※過去捏造。原作が始まる前の話。
きらきらと水面が輝く港で、わたしは大きな船を見守っている。
文章だけなら綺麗な風景としてしか捉えられないだろうけど、実際にはそんなことはない。
港には武装している人や、大声で指示をする人、それに従う人などが入り乱れ、騒々しい。
そんな様子を、死んだ目をしながらわたしは見守り、時折通訳が求められるとそれに応じている。これが現実だ。
就職して半年も経っていないというのに、とんだ災難だ。
わたしはただの事務員なはずだ。
それなのに、どうしてオーパーツの輸送の際に通訳スタッフが必要だとか言われてこんなところにいるんだ。オフィスの椅子に座って行う仕事がわたしの仕事なはずだ。
「すまんな、なまえ。行ってもらう予定だった人が急病とはな……」
そう申し訳なさそうに眉を八の字にさせて、上司の山本所長はタブレットの画面の中からわたしに謝ってくる。
「いえ……大丈夫、です」
「あまり大丈夫じゃなさそうだが……」
あまりにもわたしの顔が険しいのだろう(現に画面の中に映っているわたしの顔はかなりやばい)、山本所長は汗をかきながらわたしの様子を窺っているのが画面越しでもよくわかる。
幼い頃、学芸員だった父の仕事の都合で、フランスで暮らしていたことがあった。
2年ほど経ったある日、突然父が仕事中に亡くなったとの訃報を受け、母はわたしを連れて、父の遺体とともに日本へと帰国した。
シングルマザーとなってしまったのに、大学まで進学させてくれて、さらには1年間留学もさせてくれた。頭が上がらない。
そんな母を早く助けたいと思い、就職活動を始めてみたものの、人前だと緊張してうまく話せなくなり、さらにはかなりの仏頂面になるせいか、あまりうまくいかず、いつの間にか秋になっていた。
周りの友達はどんどん就職が決まっていき、一人焦っていたそのときだった。あのアーカム考古学研究所日本支部で、事務員の募集が1名だけ出たのは。
世界中の遺跡の保護を目的として創設されたアーカム考古学研究所。
めちゃくちゃ大手じゃん!!と縋る思いで面接を受けると、今までのお祈りメールはなんだったのか、あれよあれよと試験は進み、内定してしまった。
そのことを母に伝えると、かなりの沈黙を経た後、「恨むわよ、山本さん……」と呟いてため息を吐いたのが電話越しでもわかった。
ため息の理由を問うと、最初は口を開いてくれなかったが、しつこく問いかけると、学芸員だと思っていた父は、実はアーカム所属のS級特殊工作員——通称・スプリガンであったことを渋々教えてくれたのである。
就職してから知ったのだが、遺跡保護をしていると聞いていたアーカムは、本当に現実に存在するのかも疑ってしまうレベルの超古代文明の遺産を封印し、いかなる権力からも保護をするという目的で創設された組織であり(さらにはそのためにかなりの軍事力も保持しているらしい)、事務員として平和に働こうとしていたわたしは、今回そのやべーレベルの仕事に巻き込まれたということだ。こんなこと知ってたら絶対履歴書出そうとか考えなかった。
そんなこんなで、フランス語と英語を話せるわたしは、本日急病のために来ることが叶わなかった通訳スタッフの代理としてフランスに派遣され、これから日本へと運ばれる超古代文明の遺産、いわゆるオーパーツが貨物船へと運ばれているのを見守らなければならなくなった(ちなみに、このオーパーツはでかすぎて飛行機に乗らないとのこと)。
オーパーツは一度日本支部で調査されることになっており、調査終了後、本部のアメリカへと渡される。
「お腹痛い……」
「本当にすまない……必ず無事に帰国できるようサポートするから」
「ぜったいに帰りますから……根性でも帰ります……」
そう返すと、冷や汗を拭いながら「すまんなぁ……」と至極申し訳なさそうに山本さんは言った。
このオーパーツを輸送する上で、他国や組織からの妨害、略奪もあり得ると派遣前のブリーフィングで言われ、視線の先にある窓の外の空を眺めるしかなかった。
安穏に暮らしたいというわたしの願いをぶち破らないでくれえ〜〜!と心の中で嘆きながら、だんだんと荷物が積み込まれていく貨物船を睨む。
お願いだからちゃんと輸送されてくれ。
「まあ、もうすぐスプリガンもそっちに着くはずだし、何かあっても大丈夫だ」
「……もうすぐでオーパーツの運搬も始まるのに、まだ到着していないみたいですけど」
「前の任務地からそのまま来るから、少し手間取ってるんだろうな」
「A級エージェントもいるから、そんなに心配するな」と山本さんは言うけれど、でもS級特殊工作員のスプリガンが派遣されるってことは、相当ってことだ。
その事実にわたしはまたお腹が痛くなる。薬はとっくに切れてしまった。
けれど、実際にスプリガンの仕事ぶりを見ることになるかもしれないとは、なんとも奇妙な縁である。
母から父の正体を聞いたのは、ついこの間だ。
母も父が死ぬまでは、普通に学芸員だと思っていたらしい。
葬儀が執り行われた際に、母はアーカムからその事実を知らされたという。
「展開が急すぎるよ……」
「ん?何か言ったか?」
独りごちると、聞き取れなかったのか山本さんは画面の中から首を傾げたので、急いで、いえ、と誤魔化した。
