09.鬼と沙羅の木
交わることなどなかったのだと
落ちる花弁に1人を思う
●
「好きです」
「ごめんなさい」
コンマ一秒で突っぱねられた一世一代の告白に、男子生徒は涙した。然しそれでも背筋をしゃんと伸ばして彼は、聞いてくれてありがとう、と礼を述べる。
その日は卒業式だった。チラチラと花吹雪のように桜の花弁が宙を舞う中で沙夜は、ちょうど一年前にも告白してきた男子生徒を見る。真逆あれで諦めていなかったのか、と感心するも、それと共にあの日自分の生活の中に飛び込んできた鴎外の姿を思い出した。
彼は約束を守ることは出来なかった。いいや、最初から解っていた事だった。突然来たのだからそりゃあ誰かが「明日消えるよ」なんて云ってくれる筈もなく、冬が明け切る前に鴎外は忽然と沙夜の前から姿を消してしまった。然し鴎外が消えて沙夜は泣く訳でもなく、1人になったリビングで「…花見をしようと云っていたのに」とぽつりと零しただけだった。
皮肉なものだが、自ら引いた線引きで沙夜は深い悲しみに打ちひされることはなかったのだ。
舞う花弁を見て守られなかった約束を思い出す。
沙夜は約束というものに元々期待を持ってはいなかった。約束をしてもそれが守られることはないと、父が亡くなってからの約束は、その場限りの気休めだった。それでも彼との約束は、ほんの少しだけ叶えてほしいと思うようになっていた。
結果がわかっていても、それがひっくり返るようにと願わずにはいられない程の思いを抱くなんて不毛だと考えながらも、止めることはできないのだ。人の心というものは。
この、目の前の男子生徒も同じだった。
「如何して、2回も告白したのよ。私60年後って云ってわよね、それも可能性の話だけど」
「ぐ…か、可能性があるかと思って…!それに桜も綺麗だし、卒業式だし、いける!と、思って…」
だんだん萎んでいく彼の様子に哀れだな…という視線を送った。然し一年もずっと自分を思ってくれていたのかと思うと、同情と、なんだか感謝の気持ちが湧いてきた。
嗚呼、イベント特有の青春臭い事をしてしまう。そう頭の片隅で呟く。綾のニタリ顔が同じく片隅を占拠し始めたのを振り払うように、意識を別のものに向けようとした。
途端、強い風が吹いて、一斉に桜の花が踊る。
「…ありがとう」
桜の花弁が舞う中で微笑んだ彼女は、風に攫われてしまいそうなくらい儚く美しかった。
「でも矢っ張りごめんなさい」
忘れられない人がいるのだと、沙夜は云った。
●
鴎外は首領執務室に飾っていた白い花の花弁が落ちるのを見た。ふと、あの儚い夢のような時間と、彼女の事を思い出した。
突然見知らぬ場所に飛び、世界が違うことを知り、そして沙夜を置いて突然帰ってきてしまった。帰った直後はやりきれない気持ちで胸が一杯だった。心だけをあちらに置いてきてしまったような虚無感が暫く鴎外の中心に横たわっていた。
不思議なことに、彼女とは数ヶ月、1年近く過ごしていただろうに此方へ帰ると1ヶ月も経って居なかった。
その間、先代派の者達は矢張り好きにしようとしていたようだが優秀な太宰と、互いが研磨剤となるように引き入れた中原が奴らを好きにはさせなかったらしい。太宰に至っては他人事ではないためまあ頑張ってくれたようだ。
あれから幾許か月日は川の流れのように止まることなく過ぎた。然し鴎外は、夢のような沙夜との時間を忘れることは出来なかった。白い花弁の花を見る度に彼女の横顔を思い出し、近頃はポートマフィア幹部や構成員たちと豪勢な花見を行った際には彼女との花見の約束を思い出した。正直、純粋に花見を楽しむことは出来なかった。
「約束、したのだがねぇ」
考え始めると次々に沙夜の事が頭に浮かんでは消える。今頃どうしているだろうか、など、そもそも時間の流れがこちらと向こうでは違ったようだし、彼女はもう自分を覚えていないかもしれない。
それに若く美しい彼女はもう他に、きっと連れ添う相手を見つけているかもしれないなと鴎外は人知れず溜息を吐いた。愛しのエリスに近頃は何処で覚えてきたのか「中年」という言葉を浴びせられる。まだまだ若い積りなのだが…と思っていると、執務室の扉をノックする音が響く。
宙に浮かんでいた思考を頭蓋骨の中へと戻し、ポートマフィアの首領の顔を貼り付けながら「入り給え」と口を開く。
入ってきた黒服に、嗚呼矢張り彼女とは住む世界が違うのだと紅い瞳を細めた。
「以上の運びで異能特務課との会合を行うとのことです。…首領。ミミックとの抗争中での明日の会合…どうなるのでしょうか」
そう黒服から聞いた言葉に、鴎外は頬杖をついた手の下でくっと口角を吊り上げた。
この予定は、鴎外が描いた未来は、覆らせない。その為に今迄、長い時間綿密に計画を立てて過不足なく実行してきた。
会合はその計画の最終段階。明日の今頃はこの手に異能開業許可証が握られているだろう。
組んだ手を外し、鴎外は黒服に紅い瞳を細めてみせる。
突然世界を渡るかもしれないし、運命的な出会いをするかもしれない。誰が消えるのか、そして自分が消えることも、“その時”がこなければわからないものだ。川底のように移り変わる戦況も、例え不利な状況下も、明日になればひっくり返っているかもしれないしその逆も有り得る。
だから私は“その時”の為にあらゆる手を尽くす迄だ、とポートマフィアの首領は嗤って云った。
「明日の事など、誰にもわからないよ」