05.季節外れの風邪
全部雨のせいだと云ったら
あなたは笑うだろうか
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ピピピ、と電子音が鳴ったそれを取り出すと、案の定平熱より高い数値を見て沙夜は眉を顰めた。
「ケホ、」
沙夜は見事に風邪をひいていた。夏に差し掛かる頃だというのに、季節外れにも程がある。休みを連絡した綾にはさんざ笑われネタにされ、ムカついたので「莫迦は滅多に風邪ひかないからいいわねぇ」と云って今度は電話越しに綾が「ムキィ〜!!!」と声を上げた。突如鼓膜を襲った大音量は頭痛を酷くさせ、沙夜は思わず携帯から距離をとった。
「ていうかアンタ一人暮らしでしょ?お見舞い行ってやろうか?」
「………いい。アンタこそ今週大会でしょ。伝染るわよ」
「そうだった!」
矢っ張り莫迦、と云うも沙夜のその頬は緩んでいた。そして直ぐに断って良かったと思った。何故なら沙夜は現在一人暮らしではなかったからだ。
そろそろチャイムが鳴るだろうと指摘して通話を切ると、計ったかのように沙夜へ綾とは別の声が掛かった。
「沙夜さん? 起きられそうかい?」
「…ええ、森さん。大丈夫よ」
扉の向こうで聞こえた鴎外の声に返事をするとカチャリと部屋に入ってくる。熱は?と聞いた彼に先程見た数値を云うと、「嗚呼、矢っ張りねぇ」と目尻を下げた。
「休みの電話はしたかい?」
「もちろん」
「頭痛はあるかな?」
「まぁ、少し」
「喉や他に痛いところとかはないかい?」
「無いわ」
「食欲は?」
「有る」
診察のように聞かれ、扁桃腺あたりを触診される。流石に口を大きく開いて喉を見せることは拒否した。
「私はこう見えて医者だった頃があってね」
「…」
知っている、とは口が裂けても云えなかったので得意の猫で「ふぅん。凄いのね」と云っておいた。熱のため若干クオリティは低い上に声は掠れている。
鴎外は食欲が有ると答えた沙夜に、それなら何かを胃に入れた後に風邪薬を飲んだ方がいいと云って、何か作ってくるよと部屋を出て行った。それに若干不安そうな顔をした沙夜は、初日にフライパンを焦がした鴎外を思い出す。然し体は怠いため、大人しくベッドに沈みこんだのだった。
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いつの間に眠ってしまっていたのか、と沙夜は朝よりも重く感じる体と頭に、ゆっくり目を開ける。丁度鴎外が額にタオルを乗せていたようで、目覚めた沙夜に「おや、おはよう」と笑った。
そういえば態々ご飯を作りに行ってくれた彼を置いて寝てしまったのだと思い出し、「ごめんなさい」と舌足らずに伝えた。鴎外は「何の事だい?」と知らぬ顔をする。
「ご飯、作ってくれていたんでしょう…?わたし、ねて、」
「なんだそんな事か。大丈夫だよ。それに謝られるよりは、お礼の方が嬉しいがね」
「……ありがと、う」
「うん、どういたしまして」
鍋は焦がさなかったのだろうかと心配していると食欲の有無を尋ねられ、少しだけならと答えた沙夜に鴎外は暫し隣の部屋に姿を消すと、手に湯気を立てたお椀を持って来た。卵粥だった。
自分で食べられるかと問われ上半身を起こし、渡されたスプーンを掴むがぽろりと落ちる。おや、と鴎外はそれを拾い、すぐに替えのスプーンを持ってくると、ベッド脇に腰掛けて沙夜の目前に粥を掬ったスプーンを差し出した。
こんな年にもなって…と思うも握れないなら仕方ない、と腹を括り、綺麗な薄い黄色の粥をぱくり。もごもごと口を動かして飲み込むと、先程までの心配なんて杞憂だったようで、舌先がじんわりと優しい味に包まれる。「…おいしい」と呟いた。
熱で味覚は鈍っているはずだが、と鴎外は思うも、美味しいならば良かったと云って次のスプーンを沙夜の口の前に運ぶ。雛鳥に餌付けをしているようで中々楽しかった。
椀の中をすっかり胃に収めると、鴎外はコップ1杯の水と風邪薬を持って来た。コップも持てないと思われているのか(実際スプーンすら持てなかったが)、薬までしっかり鴎外の介抱を受けて飲んだ。
上半身をベッドに寝かせられ、肩まで布団を掛けられる。すっかり介抱されていた。
「確り寝て、治すんだよ」
「…ありがとう、もりさん」
いつもより弱々しげに云う沙夜に、鴎外はにこりと笑って部屋を出ようと把手に手を掛ける。
その背中に再度「もりさん」と呼ぶ声が掛かり、振り返ると沙夜がじっと鴎外を見ていた。きょとりとした後に、そういえば熱が出ている時は人肌恋しくなると聞くなぁと思い出し、部屋を出かけていた足をベッドへ戻す。
帰ってきた鴎外を見て、沙夜は幾らか安心したような表情をした。
「ね、手を握っててほしいの」
少しの間でいいから、と掛け布団から控えめに手を伸ばす沙夜。いつもはスッパリとものを云う彼女から、普段は見えない儚さと年相応の弱さを感じた。
伸ばされた手をやんわりと掴み、これでいいかい?と聞く。コクリと頷くと沙夜の瞳は長い睫毛によって伏せられた。
(安心する、)
風邪をひいたのは久々だった。そして大抵家に1人の沙夜は、誰かにこうして看病されることも久々で、目を閉じれば手に感じる温かさに優しかった父を思い出す。暫く思い出に浸っていると、だんだんと鴎外の顔ばかりを思い出し、ここ最近のことが頭に浮かんできた。
ずっと心配を掛けていただろう祖母を、安心させてあげることが出来ないまま亡くしてしまった。それに叔父が来たことにも驚いて、度重なるショックに雨の中無我夢中で走り、いつの間にか、迎えなんて来る筈がないというのに誰かを待つように公園のベンチに座っていた。
然し鴎外は、迎えに来てくれた。
雨の中濡れる沙夜に傘をさして、帰ろうと云ってくれた。手を握ってくれた。
きゅうと手のひらにまだある熱を確かめると、微笑んだかのように僅かな揺れを感じる。じわりと目頭が熱くなって、意識がぼやけてくる。
鴎外はずっと、眠るまで手を握ってくれていた。