※致してないけど背後に注意
※現代
夢を見ているのだと、わたしにはわかっていた。
だから、暗い森で何かから懸命に逃げていたとしても、特に危機感はなかった。
地面に剥き出た木の幹に足が躓き、どてんと転けてしまったせいで追い詰められたとしても。
足に怪我を負ったけれど痛みは感じないし、でも急がなきゃ、と起き上がろうとしたら、わたしを追いかけていた何かが、わたしの上に伸しかかってきた。
特に怖さも感じず、冷静に伸しかかってきたそれを見たことで、わたしはそれが何なのかを知ることとなった。
それは、狼だった。
黒く大きな狼は、大きな口を開いてわたしを食べようと、喉元に噛み付く。
ああ、このまま咀嚼されてしまうのか、と他人事のように腑に落ちたために身体の力を抜くと、狼はさらにがぶがぶと喉元に噛み付いてくる。
けれど、そこで疑問が浮かんだ。
なんか……食べられてなくない?
噛み付かれているだけのような……しかも、噛む力も弱く、いや痛いことは痛いけど、でも、まるでじゃれてきているかのような……。
さらには、感覚がやけにリアルだ。
え、なに、ただわたしにじゃれてきただけ……?なんだ……?と頭にはてながたくさん浮かんできたころに、ふわふわと意識が浮上してきた。
眠りと目覚めの間にある、頭がふわふわとしている感覚の中でゆっくりと目を開けると、いつもの天井が目に入った。
と、思ったら、何か大きな黒いものも、視界の下の方に入った気がした。
まさか狼……?と寝ぼけながらそれを確認すると、どうやら人間の頭のようだった。
徐々に覚醒してくる頭で、此処にあっていい人間の頭ってなんだ……?いや言い方がすごいな……とか考えていたら、首元がぞわっとした。
「ひっ……なに……っ?」
「……起きたか」
「は……え…………」
掠れた、心地の良い低い声が耳に入ってきたかと思いきや、とんでもなく美しいお顔が視界に入る。
「あ……かんだ……おはよ……」
いつも見ているのに見慣れない美しい恋人の顔を見て、多少覚醒したけれどもまだまだ眠気の中にいるという状態でとりあえず朝の挨拶をしたというのに、この人はそれをスルーした。
まあいつものことか、と今日が休日であることをわかりきっていたために二度寝しようかと思ったそのとき、首に柔い痛みが走った。
「っひ、!」
一気に目が覚めてしまった。
先ほどの痛みはなんなのだろうか。
「な、なに……いまなにしたの」
「……」
「言葉をキャッチボールしてよ……ちょっと、かんださ……っん、!」
また首に柔く伝わる痛みが走る、というよりかは歩いてくる、というほうが正しいかもしれない。
さっきは首の左側だったのが、今度は右側にじわ、と痛みが滲む。
「なにしてるのって、ひゃ、!ちょっと……!」
「……んだよ」
「なんだよじゃないでしょっ」
よくわからず、とりあえず手で神田の肩を押して動きを止めると、むすっとした表情で目を合わせてきた。彼の長く綺麗な黒髪が、わたしの顔を滑る。
「何してるのって何度も聞いてるのに」
「何もしてない」
「うそつけ!わたしの首に何かしてるでしょ!」
こちらが質問しているというのに、この神田という人は、彼の動きを制していたわたしの手を取ると、あろうことか、かぷっとわたしの指を噛んできたのである。
「ひぁっ!?」
「……」
「ちょ、ちょと!ちょっと!?なんで噛むの!?」
痛くはないけれど、じわじわと指から変な感覚が流れてくるような気がして、いけないことをされているようだ。
「こら!だめだってば!」
「なんで」
「なんでじゃなくて!ってうわ、!」
掴まれていたわたしの手は、そのままベッドに縫い付けられるように固定され、神田はまたわたしの首元へと顔を近づける。
そしてまた、かぷりとわたしの肌を噛んだ。
ここでようやくわたしは、先ほど神田に首元を噛まれていたのだと理解したのである。
「ひ、ぅ……!ね、ねえ、!」
「うるせぇ」
「うるさくない!わたしが起きる前からこうしてたの、んっ」
犬がじゃれてくるかのような甘噛みで、神田はわたしの肌を噛む。
同じ場所ばかりを噛んでいたかと思いきや、さまざまな場所を自由気ままに噛んだりもする。
その様子は、夢で見たあの狼のように思えた。
「こ、こら!なんでかむ、の、!」
なんとか止めようとして顔の角度を変えたり、会話を試みたりしているが、まったく歯が立たない。わたしには犬歯がないみたいだ。
「かんだっ、!神田ってば!」
両手の自由が奪われているために、何とかしようとして、わたしの足の間にいらっしゃる神田の身体を足で挟むと、そこでようやく神田は動きを止めた。
「……チッ」
