04.雨と差し出された傘
帰る場所なら此処に有る
あなたの手を握る者は此処に居る
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バケツをひっくり返したような雨は地面に激しく打ち付け草木を洗った。沙夜の胸の中の悲しみまでは落としてくれなかった。
傘も何もなく無気力に公園のベンチに座る沙夜の姿を見つけると、そこへ鴎外は足を進めた。
「沙夜さん」
「…森さん」
妙な所を見せてしまったわ、と沙夜は大粒の雨に打たれながら嗤っていた。
鴎外は座る沙夜を見下ろして、さしていた傘に彼女を入れる。雨が遮られて漸くわかった。
彼女は雨に紛れて泣いていた。
「…私を産んで、私の所為で体が弱い母は死んで、父とずっと暮らしていたの。とっても、優しい人だった」
男手ひとつで、母のいない淋しさを私に感じさせないようにいろんなところに連れて行ってくれた。
「でも、ある時、夏に海に行って。私、波に攫われて溺れてしまったの」
父が助けてくれたけれど、私を引き上げたその後も海から帰って来なくて。そのまま。
「心細かった。一度夏祭りでも迷子になって、その時は迎えに来てくれたけれど、その時は長い時間待ち続けて、次の日まで迎えが来なかった」
両親が居ない私を引き取ってくれたのは父の母親である祖母。叔父さんは父の弟で。
ぽつりぽつりと話す沙夜の声を遮って、小さな手を握って鴎外は云った。
「帰ろう」
「…何処に?」
「私たちの家だよ。それにこんなに濡れて、風邪をひいてしまう」
「で、も。叔父さんが」
「嗚呼、彼なら警察に突き付けてきたよ。いやぁ、この街の市警は優秀なのだねえ」
「……え?」
あっけらかんと云った鴎外に、沙夜は固まる。聞けば叔父が沙夜の胸倉を掴み突き飛ばす所も、罵声を浴びせる所も、殴る所も、証拠として押さえて通報し、今頃事情聴取でもされているだろうと。
「アレは異常だね。きっと恨みよりも暗い何かがある」
例えば相続。叔父は、母親が死んだというのに何をそんなに急いで離縁などする必要があるだろう。やるべきは弔いや葬儀だ。年端もいかない娘に恨み嫉みを云って手を出すことではない。
そこで彼が持ってきた離縁届けと、もう1枚の紙を見た。相続放棄の書類だ。君に書かせる心算だったのだろうね。恐らく遺書に君への相続が書かれていたのだろう。
「まあそれらを見つけなければ私も彼を見逃していただろうけれど」
親も無く、庇護してくれていた人間も居なくなり、あの男と離縁をすれば沙夜は本当の天涯孤独となる。なんて自分勝手だ、と鴎外は男に対して憤りを覚えた。
思えば彼女は誰かに頼ることが下手くそで、寧ろ頼ってはいけないと思っている節さえあった。祖母の許で暮らさず、1人アパートで暮らしているのも迷惑を掛けないように、1人でも大丈夫だと心配を掛けないように。それに彼女は本意で無くとも、身内を自分の所為で失っていた。祖母の傍に居てはいけないと、心のどこかで思っていたのだろう。人にあまり踏み込ませないのも、大方その理由だ。
何処までも人思いで、善い人間で、優しい子だった。
沙夜と過ごした期間はそう長くはなくとも、鴎外は彼女をよく知っていた。
時折淋しそうに笑う彼女は、本当は誰かに傍にいて欲しかったのだと。
だから突然現れた鴎外にも、宛もなく知らない土地での心細さを知っている沙夜は咄嗟に手を差し伸べたのだと。
「まぁ、彼はアレでも君の身内だ。被害届を出すかは君が決めなさい。…これで頭が冷えれば、その必要はないと思うがね」
「…わかったわ」
漸く声を出した沙夜の顔は白く、唇は紫に変色していた。それに鴎外は気付くと、濡れて冷えきった彼女の体に熱を移すように身を寄せて2人の家へと帰っていった。
土砂降りだった雨はいつの間にかシトシトと弱まっていた。