを追って、悠乃の手を取り民家の影を抜け出した。




240201

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