きみの残した火

 それは終わらないサーヴァント・フェスティバルが始まってから何ループ目かのある日。昼夜を問わず、手を替え品を替えあらゆるアイデアを原稿に落とし込み続けていたジャンヌ・オルタが突然バタリとホテルのデスクに突っ伏してこう言った。

「もう無理」

 その抜け殻のような声に慌てたのは同室にいた悠乃やマシュ以下、サークルメンバーである。確かに、体力にも創作意欲にも翳りは見え始めていた。ループし続けるサバフェス。描けども描けども終わらない原稿。常にギリギリの状態で入稿し続ける緊張感。そして何よりも。

「いつまでもいつまでもカリカリカリカリカリカリ……気が変になるわこんなの‼︎ ここはハワイよ⁉︎ 常夏よ⁉︎ 青い空の下! キラキラ光る海! 真っ白なビーチ! 波打際で愛しのあの子と水を掛け合いっこしたりしてはしゃぎたいわよ、私だって! 『オルタこっち向いて。えいっ』『あっバカやったわねマスターちゃ』……べべべ、別にマスターちゃんが愛しのあの子だとか言ってませんけど⁉︎」
「言っていると思いますが?」

 牛若丸の容赦のないツッコミは同室にいた全員が綺麗に聞こえないふりをして見せた。触れない方が良いこともある。そもそもジャンヌ・オルタのそれは常夏のビーチを尻目にホテルに缶詰めになりながらペンを走らせ続ける修羅場で見た走馬灯のようなもので、要するに自らにあまりに都合のいい夢を自分以外に知られることほど恥ずかしいものはないと誰しも多少なりとも経験に則って理解していたのである。
 その後は自らの失言と共に撃沈したジャンヌ・オルタをマシュが宥め、ロビンが諭し、悠乃が機嫌を取り……と色々手を尽くした結果、一つの結論が出た。

「うーん……夏休みっぽいことがしたい、かぁ……」

 ひとまず一旦休憩を取ろうと飲み物を買いにホテルのロビーへと降りながら悠乃は考え込んだ。

「まあ、ビーチへも取材は行きましたけど、ほぼ遊んではないですからねぇ」

 同行するロビンも気持ちはわかる、と頷く。
 とはいえ、あくまでも目的はサバフェスで売上一位を取ることだ。海水浴にせよ、山に行ってのトレッキングにせよ、あまり時間をかけては肝心の原稿が疎かになってしまう。そうなればまた一日目に逆戻り。地獄の原稿作業が幕を開けることになる。

「どうするよ、マスター? 波打際でオルタとキャッキャウフフやってみます?」
「もう忘れてあげて……」

 そもあれを失言と捉えているジャンヌ・オルタが波打際で以下略のイベントを素直に楽しめるかどうかも怪しい。
 そんなことを話しながらエレベーターホールからロビーに出た悠乃に「マスター」とフロントから声が掛かった。

「ちょっといいかい?」
「ジキル?」

 基本的にこのルルハワ特異点においてはホテルスタッフを忠実に務めているジキルがあちらから声をかけてくるのは珍しい。ロビンと顔を見合わせてから近づけば「モードレッド、あれ」と何やら声をかけている。

「なに?」
「さっきホテルの倉庫整理をしてた時にモードレッドが見つけてね」
「ほらよ。これ」

 フロントの奥から出てきたモードレッドが持ってきたのは大きな袋に入ったカラフルな色合いの手持ち花火のセットだった。

「見つけたはいいけど僕たちは業務があって忙しいから……マスターのところは団体様だし、せっかくなら遊んでもらえばいいかな、って」

 なるほど。これは。

「いいんじゃないですか? 花火ならそんなに時間も掛かんないだろうし」
「夏休みっぽいしね」

 うんうん、と悠乃はロビンと頷き合ってからジキルとモードレッドに礼を言い花火セットを受け取ると、意気揚々とホテルの自室へと取って返す。
 気持ち勢いよく自室のドアを開けジャンヌ・オルタたちが顔を上げたところにバン、と花火セットを突きつけた。

「花火大会を、やります!」



 そう決まった後はとんとん拍子に事が進み、いつの間にやらジャンヌや刑部姫や黒髭なども加わって大所帯になり、追加の花火セットをロビンやマシュが買いに行き……と慌ただしく束の間のリフレッシュは盛り上がりを見せていた。なんならビーチを通りがかったサーヴァントたちが花火の光に釣られて寄ってくるので本当に「大会」の様相だ。
 手持ち花火ってこんなに大所帯でやるものだっけ、という疑問はあれど、みんなが楽しんでいるのならまあ、それはそれ。
 同時に何本花火を持てるかで競っているサーヴァントたちを遠目に見ながら(※注:サーヴァントは早々火傷を負わないために出来ている遊びです。マスター諸兄は真似してはいけません)悠乃はジャンヌ・オルタと屈み込んで線香花火を垂らしていた。
 小さく散る火花は綺麗だが、繊細な分、海風の吹くビーチでは長持ちさせるのが意外と難しい。

「あ、落ちた」
「下手ねぇ、マスターちゃんてば」
「風のせいだもん」

 からかいまじりのオルタの言葉に唇を尖らせながら礼装のポケットからライターを取り出して線香花火を手に取った。ふとオルタが「ねえそれ」とこちらに顔を向けて着火の手が止まる。

