何時だったろうか。
わたしが最後に地上へ立ったのは。

きっとこの先何年、何十年……その先も永久にわたしは地上へ降り立つ事も、大地を踏みしめ空を仰ぐ事も無いのだ。

その様な希望を持つ事はもう止めた。

期待しただけ馬鹿を見る事は明白だから。

そんなわたしには水上へ浮かぶ鉄屑の中の一室がお似合いだ。

首に着けられた枷を弄りながら、目の前のパソコンに映るデータを凝視していると不意に声を掛けられ、身体が一瞬竦む。


「#なまえ#、奴の事は調べ上げたのか?」

「……はい、A様。フョードル・ドストエフスキー……この男、不気味なくらい謎に包まれて居ます。異能については、」

「分かっている、そんな事。奴の異能は意識と空間を操るのだ」


この鉄屑の中での王がぼそりと呟いた。

此の人はわたしの主、A。
ポートマフィアの幹部でこの太平に浮かぶ艦の王。

そんな彼が先刻の戦争で白鯨を裏で落とそうと企てた男の誘拐を目論み、そして其れを実行してみせた。

大方、これはポートマフィアへの忠誠ではない事は理解していた。
此の人はマフィアへの忠誠心等は一切持ち合わせては居ない。

ポートマフィアへの謀反を謀る為に、態々マフィアの構成員である者達の異能力リストを出力させるくらいだ。
そしてわたしは其のリストを保管させられている。

恐らくドストエフスキーを勧誘し、ポートマフィアを潰す算段で居るのだろう。


「彼は今地下へ?」

「いいや、私の部屋に居るさ。五十一人目の大切な部下だからな」


そう言い残してAは出て行き、空間は静寂に包まれる。

暗がりで唯一光を放つ画面を、わたしは頬杖をつきながら眺めた。
そこに表示されているのは紛れも無く、今Aが手中に収めようとしている者の記録。


「ドストエフスキー……意識と空間を操る異能、パソコンの扱いに長けているのなら、この情報も誤りがあるかもしれない……」


……誤り?

真逆。わたしの脳裏に一つの考えが過ぎった。
態とこの情報を流して居たとするならば?態とAに捕まったとするならば?

大体、今まで地上へ姿を現さなかった地下鼠が何故今になって行き成り出てくるというのだ。
異能力の正体を親切に晒してまで。

次々と浮かび上がる点は線で結ばれていく。

何故こんなにも簡単な事にわたしは気付かなかったのだろうか。
此の儘ではAは……殺される。そうなればわたしの命も間違いなく奪われる事だろう。

だが、この生き地獄から解放されるのであれば奴に殺されても良いかもしれない。
どちらにしろ死しか無い道ならば、それが神の示す道ならば……わたしは素直に受け入れようじゃないか。


「漸く見付けました」


聞き慣れない男の声により、静寂が打ち破られた。

わたしが振り返れば、血色の悪い男が静かに立っていた。
パソコン画面を一瞬ちらりと見やり、その男を再び目に映せば彼は不気味な笑みを浮かべた。


「ぼくの事、調べて居たのですか?」

「……ええ、A様の命でしたので。それより地下鼠の頭目が此処に、どの様なご要件で?」

「探し物です。でももう見付けましたので」


そう言うや否や此方へ歩を進め、椅子に座るわたしの面前へ聳え立つ。
その眼は唯一の光源であるパソコン画面を見詰め、目を細めて口角を上げた。