「あ」
「え?……なまえ?」

 やっば!声出ちゃった!そして気づかれた!どうしよう!ってなんでここにいるの!?
 わたしは任務でここに来ただけなのに!
 急いで通信用ゴーレムをオフにしなきゃならないじゃないか!

 神田がアルマ=カルマと逃亡するのを手伝ったアレン・ウォーカーは、その際にノアの記憶が覚醒し、教団で捕らえられていたが、侵入してきたノアたちとともに、ハワード・リンク監査官を殺害して逃走。ということに現在なっている。

 なのでこんなところで出くわすのはけっこうやばいのである。
 ノアの記憶が覚醒したら処分せよ、と期限なしの命令を受けているわたしたちエクソシストは、仲間であってもノアに覚醒してしまっているアレンを見かけたら殺せと言われているのだ。
 こんなところで、さらにはわたしが見つけてしまうなんて、そんな運が良いのか悪いのかよくわからない運命だなんて、ほんと神様は意地悪だ。

 お互い目が合ったが最後、野生動物が敵と出会ったときのように相手の出方を観察するしかないけれど(ティムもなんか警戒してる)、どちらが先に動いても結果は変わらないだろう。
 なぜなら、

「……知ーーーーーーーーーらねッッッッ」
「……は?」
「あなたなんてわたくし、存じ上げません。あなた様は一体誰なんでしょう?」
「……」

 わたしは知らんぷりを貫くと決めているからだ。

 目に手をかぶせて前が見えないようにする。
 もしアレンを見つけてしまったとしても、わたしは気づかなかったフリをする。そう決めていた。
 だって殺したくないもの。たとえそれで咎落ちになってしまったとしても、たくさんの命を奪うことになってしまったら心苦しくはあるけれど、でもわたしは悪いことをしただなんて思わない。
 アレンをこの手で殺すことの方がよっぽど悪いからだ。
 エクソシスト失格ともいえるような考えを持っているわたしだが、なぜかイノセンスはわたしを裁こうとは、"まだ"しないみたいだ。

「……きみはなまえでしょ」
「わたくしはあなたを存じ上げません」
「何回同じこと言うの」
「大切なことだから何万回でも言いまーす」

 だから、知らんぷりするから、あなたも知らんぷりしてそのまま去ってほしかったのに、逃げて欲しかったのに…………なんで絡んでくるんだよバーカバーカ!!!!!

「早くどっかに行ってください。わたしは何も見てないので」
「嘘つき」
「誰が嘘つきじゃ誰が。早く知らない人はどっか行け」
「知らない人をそんな不躾に扱うの、なまえは」
「そうです。わたしは酷いやつなんです。だから早くどっか行け、ってなんで手を取るんですか!!」

 わたしの知らんぷり攻撃も虚しく、アレンはコートの中にティムを仕舞い、わたしの手を取って人が通らないような路地に連れ込んだ。変態なの?

「なによ変態!!」
「誰が変態?」
「知らない人にこんなところに連れ込まれたら誰でも変態って思うでしょ!!」
「変なことされるって思ってる?へー、意外とやらしーんだ」
「うっるせ!!自分の身は自分で守らないといけないの!!……もうなんで!?なんでどっかに行ってくれないの!!」

 思わず涙が出てきた。
 きみを殺したくないから関わりたくなかったのに。
 きみのことが、忘れられないから。

 目元を赤い左腕が涙を拭う。……そういえば、まだ咎落ちになってないんだね。よかった。
 ノアになってイノセンスを発動したらどうなるのかなんて、想像したくない。
 さらにはアレンの心臓は穴が開けられていて、それをイノセンスが塞いでいる。
 そんな状態で咎落ちするとか、もうホント考えたくない。

 わたしの涙を拭いやがるので、思わずその手にすり寄ってしまった。
 そしたら、アレンはわたしのことを腕の中に閉じ込めて、わたしの首筋に顔を埋めた。

「……知らない人に抱きしめられてていいの?」
「自分でやっといてそれ言う……?」
「ははは、そうですね」
「……わたし、ころしたくないよ」
「……」
「だからもう何処かに行ってよ……わたしの目の前に現れないでよ……」