「うん?」
「アンタ、ライターなんて持ってたのね。しかもなんかその……あー、高そうなヤツ」

 一瞬表現に詰まったジャンヌ・オルタの言わんとすることはわかる。悠乃の手の中に収まっているのは量販店などで見かけるいわゆる使い捨てライターとは一風変わった貫禄のようなものがあるからだ。値段については悠乃の知るところではないのだが。

「レイシフトの時ならマシュが火起こしの魔術式スクロールくらい持ってるでしょ? ロビンならともかく……アンタは煙草とか吸わないじゃない?」

 だから目に付いたのだ、とジャンヌ・オルタは言う。

「まあ、私は吸わないけど」

 喫煙は体に良くないと医療班に言い含められているのとは別に、悠乃自身も煙草はまだ自分には少し早いと思う。ではなぜこんなものを持っているかと言えば。
 うーん、と少しの間考える。この常夏の地では彼とは別行動が多かったからいないかもしれないけれど。悠乃は立ち上がりトントン、と足元の影をサンダルのつま先で叩く。

「いる? アヴェンジャー」
「──何だ」

 影は一呼吸置いてからするりと立ち上がり人の形を取ると、夏らしい装いをした巌窟王が姿を現した。うわ、とオルタの驚く声が小さく上がる。

「ね、一本吸ってかない?」

 巌窟王の顔を覗き込んで手に持ったライターをひらりと揺らせば、彼は目を瞬かせてから悠乃を揶揄うようにフッと口端を持ち上げた。

「珍しい誘いもある。さては浮かれているな、マスター?」

 問いかける巌窟王とて大概浮かれた装いだと思うのだが、その辺りは皆同じようなものなので、そうかも、と笑ってみせる。
 肩に羽織った外套──どう見ても暑そうだ──から煙草を取り出して口に咥えた巌窟王が慣れた様子で屈み込む。カチン、と蓋を開いて風除けに片手を添えながら火をつけた。
 ささやかな炎の揺らぎが巌窟王の軽く目を伏せた顔を照らす。普段はしていない眼鏡のレンズに光が反射して、少しだけ眩しいな、と考えたあたりで顔が離れた。ケースを閉じる。悠乃は首を傾げて尋ねた。

「美味しい?」
「──あぁ、悪くない」

 問いへの答えは素っ気ないが、煙を吐く横顔は穏やかだった。良かった良かった、と頷いてジャンヌ・オルタの方へと振り向く。

「巌窟王が吸うからさ……ってオルタ何その顔」

 オルタはとっくに火の落ちた線香花火を持ったまま、えも言われぬ険しい顔でこちらを──というか巌窟王を──見ている。

「口開いてるよ」

 そう言えばジャンヌは口を閉じるのと一緒にぎゅむ、と眉間に盛大に皺を寄せた。

「……マスターちゃんさあ、あんまソイツ甘やかすのやめなさいよね、ムカつくから」

 深々とため息を吐くジャンヌに、クハハ、と巌窟王の笑い声が返る。

「そう妬くな、竜の魔女。案じずとも俺はこれを終わらせれば元の任に戻る。波打際で云々とやらとはいくまいがマスターはおまえの気力回復に十分な時間を割くだろうよ」
「はぁ⁉︎ アンタどっから聞いてたの⁉︎ 妬いてないし! 何ならアンタごとその煙草消し炭にしてあげましょうか⁉︎」
「落ち着いてオルタ!」

 巌窟王に掴み掛かろうとするジャンヌ・オルタを体で止めているうちに彼は高笑いを残して影へと姿を消した。なんで最後に煽っていったのか次に会った時に問い詰めねばなるまい。まあきっと、要領を得ない回答が返ってくるに決まっているけれど。
 プンプンと擬音が付きそうな様子でいるジャンヌ・オルタに気が付いてかこちらに近寄ってくるマシュを目に留めて、悠乃は「マシュもやろ」と残りの線香花火を持って手招く。はい、と嬉しそうに受け取るマシュにオルタも気が抜けたのか、ため息を一つ吐いて花火を一本受け取った。


   **


 手のひらに収まったぎんいろをぼんやり眺めて、悠乃はマイルームのベッドにぽすんと倒れ込む。
 疲労、している。当然だ。
 心象世界に作り出された東京から戻ったと思えば、時を置かず様々なサーヴァントの助力を得て再度、廃棄孔と呼ばれる自らの精神の奥底に転移レムレムし、帰還したばかりなのだから。だから、疲れている。肉体に負荷はないにしても、精神が疲労している。

 ──火ならいつでも貸すよ、共犯者。

 元はと言えば、時間神殿で彼の煙草に火をつけたのが最初のはずだ。彼は私の手慣れているわけでもない手つきを上出来だと一言褒めて、「それはおまえが持っていろ」とライターを預けていった。いつかの廃棄孔で出会った彼も火を持っていなかったから、きっと一つきりのものだったのだろう。
 カルデアの工房でも、何なら近代の特異点でもライターを用意する機会なんて幾らでもあったはずなのに、一度も彼は悠乃の傍ら以外では煙草を吸わなかったのだ。

「ここに置いていったら、君はもう煙草吸えないじゃない、ばか……」

 握りしめたライターは無機質に金属製の冷たさを悠乃の手のひらに伝えていた。




240802

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