「なんで舌打ち!?誰でも寝起きにかぷかぷ噛まれてたらそりゃ止めようとするでしょ!?」
しかし、わたしの抵抗が成功したのもそれだけで、また神田はわたしの首元に顔を近づけ、噛むのを再開した。
「ちょ、っん、は…………っひぅ!」
先ほどは首元だけだったのに、今度は胸元までかぷかぷ噛みながら降りていく。どうやら、すでにパジャマのボタンはすべて開けられているみたいだった。なんで。
「んんっ……!なんで、こん、なっ!」
じわじわと広がる柔らかな痛みは、わたしの身体を火照らせるには効果抜群だった。自然と視界が潤むのがわかってしまった。
思わず目をぎゅっと閉じて顔を横に向けると、閉じているにも関わらず目尻からつう、と涙が流れる。
すると、いきなり先ほどまで拘束されていた両手にかかっていた力がなくなったのがわかった。
思わず目を開き、前を見ると、神田の顔がとても近くにあった。
「っんう、!」
何か言葉を紡ぎ出そうと口を開きかけると、神田の口ががぶりとわたしの口を覆う。
そして今度はわたしの唇を何度も甘噛みしてきた。
「っふ、……っ!」
あまりのスキンシップの濃さに、わたしはもうてんてこまいである。
普段からそれなりに触れ合ったりはするものの、こんな濃い絡みはしたことがない。
今日は一体なんなんだ……!?しかも寝起きからこれだ。
「は…………ふ、っあ」
一通り唇を噛むのにも満足したのか、今度は耳をがぶりと一噛み。
だめだ、これ以上はたまらなくなってしまう。
なんとか神田を止めなくては。
「か、かんだ……!も、もうこれ以上は、」
「……嫌だ」
「いや、って……!」
「……喰いたい」
「は、」
耳に掠れた声が入ってくる。話すたびに彼の唇が耳に触れるほど近いところから。
それなりに身体も重ねてきたわたしたちではあるが、いつも求めてくる時とはまた違った、別の欲を孕んだかのような声のような気がした。
「く、くいたいの?」
「ああ」
「なにが、くいたいの」
「おまえ」
「わ、わたし?」
こくり、と神田が頷くのがわかった。
わたしを食べたい。
それは性的な意味なのか、それとも、
「……喪わないで、済む」
「な、なんの話……?」
「おまえを喰って、俺といっしょになれば」
神田はそう言うと、もぞもぞとわたしの首元に顔を埋めた。
話の流れがうまく掴めないが、どうやら神田は物理的にわたしを食べたいようである。
さらに先ほどぼそぼそと呟いた、喪わないで済む、という一言から、ふとわたしは思い出す。
前に、神田はわたしが目の前で死ぬ夢を見たという。
彼の夢の中では戦争の最中に生きていて、わたしたちは敵と戦っていたらしく、その戦いによってわたしは死んだらしい。
夢にしてはやけにリアルで、思わず夜中に目を覚ますと、隣で眠るわたしがいるかどうか確認してしまったらしい。
またその夢を見てしまったということなのだろうか。
だとしても、その夢から逃れるために導いた答えがわたしを食べたい、なのはかなり過激な思想のような気がするけど……それほどまでに好かれているというのは、悪い気はしない。わたしは首元にある神田の頭をそっと撫でた。
「……食べられちゃったら、神田に触れられなくなるからやだ」
「……」
「目も合わせられないし、おはようも言えないもん」
「……ん」
「でも」
神田は少しだけ身体を起こすと、わたしと目を合わせながら言葉の続きを待っている。
「神田になら、たべられちゃってもいいかな、って、ちょっとだけ思うわたしも、いる」
へら、と笑いながらそう言うと、神田は目を見開いたあと、「んだよ、それ」と少しだけ笑った。
その表情にたまらなくなって、わたしは神田の首に腕を回して口付け、少しだけ唇を噛む。そうすると、わたしの唇を食べるかのようにまたがぶりと深くなった。
「……もうおいてかないよ、こんどは」
なんで今度なのかなんてわからなかったけど、自然とそう伝えたくなって口に出すと、ぎゅ、と強く抱きしめて、当たり前だ、と神田はつぶやいた。
わたしの歯形だらけの身体は、噛まれたおかげで真っ赤に染まって、血が流れていると証明している。
生きている。
ここで、きみといっしょに。
今度こそは置いていかないよ。約束する。
もし、わたしがやぶってしまったら、
そのときは、骨まで残さず、おいしく召し上がれ。
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二人とも前世の記憶はないけど、夢は見ないのに違和感はある夢主と、時折夢で見る前世が妙にリアルで本当に夢主が死ぬのではと怖くなってる神田さん
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