 思わずわたしもアレンの背中に手を伸ばしてしまう。あったかい。久しぶりの彼の体温だ。

 アレンが教団から逃げるとき、リナリーと最後に会話したらしい。リナリーは彼を引き止められなかったことをずっと後悔している。
 わたしは任務中だったから、そんなことになってるだなんて露知らず、教団に帰ったらすべてが後の祭りだった。

「……ごめん」
「なんであやまるの……」
「僕は逃げなきゃいけない。みんなと関わっちゃいけない。そう、わかってるのに。でも、」

 なまえに会えて、喜んでる。

 そう、耳元から声が聞こえた。

「……そんなの、」

 わたしもそうに決まってるじゃないか。
 ずっと隣にいたのに、ある日忽然といなくなってしまうなんて、そんなの、ずるすぎる。
 忘れることができなくなってしまう。

「……アレンはずるいなぁ」
「ずるくないと師匠の借金を返せないんだよ」
「なにそれ……」
「ねえ、なまえ」
「なんですか……」

 アレンは少し体をわたしから離して、そのままおでこをわたしのおでこにくっつける。
 少し高いところにある銀色の瞳が、目の前で揺れる。

「待っててくれる?」
「……それ、ずるすぎない?」
「僕はずるい男だってきみが言ったんでしょ」

 酷いやつだ。これに応えたら、わたしはもう誰の隣にも行けなくなる。わたしは酷い男に捕まってしまった。
 アレンの隣しか、わたしが居ていい場所はそこしか許されなくなってしまう。なんてやつ。

「……うんって言うと思う?」
「思うんじゃなくて確信してる。なまえは頷く」
「自意識過剰め」
「でも本当でしょ?」
「……バーカ」
「バカっていう方がバカなんですよ」
「うるせ。アレンなんか、教団も伯爵もノアも『14番目』も、全て忘れてどっか遠い街でティムといっしょに幸せに暮らしてしまえ」
「それはきみもいっしょってことでいいの?」
「ご想像にお任せします〜」

 出来もしないことを、よくもまあペラペラと話せるものだ。わたしの口はわたしが一番信用できないなこれ。

「……僕は『アレン・ウォーカー』だ。立ち止まることは許されない」
「……」
「だから、また『アレン・ウォーカー』として帰ってくるから、きみに待っててほしいんだ、なまえ」
「……」
「お願い」
「……しょうがないな。ずっと待ってるから、ぜったい迎えにきてよ」
「!……うん、誓うよ」

 そのままアレンの唇はわたしの唇を拐う。
 こんな薄汚れた路地裏で誓いのキスだなんて、場違いにもほどがある。
 わたしの腰と後頭部をガッチリと掴んで、角度を変えて、啄むように何度も何度も口付けてくるアレンは、時折薄く目を開いてわたしを見つめる。まるで愛おしいものでも愛でるかのように。
 そんな目で見てくるから、わたしの目にまた涙がたまるのだ。

 ようやく顔が離れると、アレンはわたしの両頬を、その両の手で包んだ。
 そうして泣きそうな顔で微笑む。

「誰のところにも行かないでくださいね」
「行かないよ。きみの隣しか行かない」
「……うん」
「だから絶対帰ってきてよ。わたし、どこにも行けなくなっちゃうんだからね」
「わかった。必ず、必ず帰るから」

 まるで自分に言い聞かせるように、何度も何度も必ずと繰り返して、そうしてわたしの頬から手を離した。

「……帰ってきたときはさっきみたいに知らんぷりしないでくださいね。わざとってわかってても、誤魔化すの下手くそでも結構堪えた」
「そんなに言う?でも、どーしよっかな」
「素直じゃないな〜。そこが可愛いんだけど」
「かわっ!?」
「……じゃあね」
「……ん」

 そう言って、名残惜しそうにわたしのおでこにキスを一つ落とすと、そのまま路地から出て、アレンは去っていった。
 わたしはそこに立ち尽くし、涙が枯れるまで動かなかった。

 なんて人を好きになってしまったんだろう。
 待ってるなんて、なんの自信があって言えるの。

 でも、わたしには信じて待つことしかできない。
 いっしょに行くっていえないわたしを、どうか許してほしい。
 だから、今度会うときは、迎えに来たと言ってわたしを抱きしめてね。誓ったんだから。
 嘘ついたら、もう待ってなんてやらないんだからね。




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