少女の異能
此処に来てから暫く経った。然し椿は、日中は普通の子供のようにエリスと絵を描いたり、甘いケーキを食べたり、エリスの愚痴を聞いたり。かと思えば、客人が此処に来れば奥の部屋に押し込められる。エリスは椿と遊べない事が不満なのか、閉じられた扉の向こうで森鴎外に八つ当たりする音が聞こえた。椿はこの状況に慣れ始めていたので、あちらの部屋から客人が去るまで扉を背に腰を下ろして待った。
祖母の家を出てから幾日か過ぎたが、私は一度も異能を使わなかった。最初は異能を利用するために引き取ったのだと思った。然し、森さんは私に異能を使うことを強要しなかった。不思議に思っていたが、今迄使われる事が身に染み付いている自分に気が付いて嫌気が差し、直ぐに考えることをやめる。これは私の異能だ。誰かに使われる為のものじゃない、私が私の為に使うものだ。
「…」
未だ扉の向こうでは客人が居座っているらしい。この部屋に詰め込まれ続ける時間が最高記録を叩き出す勢いである。
そろそろ腰と尻が痛くなってきたので仕方なく立ち、部屋の中をうろうろする事にした。放って置かれるのは慣れていたが、最近は嫌と何と言おうとエリスが構って来ていたので久々の静けさに少し寂しいと感じている自分に驚いた。
部屋の中は明かりを付けていなかった為に薄暗かった。窓の外を見れば外の日は傾いて、月が顔を出している。青白いそれに、思わず紫の目の男がフラッシュバックした。
“其の小さな手はまるで此の世の罪を凝縮し、塗り固めた末に出来たかのようですね”
ぎゅっと手を握る。今は無い短剣が掌にあるかのように感じた。然し、其の手を見てみれば、当然だが短剣など握っていない。思えばあの男の一言で、私は異能を使ったのだ。
あの夜、異能を使った日。あの感覚を私は覚えていた。凡てが私の掌の上にあるかのように感じた、見えている凡ての人間が私の思い通りになった!目を閉じて、あの男の幻影を断ち切るように意識を違うものに集中させた。見るのは隣の部屋、そして此のビル。凡ての階層と凡ての人間を私に教えて、
「“箱庭”」
途端に、ドッと情報が溢れ出す。そして其れは再構築され、立体ホログラムのように椿の脳へと映し出された。通常であれば、其の情報量の多さに椿程の子どもの脳は耐えられない。然し椿は其の情報に相当する脳の容量と、其れを再構築する処理能力を、忌々しくもあの父親のマフィアの座敷牢で会得していた。
つまり椿の“箱庭”は、脳の容量と処理能力によって使用効果が大きく異なる。そして椿は、其れを最大限有効活用できる程の脳を持っていたのだ。そして、其のホログラム化した場所にいる人間であれば、椿はそれすらも自在に操ることができた。其れは異能の中で最も忌み嫌われる、“精神操作”の異能。空間把握と精神操作の合わさった「箱庭」は、正に椿の支配する世界と言っても過言ではない。
…然し其れにも、弱点はあった。
「ッい、嗚呼…!」
ポートマフィアアジトの最上階は地上から数百メートル離れている。その凡てを“箱庭”化した椿の脳は、流石の其の容量と処理能力をしていてもパンク寸前だった。椿は“箱庭”の制御を充分には出来ていなかった。異能を使えば其れは制限無く箱庭は広がり、何れポートマフィアアジトを超えて地上の凡てを椿の支配下に出来る。然しそうすれば、あまりの情報量に脳の処理は追いつかず、脳死する。椿を頭痛が襲ったのは、脳がこれ以上は危険だと警告を出している証拠だった。
頭を抑え蹲る。異能を解除すると脳へ滝のように流れ込んでいた情報は消えた。
「はーっ、は、う……」
異能を解除した後も、ミキサーで脳を直接ぐちゃぐちゃにされているような、若しくは金槌で頭蓋骨ごと砕かれているような痛みが続く。
息付く間もなく与えられる拷問のような痛みに立つことも出来なくなった椿は、暫く薄暗い部屋の中冷たい床に体を預けていた。チラリと見た窓には、月が高く昇っている。青白い光は椿を照らして嘲笑っているかのようだった。