06.隠せないこころが在る
なんでもしてあげる
なんでもあげる
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季節外れの風邪は鴎外の適切な処置と看病によって1日で熱が下がり、「大事をとってもう1日」と鴎外に休まされた沙夜は完全に復活した。
善かった善かったと云う鴎外へのお礼の気持ちに、暫くの間食卓には鴎外の好物が並んだ。おやつは饅頭茶漬けである。
因みに叔父は次に再会すると直ぐに目を逸らしてそそくさと沙夜から逃げるようになっていた。背後で笑う鴎外に聞いても「さぁ、どうしたのだろうね?」と誤魔化されるだけで、彼女は首を捻っていた。
その日も沙夜が学校から帰宅すると、夕食に必要な材料を買いに行くため2人して家を出る。何が食べたいか雑談しながら歩いていると、街の至る所にある掲示板に貼ってあるポスターやチラシの文字に鴎外は目を止めた。
日は長くなりその後夏至が過ぎて、いつの間にか夏が終わろうとしていた。納涼祭と書かれたそれに沙夜も気付いたのか、土地勘のある彼女は毎年この近くの神社でやるのだと教えてくれる。
「興味あるのね、意外と」
「いや、エリスちゃんが浴衣を着たら可愛いだろうと思ってね………」
「? エリス…?」
「嗚呼、否。此方の話……然しそうだなぁ、どんなものか気になる気持ちもあるね」
そう云って鴎外は、じっと紅い瞳を沙夜に向けた。行きたいということだろうかと沙夜は解釈して、授業が早く終わる日に納涼祭へ行く約束を取り付けたのだった。
約束の日、道脇の所々に提灯が飾られているのを見ながら足早に沙夜が帰宅すると、鴎外は本を読んで待っていた。夏だから、と以前贈った黒の着流しを彼は身に纏い、帰宅した沙夜に「おかえり」と云う。余程楽しみだったのか…と思いながら「ただいま」と云うと、そのまま荷物だけ置いて行こうかとリビングを通り過ぎようとした背中に、鴎外は口を開いた。
「折角だから、君も浴衣を着ようじゃないか」
「…今から?」
「駄目かい?」
「駄目では、ないけれど…時間が掛かるわ」
「ゆっくりすればいい。まだ外は明るい」
そう云った鴎外に、それなら…と沙夜は箪笥の奥から浴衣を引っ張り出した。
彼女は着付けも1人で確りとこなして、それに合わせて髪を上げ、涼しげな褐色(かちいろ)の地に白い花がぽつりぽつりと咲き乱れる浴衣を纏って鴎外の前に現れた。女性にしては準備ができるのがはやいな、と顔を上げた鴎外は、暫く沙夜を凝視し、そうしてゆったりと口角を緩めて「似合うねえ」と云った。変なところがあった訳ではないとわかって沙夜はほっとする。浴衣の合わせを間違えたかと思って一瞬確認してしまった。
日は既に暮れていて、会場はたくさんの屋台と人で溢れかえっていた。その波を前にして鴎外と沙夜は並んでぽかんと見る。想像以上の人混みだった。
然し折角来たのならば、りんご飴でも食べたいところだ。父と来た時に初めて食べたのがりんご飴だったのだと沙夜が云うと鴎外はふむと暫く人混みを見て、その後彼女に手を差し出した。
「はぐれてしまわないように、掴まっていようか」
それもそうだ。父と来た時も迷子になってこの場所での人探しの難しさを知っている沙夜は、更に土地勘の無い鴎外とはぐれたら祭りどころの話ではないと踏んでその手を取った。
キラキラと輝く屋台の照明、人々の色とりどりの浴衣。時折見かける金魚すくいに、たくさんのお面が並ぶ屋台、カラカラと回る風車を見ながら鴎外に手を引かれて、沙夜はその万華鏡のような光景の中を歩いた。
「嗚呼、あったよ」
そうして示された先に、りんご飴を売る屋台があった。丸く紅いそれを買い、暫くくるくると回して見る。こんな大きさだったか、もう少し大きかったような、と思い、あの頃は自分が小さかったのだと理解した。紅いりんご飴を観察しているとクツクツと隣から堪えるような笑いが聞こえる。見ると、「食べないのかい?」と、紅い瞳を細める鴎外がいた。りんご飴よりも深く、暗い美しい紅。
そういえば初めて会ったあの時も、この紅色に釘付けになったのだったと、シャクと音を立ててりんご飴に齧り付きながら考えていた。
あれからもう数ヶ月は経とうとしている。突然来て、多分また突然帰るのだろうと思ったが、案外トリップというものは長いらしい。
鴎外は最初こそ、それとなく帰る方法を探していたが、最近ではすっかりここら辺の住まいに慣れて寛いでいる様子さえ見られた。沙夜が学校に行っている間の趣味には読書と散歩が追加され、もう近くのスーパーには1人で行けるらしいが、一応買い出しは2人で行っている。
鴎外と過ごした濃い数ヶ月は、最早沙夜に鴎外がいる生活を慣れさせていた。何となく波長が合う。それに鴎外は、叔父の一件で沙夜の踏み込まれたくないところを目撃したものの、その後も変わらず接してくれていた。そして沙夜も、鴎外が云わないマフィアの事は口に出さないし踏み込まなかった。
踏み込まないことで2人は、2人が共有している今を過ごしていた。
食べ切って棒だけになったりんご飴を見て、祭りにはもう用は無くなってしまった。然し何となく、勿体無いという気持ちがして沙夜は鴎外の手を引く。足を止める。そんな様子を見て鴎外は、目尻に薄くある皺を濃くさせて、
「またこうして来ればいい」
そう云った。
そんな事、わからないのに。
“また”があるなんて、鴎外と沙夜という世界が異なる2人には確約できるものではなかった。今2人が過ごす時間は、偶々世界の奇跡が生んだ偶然で、それは恐らく、きっと、いつまでも続くものではない。
そう思って、沙夜は彼がいつか帰ることに、淋しいと感じているのだと気付いた。
「森さん」
「…どうしたのだい」
「なら、約束、しましょう」
またこうして、手を引いて、ゆっくり歩いて。一緒にりんご飴を買いに行ってほしい。
子どものような、ささやかな望みだった。
「父さんが、生きてた頃。毎年祭りに行って、帰りは来年も行く約束をしていたの」
海に攫われてそれは叶わなくなり、彼女が今日祭りに来たのはその年ぶりだと云う。
鴎外はこれまでも、彼女が望む父親の代わりに、その手を握って、偶に甘える彼女に与えてきた。愛しい少女エリスにドレスを贈るように、あの日雨に濡れた彼女に傘を差し出し、自身の手の熱を分け与えた。
思えばあの時鴎外は、彼女の踏み込ませない一線を超えることはしなかったが、その一線に寄り添い、それからも気付けば手を伸ばしていた。今日だって手を繋ぐ提案をしたのは、人混みを見て不安そうに揺れる沙夜の瞳を盗み見たからだった。
そして今も、自分を見詰める瞳は揺れていた。
「…嗚呼、約束しよう」
そうして絡めた小指の先を見て、いつ帰るかわからない明日を見て見ぬ振りをした。
今この時、この瞬間は、確かに目の前にいる彼女に自身の凡てをもって尽くそう、と。