07.ぽきりと手折ってしまおうか

花落ちる
夜が来る前に







「沙夜、アンタ最近めちゃくちゃ帰るの早くない?文スト続き貸そうとしたら背後にいなかった時の綾さんの心情を400字以内で述べよ文体は敬体とする」
「頭が湧いているんじゃございませんこと?」
「それはアンタの心情〜〜〜〜〜!!!文字数少なくて赤点だわ!!!!!!」
「綾、今回のテスト赤点幾つあったのかしら?」
「聞くな」

ならテスト終わった途端に漫画の話をするな。どうせ昨日は勉強しようと思っても目に付いた漫画を片っ端から開き、ろくに勉強時間も睡眠時間も取れなかったに違いない。彼女の目の下の隈がそう物語っていた。
そして沙夜が帰るのがはやいのは、ただたんにテスト期間だったからだ。あっという間に冬休み前の後期考査に入り、沙夜も綾程ではないが慌ててせっせと勉強していた。
リビングで教科書やノートやプリント類を広げる沙夜に鴎外は初めは見ているだけだったが、興味をそそったのかいつの間にか同じ問題集に齧り付いて頭の良い彼に度々教えて貰っていた。だから今回の考査は頗る自信がある。

それに対して赤点を数え始める綾のカウントが「4、いや5…」とだんだんと不穏になってきた。前回の考査で彼女は「次のテスト赤点3つ取ったらヤバイわ」と割と真面目なトーンで云っていた為に、そのクールな容姿も相俟って大変重要そうに聞こえたのだが…?
それは沙夜の気の所為だったようだ。前の席でじっと縋るように見てくる綾なんて居ない。これは幻覚に決まっている、と目を逸らす。

「沙夜えもん〜追試の勉強教えてよ〜」
「…まだテスト返されてないのに追試の覚悟を決めてる潔さは私、結構好きよ」
「褒めてんの?」
「まあね。しょうがないから付き合ってあげるわ」
「さては最高の女だな?」

「沙夜スキ!!!」とべたぁとくっついてくる綾をべりっと剥がし、先程追加で貸された漫画を鞄に入れる。金と地位と権力持って60年後に出直して来い。

ふと見えた表紙に、鴎外の姿を確認して思わずじっと見てしまった。10巻から14巻のそれを再度きちんと仕舞ったことを確認して、騒がしい教室から図書室へ移動しようと提案する。漫画は綾が問題に頭を抱えている間に読んでしまおう。
案の定問題に手こずる綾に何度か読む手を止めて救済してやる等していると、時間はどんどん過ぎていった。


そしてとっぷりと日が暮れていて赤どころか藍色に染まった空の下、沙夜に綾はありがとうを連呼して別れた。これから部活だという。ご苦労なことだ。

1人正門から出た時、どこからか「あの」と声が聞こえた。気の所為かと思っているともう一度声が聞こえる。それも自分に話しかけていたと理解した沙夜はぴたりと立ち止まりキョロと首を回した。

ガシリと腕を掴まれる

「え、」









鴎外は何の連絡も無いまま帰宅の遅い沙夜に、僅かに心配の色を浮かべていた。
幸い彼女の通っている学校までの道のりはわかっていた為、鴎外は簡単に外出の支度を済ませると散歩に行くような、否、それよりかは幾らかはやい足取りでアパートを出た。


校門に近づくと既に空は藍色に染まっていて、今頃下校する生徒も多くはないため沙夜の姿をすぐに見つけることができた。
然し彼女の目の前には、1人の影があった。
近付けば近付くほど2人の会話がはっきりと聞こえてくる。どうやら沙夜はその目の前の男子に愛の告白を受けているらしかった。彼女の声色は拒否しているが、男に腕を掴まれ立ち去ろうにも出来ないらしい。
何をやっているのだ、と鴎外は紅い目を細めて、迷うことなく更に近付いた。刺激しないようゆったりとした言葉を心掛け「君、余りに必死な男は嫌われるよ?」と、沙夜を背中に庇うように2人の間に身を滑り込ませた。

突然の第3者の登場に男子生徒は、元来は謙虚な性格なのか慌てて掴んでいた手を離し勢い良くブンブンと頭を繰り返し下げて走り去っていった。
呆気なく追い払われたそれに鴎外の背後で沙夜がぽかんとしているとくるりと彼が此方を向き、掴まれて宙に浮いていた沙夜の手を取る。


「私にしておきなさい」
「、森さん…?」

絡めるような紅い瞳にじっと見詰められ、沙夜は見た事も無い鴎外の瞳の色に戸惑った。温かい手のひらがだんだと熱くなる。

鴎外はハッとしたように目を逸らして「否…何でもないよ。それより帰ろう」と云って沙夜の腕を引いた。
道すがら、帰りが遅いから心配したのだと云う鴎外に「嗚呼、心配をかけてしまったのか」と理解して、友人の勉強を見ていてその帰りにあんな事になって…と心配を解くように説明したが、後者はばっちり見られていたのだった、と話し終わった後に気付いた。

「君は魅力的な女性だからね」
「…そんな事、ないわ」

鴎外のそれは世辞でもなく心から出た言葉だったが、沙夜は否定した。謙遜ではなく、それも心から出た言葉だった。

「あの人たちが見ていたのは私の容姿と猫よ。私自身が魅力的なわけじゃない」

沙夜は人を遠ざけるくせに淋しがる、矛盾した自身の面倒臭さをうんざりするほどよく理解していた。
視線を地面に投げる沙夜に鴎外は、自分はそんな彼女の外面しか見ていない者の視点で云ったわけではないのだけれど、と独りごちた。
そうして暫く歩いていると沙夜は「でも、」と思い出したかのように口を開いた。

「でも、森さんに云われると、なんだか嬉しいわ」

全く彼女は、本当にズルい。
成熟した女性のような美貌を持ちながら、少女のような純情を映した顔で容易く微笑みを向けるのだから。
何れはこの表情を独占する誰かが彼女の隣に立つようになるのだろう。日陰に身をやつす自分では無い誰かだ。
彼女と世界を共にする、自分以外の何者かだ。
ならば、この表情を向けられる特別を、今暫く味わっていたいと思った。せめて自分の目が届くうちは、彼女の手を引く者は自分でありたいと。