「それにしても、その今日来るスプリガンってどんな人なんですか?」
「ああ、なまえはまだ会ったことがなかったな。フランス人で、金髪の男だ。名前は——」
途中で山本さんの声が途切れた。
というか、耳をつん裂くような音が飛び込んできて聞き取れなかった。
熱い風が塊のように飛んできて、その勢いで思わず転けてしまい、手に持っていたタブレットも落として画面がバリバリになってしまった。
「なっ、なに——」
倒れた身体を起こすと、頭の後ろにカチッと何かが当たった。
よく考えなくてもわかる。銃口だ。
静かに両手を上げると、英語でここは占拠しただのなんだの叫んでいる大声が遠くから聞こえてきた。
だからまだ就職して半年も経ってないって言ったじゃないか、と泣きそうになりながらじっとしていると、仲良くなったアーカム所属の傭兵であるジェイスが倒れていて、頭に銃口を当てられているのが目に入った。
初めて遭遇する、生と死の瀬戸際。
一般社会でのうのうと生きてきたわたしには、どうしたらいいのかわからない。
オーパーツはあそこだ、だの言っているのが聞こえてくる。
人の命を奪ってまで欲しいのか。
辛くて、悔しくて、ただ両手を上げながらじっとしているしかできない臆病者のわたしは、今ここにいない見知らぬS級特殊工作員のことを恨む。
「スプリガンが来るから大丈夫って言ったじゃないぃ……」
「騒ぐな」
銃口がさらに強く押しつけられる。
このまま死ぬとは。
これからお母さんに親孝行するんだって決めたのになあ、と変に冷静になる頭で考えていると、いきなり後ろから何かが勢いよく当たる音と呻き声が聞こえ、頭に当たっていた硬い感触が無くなった。
思わず振り向くと、そこには金色の髪を一つに縛った男の人が立っていた。
「おい、大丈夫か!?」
そう言われて近づいてくる彼の顔を見ると、切れ長の目を何故か丸くさせて、彼はわたしの顔を凝視する。
「すっ、スプリガン……?」
「お前——」
彼が何かを言いかけた瞬間、ドンッと嫌な音がした。
「ッ……!!」
赤色が目に入る。
目の前のスプリガンの口から、血が溢れ出るのが見えた。
「あ……」
思わず近寄ろうと手を差し伸べると、その手はぱしっと払われる。
「早く……ッ!オレから離れろ!!」
「そ、そんなのできるわけ、っ!!」
いきなり後ろに引っ張られて、誰かの肩に担がれた。
いきなりすぎて突然走ってきたお腹への衝撃に耐えられず、ぐえっと変な声が出る。
スプリガンからかなり離れたところまで連れてこられると、その場に下ろされてコンテナの後ろに隠れるよう指示される。
よく見ると、わたしを担いできた人は先程倒れていた傭兵のジェイスだ。
「まって!あの人撃たれたんです!!」
「静かにしろ!撃たれたから逃げてきたんだ!」
ジェイスはしーっと人差し指を口に当てながらわたしに注意すると、物陰から様子を見ている。
「撃たれたから逃げてきたって……仲間にそんな無情なことする!?スプリガンでしょ、あの人!?」
「ああ、そうだ。奴はスプリガンのジャン・ジャックモンド。自分の血を見ると獣人——ライカンスロープに変身しちまうんだよ」
「は!?ライカ……!?」
「俺も噂でしか聞いたことがなかったが、あれが……」と呟いているジェイスを凝視しながら、初めて聞いた単語に頭がショートしかける。
どういうことだの、なんなんだのとギャーギャー騒いでいると、「静かにしろっつってんだろ!」と口を塞がれた。
「あのスプリガンが落ち着くまで隠れてなきゃ殺されるぞ!今のアイツには敵味方関係ないんだからな!」
そう言われて、仕方なしに静かにすると、争っているかのような音とたくさんの人の呻き声とともに、獣のような声も聞こえてくる。
初めてのことだらけで頭がこんがらがりすぎている。
「スプリガンが来てくれて助かったが、まさかこんな事態になるとはな……嬢ちゃん、運が悪いな」
口を抑えられながらそう言われ、やっぱり運が悪いんだ、となんとも言えない気持ちになる。
「だが、敵は全滅だ。あとはアイツが落ち着いてくれれば……」
戦況をコンテナの影から窺っていたジェイスは、突然ハッとした。
「まずい、気付かれた!嬢ちゃん逃げろ!」
「え!?」
気づいたときには、コンテナの上に獣人がいた。
降りてきた瞬間、ジェイスに投げ飛ばされて背中を強打したせいで声が出なかったが、痛いのを我慢してジェイスの方を向くと、なんとジェイスは獣人に襲われそうになっていた。
「っだめ!!」
火事場の馬鹿力か、普段の自分からは考えられない速さで獣人とジェイスの間に入り、いきおいで獣人にしがみつく。
「お、おい嬢ちゃん!やめろ!!」
「ッ落ち着いて!お願いだから!!」
咆哮が耳に痛い。鼓膜破れたかもしれない。
でも、ここで引くわけにはいかない。
「あなただって知らないうちに味方を殺したってわかったら傷つくでしょ!?お願いだから落ち着いてよ!!」
無我夢中で叫びながら力いっぱいしがみついて止めていると、身体を拘束されたのか、締め付けられるような力を感じると、さらに獣人にしがみつく。
ここで負けるわけにはいかない。せめてジェイスが逃げられるまでは……!
