広い広い部屋で、その広さに見合った窓を覆う分厚いカーテンを開けると、朝日が飛び込んでくる。わたしは思わず目を細める。
 毎日の繰り返しのはずなのに、その瞬間はどうにも慣れず、けれど好きだった。

 窓越しにも感じる夏の暑さにうんざりしつつ、カーテンをタッセルで纏めていると、後ろから布が擦れる音がした。

「おはようございます、ライナス坊ちゃん」

 振り向いてそう伝えると、ベッドの上で赤毛の少年が前髪を掻き上げながら身を起こしていた。

「今朝の具合はどうですか?」
「……眩しい」
「それはよろしゅうございました。洗面器に水を入れておいたので顔を洗ってくださいね」

 わたしの言葉を聞いて、少年は顔を顰めながらもそもそとベッドの縁に座った。
 そうしてぼーっとしつつも、離れた場所で少年の身支度の準備をするわたしを凝視する。

「坊ちゃん?どうされました?」
「……別に」

 この少年は、わたしをじっと見つめることが多々ある。
 それが何故なのかはよくわからないが、わたしを通して別の誰かを見ているような気がする。
 まあそんなことはどうでもいい。
 わたしは田舎の実家へ仕送りをしなければならないのだから、一生懸命働くしかないのだ。


 ロウランド伯爵のお屋敷。
 わたしはそこでメイドとして働いている。
 伯爵には八人のご令息がいらっしゃり、その中の一人であるライナス・キング様、もといライナス坊ちゃんの世話役としてわたしは雇われた。
 世話役とはいっても、ライナス坊ちゃんはほとんどお屋敷にはいらっしゃらない。寄宿学校に通われているからだ。
 そのため、仕事のほとんどが彼のお部屋のお掃除となり、空いた時間は忙しそうなところを手伝うという毎日だった。学校が長期休みに入り、坊ちゃんがお屋敷へ帰ってくると、彼の身の回りのお世話という仕事がプラスされるというわけだ。

 わたしが雇われたときは丁度坊ちゃんが学校へ行っている最中だったので、坊ちゃんにご挨拶ができたのは雇われてから二ヶ月が過ぎたころだった。
 もうすぐクリスマスが訪れるという寒い冬の日、換気のために窓を開けた寒いお部屋でいつも通り掃除をしていると、いきなりバタンとドアが開いて、赤い髪の少年が中に入ってきた。
 予定よりも早い到着だったために、わたしの掃除が終わる前に坊ちゃんはこの部屋に辿り着いてしまったのだ。しかも寒すぎるこの部屋にだ。
 あの時は、取れそうなほどブンブンと勢いよく頭を下げて謝ったものだが、もういいと坊ちゃんが仰ったので頭を上げると、坊ちゃんの大きな瞳がまんまると開かれたのを覚えている。
 何をそんなに驚いていたのかはわからない。
 けれど、その驚いた原因のおかげで、何故かわたしは坊ちゃんにとてもよく見つめられるようになったのだった。
 何故こんなにも見つめられるのかが気にならないというわけではない。でもわたしの業務には関係の無い話だ。

 関係の無い、話だったはずだ。




「——お前、名前は」

 わたしがこのお屋敷で初めて迎える夏のある日だった。
 ライナス坊ちゃんは冷たい果実水を用意するわたしにそう問いかけた。
 坊ちゃんは学校での一年を終え、夏の長期休みでお屋敷に帰ってきていた。

「え?」
「名前」

 なんの気紛れなのだろう。
 こんなふうにわたし自身のことを聞いてくることは、今までにはなかった。

 ライナス坊ちゃんはもともとキング侯爵家のご令息だったというが、没落してしまったために弟君のロレンス坊ちゃんとともに、父親であるロウランド伯爵家に引き取られたという。
 ロウランドに来た当初はかなり荒んでいたらしく、今は落ち着いてはいるものの、使用人にそこまで気を配る方ではないと引き継ぎの時に聞いていた。
 なので、わたしは極力坊ちゃんとは話をしないようにしていた。業務的に必要最小限の会話しかしてこなかった。坊ちゃんもわたしに話しかけてくることはなく、ただ見つめてくるだけだった。

「わたしの名前、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」

 ここには俺とお前しかいない、と壁にもたれて腕を組みながら坊ちゃんはため息を吐く。
 初めて出会ったころよりも、身長が高くなられた。

「え、と……なまえと申します」
「……なまえ」

 まただ。
 わたしの名前を聞くや否や、坊ちゃんはわたしをじっと見つめる。
 いや、わたしを見てはいない。
 わたしを通して、他の誰かを見ている。

「……誰を見つめていらっしゃるのですか?」

 彼の身体がぴくっと動いた。

「わたし、ではございませんよね?」

 そう問いかけると、坊ちゃんは俯く。
 赤い前髪に隠れて、目元が見えなくなった。

「……申し訳ありません。出過ぎた真似をしてしまいました」

 踏み込みすぎたかもしれない。
 そう思って頭を下げた。
 このままクビになる可能性だってあるだろう。
 実家への仕送りができなくなったらどうしよう、と下げた頭を悩ませていると、綺麗な革靴が目に入ってきた。
 ふと顔を上げると、目の前にはライナス坊ちゃんが立っていた。
 目線を合わせるために、少し高いところにある坊ちゃんの顔を仰ぐ。
 深い色をした瞳と、目が合った。

「……お前に何かしたって、赦されるわけじゃない」
「え……?」
「でも」

 ふ、と目線が外れる。

「俺は、」

 償いたい。
 くぐもった声が聞こえた。
 何を償いたいのか、てんでわからない。
 わたしは彼に何かをされたというのか。
 何が何だかわからないが、心底辛そうにそう呟いた彼を、放っておくことはできなかった。

「何の話かはわたしにはわかりかねますが、」
「……」
「坊ちゃんがやりたいようになさってください」

 目の前で項垂れる彼の頭をぽんぽんと優しく撫でる。
 行き過ぎた行動だとわかりきっていたが、坊ちゃんは大人しく撫でられているので、なんとかクビは繋がっているようだ。

「……やりたいように」
「ええ」
「やったって、何も変わらない」
「そうですか?わたしは気にかけていただけるのなら嬉しいですけど」

 笑ってそう言うと、坊ちゃんはご自身の手のひらをぎゅっと握って、嗚咽を漏らす。
 わたしは坊ちゃんが落ち着くまで、ずっと彼の頭を撫でていた。

 からん、と、ガラスの中の氷が音を立てた。

○○○

夢主に巻き毛のメイドちゃんを重ねてしまい、許しを請うてしまったライナスくん。




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