02.行動あるのみ

握る手のひらの小ささと何もかも裏腹で
あなたのことを知りたくなった







家に居た不審者は、森鴎外と名乗った。

「私も、何がどうなっているのかわからなくてね」

心底困ったと云うように眉を下げて苦く笑う声は耳触りが良く、困っているとは云うがその人には落ち着いた雰囲気があった。
聞くところによると鴎外は本当にいつの間にか、意識が外のうちに此処に居たらしい。少し外にも出てみたのだそうだが、見慣れない景色に引き返して暫く経つという。そんな時に家の主である沙夜が帰ってきたのだ。

然し鴎外は事のあらましを話し終えると座っていたそこから立ち上がった、

「ではお邪魔したね。紅茶とお菓子をありがとう、お嬢さん」
「…待って? アナタ、宛はあるの?」
「え? いいや…無いが、いつまでも居座っているのは申し訳ないだろう。それに君のご両親も、帰ってきた時に怪しい男が居ては可哀想だ」
「…可哀想なのはアナタよ。迷子なんでしょう?親はこの家には帰って来ないから気にすることないわ」


「………いや、その…私が云うのは可笑しいが、見ず知らずの人間を家に置くのは危ないよ?」
「危ない人間がみんなそう云っていたら今頃世の中大変よね。誰を信じればいいのかわからなくてみんな疑心暗鬼になりそうだわ」
「…そうすると君は、私が危なくない、と判断するのかい?」
「現時点ではそうよ。頼れるのは私しか居ない今、アナタが危害を加える可能性は低いわ」

うーむと鴎外は自身の髪を撫でつけて唸った。沙夜はその姿を見て矢張り見覚えがある、と確信する。
先程紅茶とお菓子を用意する時にこっそり携帯で「漫画」「キャラクター」「家に来た」というワードで検索エンジンにかけると、何やら夢のある話がたくさん出てきた。それらにざっと目を通してみると今の状況に酷似しているものを幾つか見つける。綾が以前「あ〜〜〜キャラが突然私の目の前に現れないかな〜〜?!逆トリ展開はよ〜〜?!?!!いやでも待って今月金無いから養えない、畜生!!!!」と騒いでいたそれである。
然しこれらはフィクションである筈だが、沙夜の現在の状況はフィクションではなかった。この森鴎外と名乗る男、正真正銘文ストの世界から此方へ飛び出して来てしまったのだ。


如何してオタクの綾ではなく自分の所なのだ。綾の所だったら今頃彼女は両手をあげて大喜びだったろうに。否、然し困っている人間の前で喜ぶのはあまりに失礼だと考えて汚点を晒さずに済んで良かったな綾、と未だ部活に打ち込んでいるだろう友人を思う。
後で報告はしてやろうと考えていると、鴎外が沙夜へ向き直った為沙夜も鴎外へ意識を移す。

「確かに君の云う通り、私には宛が無い。本当に済まないが、世話になっても良いだろうか」
「ええ。最初から良いって云っているわ」

「いつまでかはわからないが、宜しく頼むよ」そう云ってにこりと微笑む鴎外の差し出した手に沙夜は応えた。

それから沙夜と鴎外の奇妙な生活が始まった。
幸いにも肌寒くなく、寧ろこれから暖かくなっていく季節柄で寝床にはそう頭を悩ませることは無かった。1LDKのアパートで、鴎外は「屋根があるだけでも有難いよ」と云っていたが、リビングの一帯を片付けて、簡易的ではあるが布団を買いに行き彼の就寝スペースを作った。

そしてその日に気付いた事だが、鴎外は沙夜の知っている鴎外よりも幾らか若いようだった。何でも最近会社の社長になったのだと、マフィアの事は伏せて身近のことを話した彼は、確かに学校で読んだ彼より目元に刻まれる皺が薄い。鴎外は沙夜がまさか自分がマフィアであることを知っているとは思わない為、その後も闇の話が出てくることはなかった。
因みに就寝時間、おやすみなさいと互いに挨拶をして自室に入った途端綾に報告はしたのだが「沙夜もついに…ふふ…ようこそ此方側へ」と電話越しに云われ、本気にされていないと判断しムカついた沙夜は早急に通話を切った。しかも口に出した名が鴎外だったので綾は沙夜の枯れ専説を更に色濃くしたという。断じて違う。

そういえば、文ストの世界に異能というものがあるが、鴎外はどんな異能を持つ能力者なのだろうか。ふと思った沙夜だったが、有り得ない出来事に遭って無意識に疲れが溜まっていたのか、いつの間にか寝落ちてしまった。



朝、焦げ臭さで目が覚めた。
焦げ臭い?!と慌てて部屋を出て見ると、キッチンに立つ見慣れない姿。鴎外が何やらやっているのが見えた。
此方に気付くと済まなそうな顔をして、「世話になるのだから、何かしようと思ったのだけれどね…」いやぁ失敗してしまったと焦げたフライパンを見て沙夜は胸を撫で下ろした。火事ではなくて良かった。
そしてひょいと鴎外の手からフライパンを取る。

「家事は分担制にしましょう。私は料理と洗濯、森さんは皿洗いと掃除。買い物は外の事知らないだろうから一緒に行って、ついでに情報を集めましょう」
「………確りした子だねぇ。嗚呼、君の云う通りにしよう」

焦げたフライパンを洗い、簡単な朝食を沙夜がさっさと作ると鴎外は「料理は君に任せるのが最適解だね」と微笑んだ。








鴎外が来てしまってから早いもので1週間が経った。最初のアレから綾にはもう鴎外がトリップしてきたことは云っていない。沙夜は至極いつも通り授業を受けて学校が終わると1人で帰り、アパートの角部屋の扉に鍵を差し込み回した。

開けた玄関に紳士物の靴がある事は新鮮で、扉を開けた音を聞きつけたのか奥から鴎外が顔を出し「矢張り」と云って笑いかける。

「おかえり、沙夜さん」
「ただいま、森さん」

今日は何をしていたのかと聞きながらリビングに入ると、今朝家を出た時よりも家の中が整頓されている。キッチンのシンクに食器はなく、それらは棚に収められていた。「特に何も。読書くらいだねぇ」と応えた鴎外の横顔を見て沙夜はふと目を細めた。何というか、気遣いの上手い人だ。
暫くゆったりと何をするでもなくソファに座っていると鴎外がチラリと口を開く。

「…ところで今日はいつもより荷物が多いようだけれど」
「あっ、そうだわ。帰りにお饅頭を買ってきたの」
「ほう」

茶を淹れるため沙夜が立ち上がろうとすると鴎外が手で制した。
「帰ってきたばかりだろう、座っていなさい」と云いキッチンに行く彼を大人しく見ていると、視線が気になったのか顔を上げて「流石にお茶くらいは淹れられるよ?」と云ったので沙夜はくすりと笑ったのだった。