そう思いながら必死に止めていると、いつの間にか辺りが静かになっているような気がした。
締め付けられてわたしは死んでしまうんだろうか。そのせいか首元にも何かが擦り寄る感触がする。身体だけじゃなく首まで絞められるのか、と覚悟を決めていると、しがみついている相手が先ほどよりも小さくなり(それでも大きいけど)、彼の背中まで腕が回せるようになっていることに気がついた。
「へ……?」
ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと、光が入ってくる。天国か?と思ったが、目が慣れてくると、先程まで身を隠していたコンテナが目に入った。
「……しんでない?」
呟くと、身体を締めつける力がさらに強くなり、またぐえっと声が出た。
何事だ、と顔を少し横に向けると、今度は金色が目に入る。頬をさらさらとした何ががくすぐる。
「え……?」
なんだ、この状況。
どうなっているのかわからず、頭にクエスチョンマークを浮かべていると、首元にある何ががもぞもぞと動いた。
「——Je t’ai trouvée」
「……は」
くすぐったさと、突然聞こえたフランス語に動揺していると、「嬢ちゃん!」と声が聞こえ、締め付けられていた状態から解放された。
「おい、嬢ちゃん!怪我はねえか!?」
ジェイスはわたしの肩を持ち、ガクンガクン揺らして問いかけてくる。さ、三半規管が……!
「あだっ、だいっ、大っ、丈夫、ですっ」
「はー……よかった。スプリガンが運良く戻らなかったら死んでたんだからな!?」
舌を噛みそうになりながら答えると、頭がぐわんぐわんしているわたしが怪我をしていないかを隅々まで確認し、ジェイスはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「ほんと、よかった……それにしても、お前ら知り合いだったのか?」
「え?知り合い?」
「しばらく抱き合ってたじゃねえか。生き別れた恋人に再会したみてえに」
ジェイスのその言葉に、わたしはハッとした。
そして、隣にやってきた男を恐る恐る仰ぎ見る。視線がばちこんと合う。
血だらけで、髪も先程とは違って解けているが、顔がとても整っている。切れ長の目も青くて綺麗……めちゃくちゃかっこいい……じゃなくて!!
「しっ!知らない!!」
「……は?」
「知らないですこんなかっこいい人!!」
「知らねえったって、めちゃくちゃ抱きしめ合ってたじゃねえか」
「知らない!!名前も知らないのに!!抱きついたんじゃなくて止めただけ!!」
「じゃあなんでお互い抱き締め合ってんだよ」
「知らないってば!!」
「そうなのか?」
「顔が真っ赤だぞ?」とジェイスが揶揄ってくるのを睨みつけていると、肩に腕が回り、ぐいっと引き寄せられる。
思わずその方向を向くと、端正な顔が間近に迫っていた。
「ひっ!?」
「……本当に覚えてねえのかよ」
眉間に皺を寄せながら、イケメンはそう問いかけてくる。
「な、なにを……?」
どう考えても、こんなかっこいい人が知り合いにいた記憶がない。思い出せるものが欠片も頭に浮かんでこない。
おそらく険しい顔になってるんだろうな、と思いつつも困り果てていると、イケメンは少し俯いてため息を吐くと、また顔を上げた。
「まあ、関係ないがな」
関係ない?
その言葉に疑問を抱いていると、不意に頬に柔らかいものが触れた。
離れていくイケメンの顔と、周りのヒューヒューという声、柔らかいものの感触、という状況から、わたしは頬にキスされたのだと理解すると、奇声を上げた。
これが、スプリガンのジャン・ジャックモンドとの出会い……だと、わたしは思い込んでいる。
たとえ、覚えていないのかと聞かれても……フランス語で「見つけた」と言われたとしても、わたしには何も覚えがないのだから、これがはじめての出会いだと言わずしてどう言うのか教えてほしい。
その後、オーパーツを載せた貨物船は、スプリガン含めたエージェントたちによって無事に日本へと辿り着き、目的が果たされた後アメリカ本部へと輸送されたという。
貨物船にオーパーツが無事に積み込まれたのを確認すると、わたしはチャーター機で日本に帰ったわけだが、帰国後、ジャン・ジャックモンドからめちゃくちゃ絡まれる日々が始まるとは、この時は思いもしなかったのだった。
○○○
フランス語はググりました。
間違ってたら教えてください……。
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